夢をみた。
それは、いつもの予知夢かと思っていたが、それにしては妙に抽象的なものだった。景色も、場所も、昼なのか夜なのかもわからない、明るいのか暗いのかも認識出来ない、そのくせ明るくて暗くて、狭くて広い、すべての感覚で理解ができないと思っているのに、なぜだか知っている場所のようにも思える。
その中を、アルルメイヤは一人で、歩いていた。
否、ひとりというのは、正しくはない。アルルメイヤは、己が行く先を飛ぶ瑠璃に輝く鳥を、追っていた。追うべき理由はなかったし、追うおうとも思ってはいなかったのに、追わねばならないという強迫観念がそこにはあって、決して逆らえない思念めいたものが、アルルメイヤを突き動かしていた。
瑠璃の羽をもつ鳥は、迷わずに虚空をとんでゆく。
時折風が吹きその小さな体を揺らした。突然、雷が鳴り豪雨がそのはばたきをさえぎった。身体をゆさぶられ、羽毛を散らしながらも、けれども鳥は虚空を飛んだ。
それをしるべに、次々と鳥たちがどこからともなく集まってくる。鳶色の、白色の、黒の、赤の、黄色の、ありとあらゆる色彩の羽毛を持つ鳥たちが、先んじて飛んでゆく瑠璃の翼を追っていた。幾多の色が重なった羽毛の奔流が、アルルメイヤの頭上で流れてゆく。それらが流れる先には、ぽっかりと大きな穴があった。
けれども、鳥たちは迷わずにその穴に向かってゆく。
穴は闇で、何も見通すことは出来ない深い混沌だった。
けれど、瑠璃色はは迷うことなく飛んでゆく。
瑠璃の羽がきらめき、宵闇を貫いた。そこには、光があった。
はばたきの行く先に在る、ゆるがぬ光を見据えて、飛んでゆく。
そして視界に、光が満ちた。
ああ、これは夢なのだ。夜明けだ。そして私は、きっと、この夢の光景を忘れないだろう。
<<中略>>
私はどうして彼を探そうとしたのだろう。アルルメイヤは痩身ながら妙に目立つ風貌の青年を探しながらこの状況に至るまでの己の頭の中を整理した。
グランに指摘されるまでもなく、この騎空団に属することになってから、極力予知の力は使わぬようにしてきたし、例えそれを「視た」としても、視たものを告げることはなかった。ただしそれが多くを救える場合であれば別だったが。個に関することを視ない、それはアルルメイヤがこの力を自覚してから自らに科した枷であり、その枷を枷とは思ってはいない。それは、力を持つものの責務のようなものであると、アルルメイヤは思っていた。
歴史には、転換点がいくつかある。それは文献を紐解けば自ずと見えてくることで、そうした数多の転換点を経て、今この空の世界は成り立っている。一番の転換点といえば空の民が星の民に打ち勝ったかの覇空戦争になるだろうが、それ以外にも幾多の空域、島、町、そうした無数の時間、場所でそれぞれに転換点は存在している。
その、大きな転換点を、おそらくこのグランサイファーの面々は目の当たりにする――そうした歴史の流れ、大いなる意志とでもいうのか、言葉で表現すらできないような流れの只中に、今、自分たちは立っている。
その漠然とした実感が、アルルメイヤに毎晩のように不可思議な夢を見せていた。ある日はそれは人の姿をしていた。ある時それは植物であった。それは野生動物であったり、あるいは星の獣の姿をしていることもあった。
けれど、姿かたちを変えても、その夢は決まって闇夜を行くともし火のようなあわい光を伴い、そして何かを導いていた。導く先は、明けの空。果てしない空の向こう。
それが一体何を示しているのか、数日アルルメイヤは考えていた。考えていたが、結論は出なかった。
だから、普段こうした夢の話を誰かに話すことなどはほとんどないのだが、ちらりと断片的に零してしまったのが、ことの発端だった。
青い鳥、そういう話の始め方をしたからなのか、ユグドラシルがアルルメイヤの話に反応を示した。
彼女がこの騎空団の一員となってから、アルルメイヤはほとんどの時間を彼女と過ごしているといっても過言ではない。彼女は人ならざる星の獣という「ふつうではない」存在であることもだが、アルルメイヤが時折もらしたくなる独白を黙って聞いてくれる――そして彼女は彼女なりにアルルメイヤの言葉を「記憶」する、そういうことをアルルメイヤもまたどこかで望んでいたのだろう。多くの人に影響をもたらす力を持ってしまったがゆえの悩み、苦しみ、そういったひとりの人間としての迷いを、ユグドラシルはただただ聞き、そして心に刻んでくれる。そういう存在のやさしさが、アルルメイヤを饒舌にしていた。
アルルメイヤの夢の話をすべて聞いたユグドラシルが、いつもとは違う何かを発した。けれどもアルルメイヤには星の獣の言葉はわからず、どうしたものかと途方にくれていると、ユグドラシルが自らアルルメイヤの手をとり、その言葉を介してくれる蒼髪の少女ルリアのところまで連れて行かれた。
「ユグドラシルさんは、その鳥が夜明けなんだって言ってます。えっと……夜明けとか、暁の光、明けてゆく色だって。すごく漠然としているイメージなので、私も上手にお伝えできているか、ちょっとわからないんですけど……」
「ふむ、確かに瑠璃色、瑠璃の色は明け方の空の色に近くもある……なるほど」
「あ、今のでよかったんですか?よかった、ユグドラシルさんがそれでいいっていってます」
「だが、夜明け、夜明けか……比喩にすると、色々な意味にとれるが……夜明け、……そうか」
夜明け、繰り返す言葉と、ルリアから伝えられたユグドラシルの言葉、それらがアルルメイヤの中で意味を持ちながらひとつの答えを導き出した。そう、なるほど、紐解いてみればなんとも簡単な答えだった。それはすでに、アルルメイヤの前に事象として存在していたのだ。事象、いや、それはひとりの人間として、確かにすぐそばに在った。
「アルルメイヤさん?」
「いや、ありがとう、ルリアにユグドラシル。私も自分で理解しづらい夢というものをあまり視たことがなくてね、不安になったのだが、何、なんてことはない。グランやジータ、そしてルリア、君たちは太陽であり光そのもの、常にみなを内包して導く力、そう、だから私は混乱しただけだった」
「え、えっと……?」
「あ、ああ、すまないね、要するに夢の青い鳥の正体がわかった、ということさ」
「あ、そうなんですね!それならよかったです!」
少女と星の獣ふたりが顔を見合わせて笑う。アルルメイヤも二人に微笑を投げてから、くるりときびすを返した。
妙に気分が晴れ晴れとしているのは、数日溜まった鬱屈の原因がわかったからなのか、或いはその「転換点」の張本人の顔を見に行くからなのか。戦場ではもちろんのこと、決して少なくはない場面で彼とは顔を合わせているはずなのに、その存在と背負っている定めを見据えてみれば、またその見方も自ずと変わってくる。
妙に逸る心は、そうした事象に居合わせることが出来るかもしれないという期待と不安が混在しているからなのか。少なくとも、この感情は不快ではなかった。
「ああ、やはりここにいたのだな」
散々探し回ったあげく、当の本人はといえば、グランサイファーの甲板に立ち、夜風を受けながら思索に耽っているようだった。
グランの言うとおり、アルタイルやランスロットと戦術策の議論を交わしていたらしいもののふらりと出て行ったと二人に促され、その行方を結局小一時間ばかり探す羽目になってしまったのだが。とはいえ未来視は、こういうときには使うべきではなく、視るつもりもアルルメイヤにはなかった――それはごくごく個人の自由の範疇になるからだ。そうしたことで他人を縛るつもりはアルルメイヤにはないし、主義でもなかった。
突如声をかけられたカインにしてみれば、相当驚いたのか、普段の気遣いや聡さがどこへやら、あわてて周囲をきょろきょろと見回している。自分の胸元までもないアルルメイヤの存在に気がつけないほど気が動転しているカインというのも、なかなか見れたものではないが、驚かすのが目的だったわけではないから、苦笑しながらもアルルメイヤはもう一度声をかけた。
「私はここだよ、カイン。突然にすまないね」
「あ、ああ……なんだ、アルルか。まったく脅かさないでくれよ」
「いや、私は脅してなんていないさ。君がめずらしく意識散漫だったからね、まあ、注意をしに来たというと……私の忠告では、君も警戒してしまうかもしれないが」
「そりゃあそうだろう、予言者アルルメイヤの実力も、この艇にのってから散々痛感してるところなんだ。まあ、だいたいはその忠告で首の皮一枚繋がってるんだけど」
「君のような人間にそう言ってもらえると嬉しいよ。たとえお世辞でもね」
「俺がおべっか使うような人間に見える?」
「どうだろうな、その評価は置いておこう」
「で、忠告ってのは?」
「……私は、基本的に個人には干渉しないのが主義だ」
「ああ、グランもそういってたし、それはわかってるぜ」
「だが……私もひとりの人間でもある。それにまあ、君とは奇遇にも同じ属性の力を持っていれば行動を共にすることも多い、ならばそれなりに情も沸く。それに君は、この騎空団にとってというよりか、この空域にはなくてはならない人間だ」
アルルメイヤはしゃべりすぎている、と思っていた。単刀直入にいいすぎた気もする。うかつに他空域の、それもその存在を揺るがすであろう人物に自ら進んで接触すべきではない、とも未だ心のどこかでは考えていた。
けれどもそんなアルルメイヤの悩みを見抜いているかのように、グランといえば何故かこの若き将軍とアルルメイヤを共に行動させようとしていた。先ほどの問答もそうだ、別の問い方をした時も、結局は「アルルがいればカインの力になれるよ、きっと」と漠然とした答えしか返ってはこなかった。だから先ほどはそれ以上のことを言わなかったし、なによりもジータにも同様のことを問えば双子と弟と同じようなことを言われ、悩んでいるならば直接話をすればよいとまで念を押されてしまった。
そう、ユグドラシルやルリアの後押しなどなくとも、いつか彼とは話をしなければならないと、アルルメイヤ自身が思っていたことだった。
それがアルルメイヤが数日夢に見た事象と結びついたのは、偶然であるかあるいは意図的なものか。どちらでもよかった。
干渉するつもりはなかった――そう、以前のアルルメイヤであれば、カインの行動は折込済みであり、未来視のとおりなのだ。だから彼が決して「死なない」ことも最終的に「諦めない」ことも、「立ち上がる」ことも知っている。彼の未来はその瞳の暁光と同様に夜明けを告げる確かな光だ。
こうして相対すればなるほどと思う。ユグドラシルのいった「夜明けの色」は彼の瞳を指しているのだ。宵の闇の中ですら光を失わない暁の色だ。闇の中ですら、その光を失ってはいない。
アルルメイヤが水晶球に投影し視た光景はただの結果で、結果を知ることはあっても、それ以外の要素を視ることはない。彼が折れないであろうことはわかっていても、その過程で彼がどれだけ足掻き、苦悩し、傷つき、疲労するか、そういうことを直接視ることはできないのだ。
「……私もひとりの人間なんだ」
「うん?なんだ、また、当たり前の事を」
カインはいつのまにかアルルメイヤと視線を合わせていた。といってもアルルメイヤに合わせてしゃがんだりするわけでなく、艇の縁に体を寄せて少しばかり目線を落としている――ハーヴィン族とヒューマン族の体格差、そういうのもあるのだろうが、この若き将軍は常に周囲の動向に気を抜かず、ふとした瞬間にこういうところが垣間見える。
おのずと相手に自らを合わせ懐に飛び込まれるような強烈な違和感と、少しの嫌悪感と不安と、安堵。グランやジータのそれのように圧倒的な安心感とは違うけれど、いつのまにかどこかで感情の棘が抜かれてしまうような気の抜けたような、それでいてどこまでも懐の深さを感じるような人好きのする表情。ああ、こういう男だからこそ、きっとイデルバの人々は、トリッド王国出身者たちは、あの武力行使すら辞さないながらも冷静でもある軍人ラインハルザが付き従うのだな。ひとくせもふたくせもある、それでいて寂しがりやで孤独なイデルバ王フォリアが、カインを傍に置きたがる理由を、アルルメイヤは直感的に悟った。
「そうか、君にかかれば私も、思い悩むのが当たり前の人間か」
小さくつぶやいて笑うと、それを自嘲ととらえたのか、カインは罰が悪そうに後頭部をぞんざいに掻きながら小さく頭をさげる。
「気に障ったなら謝るけどさ、俺にとっちゃあ予言者アルルメイヤ、って聞いてもピンとこないんだよなあ……まあ単に他空域のことまで頭も回らないし俺が無知ってのもあるだろうけれど。俺が知ってるのはグランの騎空団の仲間、それ以上でも以下でもないし、アルルも俺をイデルバの将軍カインじゃなく、ひとりのカインっていう人間で見てる、同じことだろ」
同じだ。同じ、その言葉にアルルメイヤはひらめいた――否、アルルメイヤの脳裏に、夢の光の光景がよぎる。
そう、同じ、という言葉。それがカインが示すであろう、大きな波乱の先に見える光だと、瞬間的に理解する。
イデルバという国はフォリア王の失墜によりその土台を失い混乱の真っ只中にある――そう、今、この瞬間もまた、イデルバの民はしるべとなるべき光を見失い、途方にくれているのだろう。
けれどもきっと、この青年が遠くはない未来に彼らに光を指し示す。アルルメイヤの夢は、瞬間、具現化した。携える水晶には、漠然としたものではないはっきりとした光景が映し出されている。それは導きであり、光であり、希望であり、イデルバの民にとってはかけがえのないものになる。
カインは、「同じなのだ」――その、同様の言葉を数多の人間に向けて告げるだろう。平民、商人、軍人、碑民、貴族、王族――彼は、きっとそれらすべてを同じ民だと告げるだろう。それは、この空域を揺るがす転換点になる。彼は、そういう定めのもとにこの空に生まれている。アルルメイヤは知っていた。
だが、それは今彼に告げるべきことではない。彼は定めによって歩まされるわけではなく、彼が、彼であるからこそ、過去にとらわれ続け足掻いて、その定めを背負い生きてゆく人間なのだ。
水晶にその光景が映し出されたのは一瞬だった。それに、アルルメイヤ以外にこの水晶が投影した映像を見ることはできない。実際、カインにはそれはただの大きな水晶球にしか見えていないのだろう、アルルメイヤの表情が大きく揺らいだことをいぶかしむような、どこか懸念しているような表情だ。
「私は自分が特別だとばかり思っていた。けれど、それだけではないと気づかせてくれたのがグランなんだ」
グランの名を出すと、一瞬カインの表情が緩んだ。思うところは、おそらく同じなのだろう。カインはイデルバの人間で、イスタルシアに向かう旅に常に行動を共にするわけではなく、そうしたことを「今は」許される立場でもなかった。
けれども、いつか、きっとその先、この若き将軍がもう一皮むけたとき、その歩む道が交わることもあるだろう。それは水晶球が示す未来視ではなく、アルルメイヤ自身の望みであり、そうあればよいという希望だった。存外、この青年と共に過ごした時間は愉快で、刺激的だったのだといまさらのように思う。そう、だから彼が歩むべき道と自分たちのそれが一瞬でも違えることを、いささか寂しいとすら思っていた。グランのいう「アルルが誰かを気にするなんてめずらしい」は的を得た指摘だ。確かに、私はこの青年を気に入っている。
「グランは君の事を心配していたよ。カインはほうっておくと一人で勝手に死ぬし勝手に変な作戦考えるし勝手につっぱしるから、だから私やバザラガ、ユーステスに見張らせるのだと」
アルルメイヤの言葉に、カインは百面相でこたえる。思うところがあるのだろう。バザラガもユーステスも敢えてカインに悟られるようにしてそっと彼の動向を探っている。今もこうして、あえて探し出しはしないけれども、彼らは見守っているのだろう。グランが以前カインのことを散々叱り飛ばしていたのも共にいたから知っているアルルメイヤは余計に笑みを深くして言葉を続けた。そう、これくらいのひそやかな楽しみは、散々自分や仲間たちを心配させた代償としては、安いものだ。
「あ、あー……善処します……。いえ、それはまあ否定できないんですが。できれば全力で監視してる彼らもどうにかしてほしいかなーとか」
「ふふ、そうだな、君はそういう人間で、そのことを否定はしない。そういう強さも弱さも含めて君という人間だ。それから監視に関しては、彼ら、いや、グランに直談判すべきだろう。とはいえ、私が何かを言ったところでグランが考えを変えると思うかい?」
「ない、それはないない。グラン、あれで相当頑固だってのはわかってる。まあ、ラガさんもユーステスも好きでやってるってのはわかるんだけど、ラインハルザやレオ姉以外にまで監視されるなんてなあ、俺ってそんなに信用ない?」
「まあ、それに関しては私は黙秘権を行使しようかな」
「……あのほんとすみません」
「妙に素直だが、いいことにしておこう。ふふ、単純なことさ。私は君を認めているし、心配もしている、それは私が未来視という力を持っているからでもあるし、それだけではない」
アルルメイヤの敢えて濁すような物言いを、カインはいとも簡単に解き言葉をかえす。そういう、ある種の遊戯にアルルメイヤが興じていることを、きっと彼もわかっているのだ。
「それなら神託の妖童様のありがたいお言葉には、素直に従うとしますかね」
茶化すような物言いは、けれども真剣な暁の双眸に宿る光がして彼なりの誠意なのだろう。彼は、本心を暴かれる事を嫌う。それが弱さなのだと、悔いている――そう、いまは、まだ。
けれどもきっと、彼はそこから飛び立つことができる。そうして、その先の物語を自ら掴み取ることができる人間だ。アルルメイヤは、そう信じている。
「君の未来は暁光に通じると私は信じているよ。たとえ今は宵闇であろうとも、きっと、それは君にしかなしえないことだ。そして、決して君ひとりだけでもなしえないことだ」
「……!ああ、わかってる。俺はひとりじゃない。レオ姉やラインハルザ、グランやジータ、皆がいるから、きっと今、こうしてこの場所にいる」
帰ってきた力強い言葉に、アルルメイハは安堵し、そして宵の闇を煌々と照らす月明かりに祈っていた。
足掻き続けているこの若き将軍の先行きに、光あらんことを。
<<後略>>