星空の中を奔るという感覚は不思議だ。甲板に足はついているのに、何度経験しても胸がわくわくと躍るのだ。ましてここは未知の空域なのだから。
 そういうところをして、ラインハルザ――今は唯一無二の相棒でもある彼に「ガキだな」と揶揄られる要因でもあるのだが、そういう自分自身をカインは嫌いではなかった。否、以前ならば否定したかもしれない。けれども今は、今在る自分という存在を認めてくれた人間が、ラインハルザが隣にいる、だからカインは自分という人間を以前ほど拒絶はしなくなっていた。そういうものだ、と受け入れられる程度には、成長もしていた。
 そうしてみると、改めて立ち止まり見える景色というのは、同じものでもだいぶ違うのだ、ということに気づく。
 景色も、空気も、人も。すべてが、カインにとっては見慣れたはずなのに新鮮なものに見えるのだ。
 そしてそれは――辺境メルクマールの砦での出会いから始まり、今はかけがえのない相棒になっていたラインハルザという存在も、例外ではない。

   彼が自分にとってどういう存在なのかを改めて意識したのは、ほんとうに最近だった。激動の戦いの中では、ただただ前に進むことだけがカインにとってはすべて、それ以外のものに労力を割ける余力などあるわけもなく、そうした中でも常に隣に立ち、背を守ってくれていた相棒の存在はとにかく心強かった。彼がいるというだけで、カインは自分を認めることができたのだ。彼の存在がなければ、たぶん自分はこうして己という面倒な存在を認めることはできなかった、それほどまでの存在だ。
 では、彼に対して自分はどういうふうに考えているのか。我ながら面倒な性格だとは思いつつも自己分析をしてみると、いきなり初手で躓いたのだ。
 ラインハルザという男の人間性を、カインは好んでいる。そうでなければ、敵対していた盗賊の親玉の命を救いたいなどとは思わない。あのときの判断は、正しいものだった。好んでいるから傍に置いていたし、立場を利用して彼を庇護もしていた――もっとも、本来であればカインごとき若輩の庇護なぞは必要のない男ではあったが、混乱極める旧イデルバ王国内でのラインハルザの立場もまた難しく、常にギリギリの橋を渡っていたのも間違いではない。
 ひととして、好んでいる。唯一無二の相棒だと思ってもいる。それは、人間として、男としてかくありたいと思えるほどの男が、ラインハルザだからだ。余計な言葉ばかりが先立つカインとは好対照ともいえるほどに無駄口を叩かず、けれどもこれだと決めたことは必ずやり遂げる。信頼も置けるし頼ってもいる。彼の存在があればこそ立ち回れたことも多い。そしてラインハルザもまた、カインのそうした性格をいつの間にやら熟知しており、「仕方ねえやつだ」とぼやきながらも付き合ってくれるのだ。正直なところ、ろくに後ろ盾のないカインにそうした副官のような存在は、義姉レオナ以外には皆無といってよく、身内でもあるレオナを除けばどちらかといえば国内にすら敵が多かったのだ。ラインハルザというひどく頼れる男の存在は頼もしく、いつの間にか、自覚のないほどに彼という存在は大きなものになっていた。
 だから、だ。
 ふと、彼は自分にとって何なのだろうと考えると、正直な話答えに詰まる。そもそも考えてもいなかったといってよい。それくらい、彼はいつのまにやら自分の隣にいるのが当たり前の存在になっていた。

「あいつは悔しいほどかっこいいからなぁ」
「誰が、何だって」
「うっわ!」

 突然背後で低い声がして、カインは思わず甲板で飛び上がってしまう。危うく縁から落ちそうになるところを、見事な太い腕で抱えられ戻されなければ、今頃は空の底に真っ逆さまだったろう――それを差し引いても、心の臓がばくばくとうるさい。まったく俺の心臓、騒ぎすぎじゃないのか。あまりにも動揺しすぎていることを悟られぬようにさっと視線をはずすのだが、抱えられているのでせいぜい顔を背ける程度だ。一人妙にぎくしゃくとしているカインをようやく自由にして、ラインハルザはため息をついた。

「ひでぇ驚き方だな……」
「い、いやあ?ちょっとまあ考え事してたっていうかなんていうか……」
「夜空に向かってため息をついて、どうせろくでもねえこと考えてたんだろう」
「あのですね。ラインハルザ氏における俺の印象どうなってんの」
「今言った通りだろ。常日頃ろくでもねえこと考えてるじゃねえか」
「ほんとお前ひどいよな!俺に対して!」

 憤りを露にするのは、内心の動揺を必死に誤魔化す方便で、おそらく聡いこの男にはバレているだろう。だが、もう、バレようがバレまいがどうでもいい、という半ばやけっぱちな心境にもなっていた。
 ラインハルザのことを考えていたら、本人に声をかけられた。そこまではいい。別に、よくあることだ。ただし問題はその次だ。驚いて、危うく甲板から落ちそうになり、助けられた――抱えられて。そのとっさの行動そのものは正しい。そうでなければカインは今ころ空の底に落ちている。そのまっとうなラインハルザの行動に、勝手に動揺しているだけなのだ。
 そこで、ようやくとカインは結論にたどり着く。ああ、そうか。俺は、こいつのことが本当に、好きなのだ。
 人間として好きだというだけではなく、尊敬できる、男として羨ましいくらいに格好のつくこの男のことが、好きだ――好きだという言葉は便利だがひどく曖昧だ。だから、自分で勝手に混乱したのだ。

――そうだったのか。俺は、こいつのことが、そういう意味で好きだったのか。

 内心で言葉にして繰り返してみると、すとんと言葉が心の中に落ち着く。男同士だからとか、種族が違うだとか、そのあたりは関係がないようだ。確かに、惚れた腫れたにそういったものが時として無意味であるということは知識としては知っていたが、自分がそういう人種だったとは思っていなかっただけだ。
 けれども、納得してみると別に不快でもなんでもなく、そうなのだ、という納得だけがすんなりと存在している。

「……たく、わかってねえってのはめんどくせえな」

 いいながら、ラインハルザはカインの癖っ毛をくしゃりと混ぜる。それが癖なのかなんなのか、ラインハルザとこうした距離に立つようになってから、彼はよくカインの髪を混ぜるようになっていた。そんな子供扱いをされたらば本来なら少々腹も立つはずなのに、妙に居心地の良さすら今は感じている。自分よりも、ひとまわりもふたまわりも大きなてのひらに触れられると安心出来る、幼少のころを思い出すような。

「何だよ、それ」
「お前はいつになったら、わかるのか、ってな」

 あえて区切るように言葉を紡ぐラインハルザの、思わせぶりな態度に妙な期待すらしてしまう。だが、きっとそれは、気のせいだ。都合のいい、思い込みだろう。

「わかるって、……なにがだよ」

 だというのに、口は勝手にぺらぺらと言葉を紡ぐ。ラインハルザの真意を知りたいと、あえて突っ込んでしまう。案の定そこまで踏み込むや、ラインハルザの表情がやや動いた。