No kidding!

――これは、何だ。
 まずは周囲を見渡す。いつもどおりだ。が、息苦しさと圧迫感は変わらない。
――いや、どういうことだ。
 もう覚えてはいない妙な夢の中から続くひどい息苦しさと圧迫感に目覚め、状況を確認して、ようやく理解するやゼスは絶句した。
 というか、まずこの状況がおかしい。酒は入っていない、というよりもそもそも校則でしっかりと禁止されているのだから当然飲むわけがなかった。疲れて前後もなく眠りについたわけでもない。何らかの衝撃で一時的に記憶喪失になったような形跡もない――それならば、何らかの痛みがどこかに残っているはずだ。いや別な痛みは現在進行形で感じているのだが流石にこれで一時的に記憶喪失になり状況把握が出来ないということはないだろう。多分。では、何故今自分はこのような。想像を絶する、言葉にするのも(精神衛生上)憚られるような散々な状況なのだろう。

 改めて、状況確認――そんな大層なことではない。そのまま周囲を見渡せばいいだけだ。何のことはない、ここは寮内の自分の部屋の寝台の上だ。時刻は、夜半を少し過ぎた頃だろうか。時計を確認しようと思うが、叶わない――その原因が、目下ゼスを困惑させている原因でもある。
 更に、その仔細――まず、左肩から喉元ががっちりと背後から腕で固定されている。同様に、右の脇の下から腹部まで、これも腕でだ。ついでに背中には頭部が押し当てられているのか妙に痛い。また脚もご丁寧にがっちりとホールド済みだ。そういえば、格闘技で相手をこんな風に羽交い絞めにする技があった気がするが、まさか眠っている間に技をかけられて絞め殺されかけているという可能性は流石に考えなかった。少なくとも、今自分を羽交い絞めにしている相手に恨まれるような筋合いはないし記憶もなかった。その上その問題の張本人ときたら、他人の寝台に潜り込んで羽交い絞めにして、さらに豪快にいびきまでかいている。現状認識が深まるにつれ、徐々に苛立ちが募ってきた。

「おい」

 とりあえず不機嫌そうに背後に向かって呟いてみるが、なにやらもにゃもにゃと言語未満の呟きが漏れるだけ、まともな反応はなし。
「おい、何をしているんだ」少し強い調子で続けついでに巻き付けられている腕をひきはがそうとするも、なにせガッチリホールドされていて身動きがとれないのだ。徐々に、苛立ちと困惑が募ってゆく。これは何だ。どういうことだ。意味がわからん。だいたい寝苦しくて目覚めてみたら、これだ。ゼスはこめかみを押さえながら、ついに叫んだ。

「ライガット、何故貴様が、俺の寝台に潜り込んでいるんだ…!」



「…俺にそれを信じろと言うのか、そんな馬鹿げた言い訳を」

 絶対零度の視線と声が突き刺さる。目の前の友人が超絶不機嫌であることくらいは、ライガットも流石に理解していた。が、そこまでブチ切れられるとは考えてもいなかたし、自分が逆の立場だったとてそこまで怒る理由もないのだ。ところがゼスときたら、気づいた瞬間に人のことを思い切り蹴飛ばすわ投げ飛ばすわ、明らかに本気で嫌がっている。しかも、蹴るにしても殴るにしても両隣の部屋に遠慮してか極力音を立てないようにしているのだから、かなり本気モードだということもわかった。が、そもそも何故そこまでブチ切れるのだか理解出来ないライガットは、熟睡している所を無理矢理たたき起こされたお陰で未だに半分ほど夢の中だった。思わず、欠伸が出る。  「だから、ちょっとした遊び心でだな…」寝台の外に放り出されたライガットは、そのままそこに胡坐で座り込んでいた。「うっ、寒ィ…ちっくしょ、やっぱアッサムって寒いよなぁ」縮こまりながらぽつりと漏らすが、ゼスは鼻を鳴らして見下したような一瞥を寄越すだけだった。

「貴様は馬鹿か?いや、馬鹿なのは知っていたが…何を好き好んで、夜中に友人の寝台に潜り込んで、挙句の果て羽交い絞めにしなきゃならん。理解できん。意味がわからん」
「あぁー……」

 ボリボリと頭と腹を掻きながら面倒くさそうに応じると、ゼスの視線の温度が更に下がる。このまま放っておくと視線で凍らされるなぁと下らないことを考えながら、ライガットははあ、とわざとらしく溜息をついた。

「だから、寒かったからもぐりこんだんだよ。つーかさ別に減るもんじゃねぇし…」口を尖らせながら抗議すると、さらにゼスの眉間に皺が寄り、いよいよゼスの眼が坐ってきた。
「え、も、もしかして、減るの…」
「知るか!」
「……減るのか……」
「減らん!」
「ならいいだろ」
「よくはない」
「何でだよ」
「だから、寒ければ暖房を使って部屋の温度を上げれば…」そこまでを言ってから、急にゼスは口を噤んだ。「……そうか」
「そゆこと。俺、あのテのモノは一切使えねーから」

 軽く指を立てておどけて笑ってみせるが、ゼスはどこかバツの悪そうな思案顔のままだ。「あ、また気にしてるな」
「何を…」
「今、ちょっと、悪いと、思ってるな?」ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら鼻先をつつくと、ものすごい勢いで振り払われる。が、困惑したように向けられる視線は、先ほどまでとは変わって取り付く島がない、という風でもない。ライガットは俯くと、ゼスの視線から隠れるようにして確信の笑みを浮かべる。ついでに、心の中では既にガッツポーズで勝利宣言である。

――これは俺の勝ちだな。

「…貴様の言い訳は把握した。が、それならば着込めばよいだけの話だろう」

 再び目線を厳しくしたゼスは吐き捨てるように言う。ついでにささっと距離をとられたのが、ライガットとしてはなんだか面白くはない。別に引っ付いてたいというわけでも、ないのだが。

「だって、余計な金ねーもん、俺」
「ッ…そういうことなら、着るものくらいは貸してやる、何ならくれてやったって構わん!」
「いやあ、それは悪いだろ?幾ら俺が貧乏人の能無しでもさあ。それに、友達からは借りるなって親父が」
「あとから返せばいい」
「えー、けどなんか、お前に貸し作るのやだし」
「何だその理由は。俺は夜中に寝台に潜り込まれた上に羽交い絞めされて絞め殺されかける方が困る」
「だからそれは…つい、なんか、抱き心地は悪かったんだが…なんとなく?」ちょっとわざとらしく子供染みた仕草で首を傾げたとたん、思い切り何かをぶつけられた。「ぅわっ、ちょお、ま、何すんだよ…ん?」よくよく見れば、ゼスがいつも身に着けている仕立てのよい上着だった。上着とゼスを交互に何度も見やると、眼をそらされた。

「…かわいげに語尾をあげて上目遣いをするな、気持ち悪い」言葉はいつもどおり辛辣なのだが、ビミョウに上擦っているのがおかしくて、ライガットは思わず小さく笑ってしまった。と、すぐさまゼスの恐ろしい視線がこちらに向けられ、ライガットは肩を竦めた。

「ちぇーっ、前から思ってたけど、お前めんどくせえよなあ…そんなん、ただの冗談だって軽く流せよ」
「何処に冗談で友人の寝台にもぐりこむヤツがいるんだ!」
「はぁい、ここに」
「……とにかくッ、戻れ!その上着は貸してやる」
「何だよー何でそこまで俺のこと嫌うんだよーひどいやつだなー」
「嫌っているわけではないだろう!ただ、それとこれとは話が別だ」
「しっ」
「…?!」
「声、デカすぎ」
「………誰のせいだと…」
「んーだからさー、いいだろーちょっとくらい。いい加減寒いし。よっと」せっかく貸してくれた(?)らしい上着もついでと羽織って、ライガットはもぞもぞと再び寝台へともぐりこもうとする。当然、ゼスは全力で追い出そうとしてきた。

「き、さま、何を当たり前のように潜り込んでいるんだ…!」
 顔やら頭やら腕やらをぐいぐいと押されるが、その程度で屈するつもりはなかった。何せ寒い、故郷よりも寒い。去年までは同じようなことをレガッツにやっていて散々嫌がられて殴られ蹴られ時には寝台から蹴り落とされたこともあるが、決して挫けなかったのだ。「まぁまぁ、暖房費節約して経費削減に貢献、ってことで…」ゼスの妨害もそれなりに激しいのだが、先ほどの暖房が使えないという一言が効いたのか、彼にしてはあっさりと、諦めた。それでもライガットが近づこうとするとその分距離を置かれるのだが。
「へっへっへ、俺のねばり勝ちだな…おお、やっぱりあったけえあったけえ」
「まったく…、何を、わけのわからない…」
「そいじゃオヤスミー」

 ゼスがもうひと睨みする前に、ライガットはすでに寝息を立てていた。


 そして、再びこれである。
 先の騒動から一時間も経っていないだろう。なにせゼスは眠りについたという記憶がないのだ。

「ライガット……貴、様、は…」

 が、流石に眠気もあって先ほどのように寝台から放り出す気力がゼスにはなかった。お陰で、先ほどのように背後から羽交い絞めの状態で苦虫を噛み潰したような顔をして、ついでにできるだけ密着状態にならないようになけなしの努力をしているのだが。
 殴ろうにも、相手はすでに熟睡モードらしい。時折背中に頬をすりつけられたりして不気味この上ないのだが、多少蹴ろうが小突こうが起きる気配がないのだ。
 確かに、こうしていると温かいといえば温かかった。故郷にいた頃、幼少の時分より他人と同じ寝台で寝た経験などはない、どころか至近距離で触れ合うようなことも殆どなかったゼスにしてみると、妙な感じはするものの口にしている程の嫌悪感もないのは事実だった。
――いや、だが、やはり特別嬉しいものでは、ないのだがな…。
 どうにもならない、という溜息を落とす。もうこれは、諦めるしかないだろう。そうでなくともライガットは強引なところは強引、というか人の話をきかない。「変なやつ」シギュンは常にライガットをそう評するのだが、それに関してはゼスも異論がなかった。確かに変なやつである。しかも、とびきりだ。

「…まったく、貴様はおかしなヤツだ、ライガット…」

 小声で呟いて、溜息をつく。背後で聞こえてくる寝息に誘われて、瞼が少しずつ重くなってきた。ようやく眠れそうだ――安堵の心地とともに、ゼスの意識は静かに沈んでいった。