へえ。知ってのとおり、アッシはあの悪名高いパルミドの出身でやんす。まあ、悪名たって、人がメシ喰ってクソしてゲロ吐いて酒かっくらって、そのあといびきかいて寝るのが至極当然な、いささかひとさまの持ち物失敬したがる連中が多いってだけですがね。アッシの感覚はアテになりやしませんが。
住めば都、あんな町でもアッシには唯一無二の故郷でがす。
まあ、そんなところに育ったんですから、正直者、なんて罵詈雑言の類いでさ。馬鹿にしてるとは思われても、少なくとも褒め言葉じゃあなかった。それでも、人の性根はそこまで腐っちゃあいねぇですよ。…とはいえ、隣を歩いてる野郎を信用できるほど、甘くもなかったですがね。
ただ、やっぱりあの貧しさと、埃にまみれた貧相な町並は、若い時分のアッシにはがんじがらめの牢屋みてぇなもんでした。だからですかねぇ、兎に角アッシは悪かった。他人の懐ちょろまかする、なんてかわいらしいもんじゃあなかった。…ここでしかいえねえ話ですが、ね、人を人と思わねぇような所行もしたもんでさ。
だからヤンガスっていう名前は、悪党の代名詞みたいになっちまった時期もありました。もっとも、そいつぁしこたま光り物や銭をためこんで自分だけがぬくぬく生きてけりゃあいいっていう、ゴミ溜の中でもさらに糞みたいな連中たちにいわせれば、ですがね。
けども、そんなスラムの名声も、アッシの心を満たしちゃあくれなかった。
何がいけないってんじゃない。けども、漠然とここにいちゃ駄目になっちまう。……そんなせっぱつまった、その実たいしたことはない思い込み、そんなやつが何よりおっかねぇと思いますぜ。その証拠に、深い事考えもせずね、アッシはパルミドを後にしやした。一旗あげてやろう、そんなしょうもない事考えて。しがないアッシでも、外に出てみれば変われると信じてたんでしょうなあ。今にしてみれば、ひどく笑える話ですや。
はあ、まあ、その結果は、お察しの通りでさ。なにせアッシはこの風体だ。何処いっても山賊だ、盗賊だ、そんな風に騒がれ、疎まれるばっかりでした。人は見た目で判断しちゃいけねぇ、なんてきれいごとは所詮綺麗ごとなんだと、ただそんなことだけを痛感しただけでげしたよ。あの頃のアッシは人生でいっとう腐った魚みたいな目ぇしてたと思いやすよ。今だからこそ、こうやって他人さまに話できますが、あの時分は、ほんとうによくなかった。世の中全部灰色に見えたもんでさ。悪党の末路なんざあ、所詮こんなものなんだなと、そりゃあ冷たい世の中を恨む事もできずに、蛆虫みたいに這いずり回ってやした。
あの時のアッシは、それこそ見てくれどおりの山賊に成り下がって、本当に腐った目をしてたと思いやす。
けど、そんな追い剥ぎに身をやつしたアッシのちっぽけな命を、シラギの兄貴は迷わず救ってくれた。あのときのことは、多分棺桶の中に入ったって忘れやしません。
本当にしょうもない話ですぜ。名誉も何もあったもんじゃねえ。格好いい話でもねえ。むしろ無様で不名誉で、情けない話でさ。アッシにしてみりゃあ穴の中に入りたいくらいに忘れたい。けど、おんなじくらいに、決して忘れちゃなんねえ、忘れちゃあいけない思い出でさ。
……暑い暑い夏のまんなかの、おてんとうさまがこれでもかってくらいに照りつける日中のことでした。
木の実や草の根を喰ったところで、食った先からどんどんとじりじりしたおてんとさまに体力を奪われちまう。ああ、こんなことならパルミドにおさまってりゃあよかったんだ。いつもがっついてた不味い飯が極上の馳走に思えて仕方がなくて、アッシは結局盗人に戻ることにしたんでさ。結局人間、生まれ持った性根ってな変わらないもんなのかもしれねぇですな。
ちょうど、トロデーンのお城とトランペッタを結ぶ街道にかかるボロっちいつり橋にさしかかると、とおくから馬車の音がする。こりゃあ神様のお導きだと思いましたね。お城の近く、馬車。そうきたら、王侯貴族とまではいかなくとも、それなりの身分の人間だろう、単純にそう思ってアッシは木陰から飛び出した。
アッシはそのとき、自分がいかに生き残るか、喰っていくかってことしか頭になかったんでさ。だからトロデーンのお城が茨に飲み込まれてとっくに滅んでた、なんてな話は寝耳に水でした。
獲物目の前にして、なにやら若干様子がおかしいな、くらいは思いましたが、そんなことは目の前にぶらさがった誘惑の前じゃあどうでもいいことだった。アッシは堂々と名乗りをあげて、……盗人風情が堂々とってのも変な話ですがね…ひ弱そうな若い兄ちゃんになんだかちっこい魔物だか年寄りだか、そんなじゃねぇですか。こりゃいける、そう思って飛び掛った。
けど、結局はうまくはいかなかったんでさ。渾身の一撃はあっさりとかわされたあげく、獲物に逃げられちまうわ、そのうえ力任せにとびかかったせいで、ボロっちいつり橋ぶっこわして谷底に落ちそうになっちまった。いやあ、あの時ゃ胆を冷やしやした。うだるような暑さなんてな、忘れるくらい、ぞっとしたもんでさあ。
そのうち、落ちてくつり橋に必死でつかまりながらも、ああ、こりゃあ罰が当たったのかもしれない、そんなことを思ってやした。アッシは後にも先にも、人様に襲いかかって荷物奪おうとしたことは、この一度きり。盗人にもそれなりの理ってもんがあるんでさ。アッシはとにかく、じいさんだのばあさんだの、弱い人間からモノを奪うのは好きじゃなかった。そりゃやっちゃいけねえことでした。義だの仁だの、そんな難しい、立派なモンじゃあなかったですがね。気分の問題でさ。盗人山賊だって、人間なんですぜ。
そいつを、どんな理由があろうとも破っちまったアッシに、神様はバチを当てた、そう思ってやした。
悪いのはアッシだ。ろくなモン喰ってねぇ腕の力なんかはたかが知れてまさ、どんどん感覚がなくなってって、ああこりゃあもう本当に駄目だ………覚悟決めましたさ。
けれども神様てのは意地が悪いもんですやな。そんな時に限って、きまぐれの情けをかけてくれる。
いつまでも水の音は下から聞こえてくる、しかもそいつはどんどんと遠くなってくし、こりゃどういう塩梅だ、ついに頭ん中までやられちまったか、そう思って目を開けてみたら、……目を疑いやした。
見れば非力そうな兄ちゃんが、必死にアッシをひっぱってる。ひきあげようとしてる。正直、この頭ん中納まってるちっぽけな脳みそじゃ、なにがどうなってるんだかさっぱりわかりませんでしたや。
悪い冗談かとまで思っちまった。
考えてもみてくだせえ。自分たちに襲い掛かった盗人を助けるなんざ、酔狂の沙汰じゃねぇですかい。
世の中に、そんなことしちまう馬鹿な連中がいるってな知ってましたが、そりゃ自分には一生縁がねぇ不思議な連中でしかなかった。
それでも、アッシがどんなにありえない、馬鹿な、そういう風に思ったところで、確かにアッシは兄貴に命を拾ってもらったことに、かわりはなかったんでげす。それに、…シラギと名乗った兄ちゃんは、まっとうな目をしてやした。若いのに、変な顔をしてると、思いましたね。
……………どうもアッシはうまくねえ。頭も良くねぇから、言い方がうまくいかねぇんです。シラギの兄貴の顔をまじまじと見た時に、なんともいえない妙な心持ちになったんでさ。命の恩人に対して、えらい失礼なことかもしれねぇけど、なんて奇妙な面構えしてると思いやした。
その印象は、一緒に旅をするようになってからも、結局変わる事はなかったんでさ。
シラギの兄貴のことですかい?
………………。
いや、そいつは、勘弁してくだせえ。それは、口が裂けても言えねぇ。アッシもこの通りトシ喰っちまいやしたが、そいつだけはどんなにもうろくしても喋ることはねぇです。
いや、いや。いくら酒をついでも、何も出やしやせんぜ。…何故かってな顔してますね、…何故、ですかい。
そいつだけが、アッシが、兄貴のためににできる、全部なんです。
あの人は、誰より幸せになんなきゃいけねぇ人なんですよ。そう思う理由は、へえ、いえねえです。いえねぇですけどね、これだけは言える、一番幸せと遠いところにいる人で、だから誰より幸せになんなきゃなんねぇおひとだ。
へ?謎かけ?いや、いや、そんな大層なもんじゃあねぇです。
アッシはこうやって、ゆっくり寝れる粗末な寝床も、晩飯用意してくれる女房も、人並みに手にいれやした。…それもこれも、全部、あのとき兄貴に命救ってもらったから、この手にできた代物でさ。
理屈じゃねぇんです。こいつぁ。そういうとこ、うまく説明する舌も脳みそも、アッシはもってねえ。だから、勘弁してくだせえや。
この、皺だらけになっちまった手のなかのあったかさの、ほんの何分の一かでも、……兄貴は知ってて欲しいんでさ。そうじゃなきゃあ、アッシはやっぱり神様なんてものは意地が悪いんだろうなって、孫に吹き込むことに余生を傾けることにしやす。
笑わねぇでくだせえ。年寄りの、しがない、年くってもうろくしかけちまった男の、ささいな精一杯の謀なんですから。