闇、そして光(FF3)

 とっさの出来事を、すべて理解していたやつなんか、きっといなかった。

 後になってみれば、そう冷静に語るラーズも、けれどもその時の自分の「感情」を正確には把握していない。
 だからあの時に動けるやつはそもそもいなかった。
 動けるやつがいるともおもわなかった。
 そう語る目は、様々な感情がない交ぜになって、じっと古びた床板を見つめていた。


 息を飲む音だけが、その場にあった。しんと静まり返る闇の中。
 ぼうっとうかびあがる、燭台の炎が揺れる様は、悪い気分をいっそうあおるだけだ。それはまるで闇の儀式のようだったし、ただ冷たい空気がまるで時間という概念を、そっくりそのまま止めてしまったかのようだ。
 けれど不思議と禍々しい腐臭は、全くしなかった。

 少年は、床を踏み締めた。
 少年は、唇を噛み言葉を呑み込んだ。
 少年は、ただ目の前の出来事を感じようとした。
 少年は、ひとり、吠えた。



「なんでだよっ!」
 まだ幼さの抜けきらない少年特有の甲高い声が、冷たい石床と壁と天井にぶつかり、反響する。忌み子と無気味がられた原因でもある赤い瞳が、まるで炎のように煌めいている。それは、怒りだ。
 なんでだよ、なんでだよ、なんでだよ。な、ん、で、だ、よ!
「なんだよ、ソレ!わかんねぇ、わかるか、わかるもんか」
 喚いても、否定しても。
「なんだそんなの、ウソだろ、ウソだ、いやだ、いやだぁぁあああ!」
 否定しても、否定したところで、けれども目の前の現実は変わるわけもない。
 けれど、わかりたくはないから少年は腹の底から怒鳴るのだ。瞳に炎をともして、声を限りに、怒鳴るのだ。
 わかってたまるか。そんなもの、理屈じゃない。
 ちがうちがう。おかしい。
 小さな身体の全部で、少年は目の前の出来事すべてを拒絶するしかなかった。


  ドーガは正しい人で、大きな人だ。間違う事はない。厳しい人だから。
 少年は思う。目深なローブの影にちらと見え隠れる光の鋭さを、出会った時から知っていた。
 だから、この老魔道士の言葉は、故郷の祖父の言葉と同じ重みととらえ、尊重してきた。易しい言葉ではなかったが、そうすれば惑う事はないという確信があった。 
 口数は少ないが、その知慮に富む言葉に幾度救われたろうか。
 だから、思う。目の前のこの現実を、認めたくはないが、けれども、必要な事と、少年の頭は結論を既に出していた。
 だがひどく顔が熱くて、喉の奥が焼けるようで、一歩も足は動かない。
 そういうことではないのだ。理屈ではないのだ。
 けれども喚くことが出来ない。あまりにも感情を剥き出しにして、一体何になるんだろう。現実は現実なのだ。ここにある。いくら認めたくなくとも、残酷なほどにここにあるのだから。
 だから少年は動けない。
 奥歯を少し噛みしめた。


 風が泣いている。水も、火も、土も、哀しんでいる。
 少年はその声を知っていた。忘れるわけもなかった。
 常に少年に語りかけてきていた精霊たちが、姿を見せないのは、彼らの慟哭はあまりにも強すぎて、人を多分狂わせてしまうから。
 どうしようもないこと。どうにもできないこと。
 それはゆるやかな水の流れに逆らうのとおなじこと。一時は確かに逆らえる。
 逆らえる、けれども、結局水はゆるやかに流れてゆく。
 逆らう事はとても辛くて、流れに身をまかせる事は、楽ではあるけどそれだけだ。
 自分は一度だけ、水の流れに逆らった。けれど水の流れは変わらなかった。

 今回の事も、そういうことだと、少年は感じていた。

 けれど、ただ水の流れと受け止めるには、あまりにも胸が痛いのだ。


 誰も動けないでいた。少年は、少しばかり頭を回転させて、考えた。
 すると結論は案外簡単に出てきた。冷たい空気の闇の中でも、簡単に声を出す事が出来た。意外と闇も優しい。
「ああ、わかった」
 そういうことなんだな。
 少年は理解した。
 老人と老婆が、その姿を捨てた瞬間に、悟っていたのだ。気がつくのは少し遅かったけれど。
「逃げちゃ、駄目なんだろ」
 自然と口が動いた。
 じゃり。床を踏み締める足をわずかに動かすと、改めて足も腕も肩も、そこかしこが重いと感じた。
 慣れない鎧の所為だと少年は思う。ねっとりと覆いかぶさるようなこの闇と、悲壮な空気と、冷たい臭いの所為かも、しれない。けれどだから何だ。少年は鼻を鳴らしてみせる。
 老人は少年に道を示しはしなかった。少年の問いにはこたえてくれなかった。
 老婆は少年を詰り、否定した。
 どちらも、腹が立って、仕方がなかった。それはあまりにも少年にとって、現実をまざまざとつきつける辛辣な言葉だったからだ。

 ……しってるよ、言われなくたってな、オレには魔法の才能なんざありゃしねえんだ。
 なんでか、最初は巧くいったとおもったけどよ…クリスタルの力を、オレの才能だと思い込んでた。
 思い込んでた時期は楽だったさ。だけどな、いつだったか…オレは気がついちまった。オレの限界に。
 いくらやってもオレは駄目だ。
 いくらやってもオレの魔法は駄目だった。正直、ユックユックが憎たらしかった。……ああ、…わかってるんだ、あいつだって、あの小さいユックユックだってとんでもない努力してるってことは。それでも、憎かった。
 なんであいつだけ巧くやっちまうんだ。悔しくて、悔しかったけど、そんなのはラーズにだって言えやしねえよ。
 誰にも、いえやしねえ…だのにあの婆さんは、言ったんだ。皆の、前で言いやがった。信じられねえクソババァだと思ったよ。
 けども、それは、事実だった。
 ファルガバードで、へんな爺にとっつかまって、ひでぇ訓練させられて、死にそうになった。死ぬかと思った。逃げたかった。
 でも、初めて本気で負けたくねぇって、オレ、思ったよ。

 だからかな。だからかもしんねぇな。
 て、あんまよくわかんねぇけど、この奇妙な剣はオレの手に馴染む。気味悪ぃくらいにだ。

 今までの苦労も、ばかげた訓練も、あのクソババァも、全部これの為だったと思って、暗い洞窟から出た時、空を見上げた。
 そしたら真っ青な空が広がってたんだ。
 そうだ、故郷の空とすっかり同じ色してた。

 だからオレはもう逃げねぇよ。

 少年は、顔を、あげた。
 目の前には、闇。そして闇に溶け込むように蠢いているそれは、どちらも怪物の姿をしている。

 これは現実だ。
 俺は、俺に言い聞かせた。
 これは現実だ。夢じゃない。オレの頭はすっかりと目を覚ましている。意識は、研ぎ澄まされている。現実だ。なにもかも、悪夢みたいな、けれど、これは現実だ。