小さなティータイム

 ぱちぱちと炎が爆ぜる音が聞こえる。あたたかな空気が部屋いっぱいに広がっている。
 芹は、この空気が好きだった。温度はやわらかくて、空気がとても心地よい。そしてこの柔らかでいっとう好きな空気を織姫と共有できているのは素直にうれしかった。
 肝心の織姫はといえばいつもの彼女らしく、特に感慨がないのか無愛想なままだけれど、かといって何か文句を言うわけでもなく、大きな薪ストーブをじっと眺めている。確かにアルヴィス内にこんなものはないし、竜宮島の中でも薪ストーブを使っている家庭は珍しい。そもそも薪自体を作っている職人が多くないから、当然といえば当然なのだが。それでも文化保存の一環として薪や薪ストーブを使っている家庭がないわけではなく、芹の家もそうした家庭のひとつなのだ。芹は、昔からこの大きなストーブも好きだった。
 ストーブの上には薬缶が置かれていてシュワシュワと音を立てながら湯気をあげている。お湯が沸いたら織姫に紅茶でも淹れてあげようと思っていたことを思い出して、芹は立ち上がった。

「どうしたの、芹」

 すかさず織姫がこちらを見て声をかけてくる。こういうところが、実は彼女は目敏い。芹が動けばすぐさま反応するのだ。それが、なんだか常に親を目で追う子供の反応のように思えて、芹はふわりと微笑んだ。

「お茶を淹れてあげる、紅茶は嫌いじゃないよね」

 芹の言葉にじっと耳を傾けている織姫は、音のひとつも逃すまいとしているようにも思えて、なんだかこそばゆい。

「嫌いじゃないわ。早くしなさい」

 そうなると、こんなぶっきらぼうな命令口調もなんだか可愛らしく聞こえてしまう。乙姫とはあまりにも違う存在で、最初は戸惑っていたけれど、彼女と過ごす時間が増えたこの頃は皆城乙姫とは違う皆城織姫という存在が、芹の中で少しずつ、確立されてきている気がしていた。それにつれて、割り切りも、以前よりはできる様になっていた。

「少し待っていてね」

 薪ストーブの周りをとりまくあたたかな空気の中に手を伸ばして薬缶を手にして、台所へと向かう。そういえば、苺のジャムがあったはず。それをちょっと落として甘く香りをつけてあげよう。芹はソーサーとカップに透明なティーポット、それに母親がとっておいた茶葉を用意してから冷蔵庫に向かい、苺のジャムも取り出す。そしてポットに茶葉を匙で落として薬缶からお湯を注いだ。

 茶葉が抽出されるのを待つ間も、織姫はじっと居間で待っていた。その視線の先には、薪ストーブ。ああは言ったが、やはり珍しいのだろう。 「織姫ちゃんは、そのストーブが珍しい?私も昔から好きなんだよ」
「別に、そういうわけじゃない」
「薪ストーブはね、暖かさが柔らかいの。わかる?だから、私は好き。春の日差しみたいで」
「そう」

 芹の言葉にも、特に何か思うところがないような返事。でも、多分織姫なりに感じたこともあるのだろう。少しだけ声色が違う、と芹は思う。そうしている間にも茶葉はゆらゆらと湯の中をたゆたい、少しずつ紅の色を増す。そろそろ時間かなと、芹はティーポットからお茶をカップに注いで、それから苺のジャムを一匙ずつ、落とした。果肉の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。透明な紅色に、果肉の赤が混じりあってゆく。織姫ちゃん、気に入ってくれるかな。

「織姫ちゃん、お待たせ。熱いから、気をつけてね」

 コト、と目の前にカップを置くと、織姫は一瞥してからカップを持ち上げて、ゆらゆらと揺れる琥珀の液体を見つめている。

「何を入れたの、芹」
「飲んでからのお楽しみ。大丈夫、おかしなものじゃないから」

 ほのかに笑う芹の表情が面白くないのか、織姫はどこか挑むように眉根を寄せた表情で紅茶を眺め、やがて一口口に含んだ。

「どう?」
「……少し、甘いわね。嫌いじゃないわ」

 織姫の表情は変わらないけれど、つっけんどんな言葉も変わらないけれども、彼女はそれからもう一度、今度は少し多めに紅茶を口に含んで、味わうように飲んだ。
 芹はそれがうれしくて、小さく笑う。ふわりと周囲の温度が上がった気がした。よかった、織姫ちゃん、気に入ってくれた。

「よかった。苺のジャムをいれたの。私ね、昔紅茶が飲めなかったときに、お母さんがそうしてくれたのよ。砂糖ほど甘くはならないけど、やさしい味」
「そうね」

 そうね、と答える織姫の言葉のぶっきらぼうさが、どこか照れ隠しのように思えて、芹はくすぐったい気持ちになりながら自分も紅茶を口に含む。記憶に違わないやさしい味だ。織姫に言ったとおり、昔からよく母親が作ってくれた味。苺のジャムのほかにも色々試したのだけれど、芹は結局苺のジャムが一番好きだった。
 薪ストーブの上に戻した薬缶が、再び淡い音を立てる。ほんのりと、けれども部屋いっぱいに広がる暖かな空気と、やさしい甘さのする紅茶と、それから織姫と。
 こんな素敵な午後はゆっくり過ぎてゆけばいい。
 ほんとうなら、いつまでも続けばいいのに。
 誰にでもなく願ったのは、どちらなのだろう。
 淡い想いを胸に抱きながら、ゆるやかな午後の時間は過ぎてゆく。