悲しみも苦しみも、憎しみもやるせなさも、どんな嵐にも揺るがずそこに在る。
決して己を出す事はないけれど、誰よりも優しく、誰よりも強く。
変わらぬまなざしに、変わりゆく世界をしっかりと焼きつけて。
【土の戦士 ラーズ】
サロニアは代々続く竜騎士の一族の生まれだが、乳飲み子のころには既に浮遊大陸に逃れていた。
彼を逃した従者も長旅の中で心労をかさね、風の谷に辿り着きトパパにラーズを預けたところで、息をひきとる。
なにゆえにそのようなことになったのか。
そして、その幼子を包む布に、見覚えのある紋章がしかと記されていたことは、トパパしか知らぬことだ。
トオヤとおなじく、昔の記憶はほとんどない。
ただ、時折ふっと思い出す、みたこともない高い塔、豪華な城、それはラーズのこころをひどくざわつかせた。
だから漠然と、自分はここではないどこかの人間なんだということを、彼は幼い頃からよくわかっていた。
それでも故郷はしっかりと自分の中に根をおろしている。このゆるやかに時が流れる故郷を一番愛しているのはラーズかもしれない。
「帰ってくるさ、……帰れるさ。この風車と森と山と川、風の吹く谷、俺達の故郷だ」
相棒がこと暴走しがちなので、どうにもあいつに気力ってもん根こそぎもってかれたんじゃないか、などとぼやくこともしばしば。
その相棒であり親友であり殆ど双児同然に育ってきたトオヤにいわせれば
「おっさんくさすぎて同年代の青少年としては蹴飛ばしたくなる」
ラーズにしてみれば、そのトオヤは
「お前はもうすこしモノを考える努力をしろ。何のためにその頭はある」
下らない喧嘩は絶えない、が、
例え本気で殴り合っても、同じ卓を囲みながらそっぽをむいてはいても、次の日にケロっと忘れる年下の少年と自分とは、案外相性はいいんじゃないかな、と思ってしまって早10年。腐れ縁はなかなか切れそうにない。
何ごともまずは噛み砕いて理解する。世話の焼ける弟たちの面倒を見ていれば、どうしたって自然と身についてしまった。
裏山に洞窟ができたみたいだ。行ってみよう。宣言する前に飛び出してしまった相棒を、弟達を、ぶつぶついいながらも追い掛ける。
もちろんちゃんと支度を整えてから。トパパはしわの深い老齢の顔をさらにしわ深くして渋ってはいたけれど、「お前がついているなら」と、眉根をさらによせながらも承諾した。
風の啓示。まず一番に考えた事は自分の生まれ。時折見る夢と脳裏をよぎる見なれぬ風景。
自分がちゃんと見据えなければならないことだと感じた。
それが世界の悲しみを、ひいては、世界を救う事になる。それは確実に同一線上に存在している。
やらなきゃいけないのは俺たちだ。他の誰でもない。
運命と言う言葉は実感がなくて好きではないけれど、これが、その、運命というやつかもしれない。
多分それは、必ずしも希望に満ち思い通りにゆきはしないだろう。
きっとそれは、おおくの苦しみと悲しみを、自分達にもたらすだろう。クリスタルの光をその眼に映した時、ラーズはそんなことを考えた。
けれど、それは、おだやかな故郷にとどまることよりももっと必要な事なのかもしれない。大事なことなのかも、しれない。
俺たちにも、世界にも。
そう思った。
赤々と燃える夕日がパルニア山脈にしずみ、やがて長い長い影が谷をおおう。まだその穂すらも顔をださぬ麦を一面に紅く染めて、腹の虫が鳴き出す頃。
谷間にある村でもいっとう高い館の塔にのぼり、ラーズはひとり、こののどかで朴訥な故郷をすみずみまで見渡していた。
飯の炊けるにおい。夕暮れにのびる影。頬をなでる草の匂いの風。さわさわと、ざわざわと音をかなでる川と森。
しばらくは帰れないだろう。だから、しかとこの眼にやきつけて、それからニーナの作るほっぺたのおちそうな夕食をいつもよりも沢山たいらげて。
せめて苦しい時辛い時、この緑の、黄金のやさしい故郷を思い出せるようにしよう。
風の声はとおく、たかくへ。