休息について 2

 海辺である水没都市エリアは恒常的に風が強い。それも、ただの風ではなくて塩気と湿り気を含んだ風である。水辺や海辺で戦うことも想定されているヨルハ型の機体は地上のいかなる地形・気候でも一定の水準以上の機能を保って行動できるよう設計はされているものの、個体差はあった。2B自身はことさらそれを気にしたこともないのだが、同行している9Sはそのあたりが気になるらしく、砂漠では砂が入り込んで動きにくいやら、海辺は部品が錆びそうだなどとよく文句を言っている。それで9Sの機能が低下しているわけではないのだが、本人曰くモチベーションが違う、らしい。

 モチベーション。それを言うのならば今の2Bのモチベーションはあがっているといってもいい。

 任務の傍らにいつだったかパスカルに頼まれたこの「釣り」は、なかなか興味深かった。

 戦闘任務以外についたことのない2Bが初めて興味を示したものが「釣り」なのだと知ると9Sは驚いていたが、この、水の流れを読みながらポッドを操作して魚(或いは魚型機械生命体)を得るという行動は、戦闘行為では得られない奇妙な充足感を味わうことが出来るのだ。元々アンドロイドの間でも魚を好む個体はそれなりにいて、観賞用として飼うものや、食用のものをわざわざ取り寄せるものもいる。きっかけとなったパスカルが言うには、魚型機械生命体は、機械生命体たちが生活してゆく上で有効な部品やオイルが得られるらしい。

 2Bは魚そのものには興味がなかった。ただ、この釣りという行為が好きなのだ。特に海に生息している魚を釣るのが面白い。適度な緊張感と、潮の流れを見極める目と、一瞬の判断。風や気候、海底の地形の影響もあるから、わざわざ随行ポッドに周囲の海底の地形を調べさせたりもした。最近は9Sが好きで調べてくれるので助かっている。この潮の流れも重要で、河や湖とは違いその時々で釣れる魚が異なってくるのだ。

 今度の狙いは水深の深い場所にしかいないという「カジキ」だ。2Bはまだお目にかかってはおらず、データでのみ知る存在だ。なかなか釣ることのできないといわれているそれだが、ポッド042と9Sの分析結果によれば、今日のこの時間の潮であればかかる可能性が高いとのこと。それならばと、2Bは水没しかかっている廃墟ビルの上に陣取り、こうしてじっと仕掛けて待っているのだった。

 同行している9Sはといえば、先ほどまで2Bが釣り上げた魚(と魚型機械生命体)の解体作業に勤しんでいる。最初のころは2Bも一緒にやっていたのだが、これがなかなかうまくいかなかった。9Sと同じように、教えられたとおりにしているつもりが、ほぼ破壊してしまう。「B型機体は戦闘特化型ですから仕方ないですね」と9Sは言っていたのだが、なんというか、そういうことでもない気がする。

 解体作業は手間がかかるし、それなりに力もいる。魚型機械生命体の場合はともかく、生の魚の死骸はほうっておくとどんどん劣化して悪臭を放つようになるので、鮮度を保つためには釣り上げたその場で〆なければならない――と、9Sが過去のデータを参照していっていたし、実際以前に釣り上げたまま放置していたところ、作戦行動に支障が出るほどの悪臭を放ったので、今は2Bが釣り上げたそばで9Sが〆る、あるいは解体するのが当たり前になっていた。

 一瞬の手ごたえと強い引きを感じてポッドを操作すると、激しい水音とともに巨体が姿を現す。

 ウバザメ型機械生命体だ。初めてお目にかかった時はそのあまりの大きさに驚いたものだが、何度も見ているとこの巨大さにも慣れてしまう。それは9Sも同様であるらしく「うわあ、大きいのがかかりましたねえ」とどうでもいいような感想を漏らしながら一瞥したあとは作業に戻るそぶりを見せたのだが。

「う~ん……案の定、ウバザメやウバザメ型機械生命体も多いんですよねえ」

「面倒なの?」

「面倒というか、機械生命体のほうは無駄に大きい割に希少価値がないんですよね。パスカルもあんまり活用できない、ってぼやいてました。深場に集まる魚の中だとどうしてもひっかかりやすいんですけど。ウバザメは食用可能部位が多いので量がとれるって喜んで買い取って貰えるし、そもそも淡白な味なので調理加工の試行にはもってこいなんですが」

「それなら、これは戻す」

「戻しても大丈夫だと思……あ、でも、こないだパスカルの村の子供たちがウバザメ型機械生命体の話をしたら見たがっていたので、捕獲しておきましょう」

「わかった。とっておくことにする」

「じゃあ、そこにおいておいて下さい。あとで楽に持ち運べるように処理しておきます」

 そこまでを言うと、9Sは作業に戻る。彼の手際は見ていても気持ちのよいくらいによくて、さっさっと必要な部位とそうでない部位を切り分け、買い取ってもらえるもの、調理の試行にまわすものと分別してゆく。主に使いようのない魚の内臓や骨などは植物を育てる肥料として買い取るアンドロイドがいるので、それだけを耐水性のある丈夫な袋に入れ、一方食用可能な部位は、生命体に寄生している微生物類の繁殖を防ぐ加工を施した保存袋にいれてゆく。アンドロイドたちに直接影響を及ぼす微生物類は現存していないのだが、味や細胞を変質させるので特に劣化が好まれない種類のものに関しては簡単な氷温処理まで施すとあって、9Sが処理した生の魚は高価で買い取って貰えるのだ。

 そのあたりのことは2Bはまったくわからないのだが、必要な道具類などはいつの間にか調達してきていて、その上彼が楽しそうなのでやりたいようにやらせていた。

 魚型機械生命体に鮮度や劣化の心配はないので、こちらは主にそのままパスカルの村に持ってゆくことにしていた。ウバザメ型のように極端に大きく運ぶのに支障がある場合は適宜持ち運べる大きさに加工する。そのへんの一時加工はアンドロイドの技術でも可能なのだと聞いて、9Sがパスカルから教わっていた。

 レジスタンスの道具屋でも魚型機械生命体は買い取ってもらえるのだが、こちらはあまり有効活用する手段を持っていないのだ。

 2Bは釣りをしている間は釣りそのものに集中しているので、常に9Sの様子を見ているわけではない。役割分担した以上、時折データ分析結果などが欲しくなるときに9Sに声をかける程度で、普段2Bが釣りをしている間は集中の邪魔をしたくないのかあるいは作業に没頭しているのか、9Sも黙っていることが多かった。

「カジキ、かからないね」

「しょうがないですよ。なかなかお目にかかれない相手なんですから」

「……期待はしてないけど」

 正直なところ、データの裏づけをとっていても確証は持ててはいない。今の今まで釣り上げたことがないのもあるが、同じように釣りを嗜むヨルハ隊員やアンドロイドたちの情報を総合しても、カジキはかかりづらい獲物らしい。だからこそ、という意気込みも、もちろんあるのだが。

「今日は大丈夫です。今までのデータの統計、傾向、地形からも今日のこの場所ならかかります」

 9Sは2Bの顔をまっすぐに見て断言する。

「肯定。ウバザメ型機械生命体及びウバザメが存在する場所にカジキも存在する傾向は高い。また、カジキの習性や地形データ及び過去の行動や釣り上げられた情報を総合すれば、本日午後以降は捕獲率が上がる」

 その9Sの言葉をさらに後押しするようにポッド153も続ける。スキャナータイプとその随行支援ポッドが断言しているし、なにより、こうしてじっと成果を待つ時間というのも、悪くはない。たぶん、これが9Sがよく口にする「楽しい」という感覚なのだろう。

「9Sがそういうなら」

「2Bなら捕獲できますよ、がんばってください」

「わかった」

 気温が少し低下してきた。太陽の光が弱まってきているので、そろそろ地上の夜が始まる。本来――それこそ何万年も昔は、夜といえば太陽が姿を隠し闇に覆われていたという知識はあるが、想像出来るかと言えば否だった。9Sに言わせると明かりのない地下やバンカーの窓から見える宇宙空間のようなものらしいのだが、それと、この地上の景色が闇色に染まる様子が結びつかない。見たことがないのだから、想像のしようがないのだ。

「今日はここまでにする」

 2Bが声をかけると、水上を漂っていたポッド042が所定の位置に戻ってくる。

「報告。ウバザメ型機械生命体3体、タイ型機械生命体6体、シーラカンス4体、タイ7体、合計20体捕獲。カジキは捕獲ならず」

「そろそろ定期メンテナンスをする必要があるし、9Sは疲れてる」

「了解。一度レジスタンスキャンプへ戻ることを推奨」

「えっ、まだカジキは釣り上げてないですし…僕はまだ大丈夫ですよ?」

「今まで釣り上げたものを全部処理しているんだから、疲労は溜まっている。それと、約束がある」

「やくそ…あ、あの件ですか?確かに今度魚を釣り上げたらいっしょに食べようって話はしましたけど」

「皆で食べられるくらいの量もあるから」

 レジスタンスキャンプ付近の水場で釣りをしていたときの約束だ。近くを通りかかったアンドロイドに声をかけられて、レジスタンスの中に魚の料理の研究をしているヤツがいるからそのうち一緒に釣った魚を食べよう、というだけの話なのだが、その時は必要な魚や調理方法がわからずに「そのうち」という返事をしたことを覚えている。

「それと、デボルとポポルがめずらしい調味料を見つけたって言ってた」

「ええーっ、それは僕きいてません!どうして話してくれなかったんですか!」

「9Sは知ってると思った」

「ひどいなあ!2Bは食べることはするけど、調理はしないのに!」

「必要ない」

「必要ないって、いっつも僕より食べるじゃないですか」

「それは9Sが作るから食べるだけ。別に好きなわけじゃない。嫌いでもないけど」

「……デボルさんもポポルさんも人が悪い……直接僕に教えてくれてもいいのに……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、9Sは片づけを始めた。色々と作業をしている分、撤収に時間がかかるのは9Sの方なのだ。それが終わるまで2Bはよく海や川を眺めていることが多い。

 波の音と海風ときらきらと反射する光。どこまでも続いている水面と、ところどころ落し物みたいに点在する廃墟。人類の残した痕跡が風化しかけている中で、独自の生態系を築く魚たちと魚型機械生命体の世界は、目には見えない。けれど、その一端に触れることは楽しい。その生を感じることが、充足感につながる。それを知ったのは、つい最近だけれども。

 もうこの地上にはいない人類も、こんな気持ちだったのだろうか。海を眺めて、この光の反射を浴びて、同じことを考えていたのだろうか。わからないことは考えても無駄なのに、海を眺めているとふとそんな思考にとらわれてしまう。

「お待たせしましたー。帰りましょう、2B」

 支度を整えた9Sを見れば、あたりの掃除までしたらしいのか魚の血や残滓もきれいに片付けられている。確かに、またここに来るだろうから、そのまま放置するよりはよいのだが。

 戦闘時のサポートだけではない。魚を処理したり、料理をしたり、こういう作業をさせたりすると、確かに彼は戦闘だけを想定して作られたのではないのだなと実感する。自分と彼は、根本的には違う。

 今現在アンドロイドたちが直面している対機械生命体の戦闘部隊の一員ではあるものの、むしろその後を見越した存在がS型なのかもしれない。そのために彼らは、とくに9Sは高性能で、多様性をもち、あらゆる可能性を想定されている、そのために――

 ふと、思考が落ちる感覚に陥りそうになった2Bは、かぶりを振ってそれを押しとどめた。まだだ。まだ、彼は、たどりついてはいないのだから。

「明日も来よう」

「そうですね、あと三日くらいはカジキがかかりやすいはずなので、今日は撤収しますけどまた明日から頑張りましょう」

「9S」

「はい?」

「タイは、ひとつは塩焼き」

***

「で、これが、オリーブっていう植物の実からつくった油だ。かなり貴重なものだから、大事に使ってくれよ」

「オリーブはかつて地中海地方と呼ばれていた特定地域で主に栽培されていて、人類の体内に有用な油がとれるから、よく料理にも使われていたそうよ。アンドロイドたちの中でも好事家たちがいるくらいだから」

「確かに、通常の食用油よりも香りが特徴的ですね。見た目もきれいだし、これなら魚独特の臭いとも喧嘩することもないだろうから、色々活用されてたって言われると納得です。これと、ええと、以前教えてもらった香り付けの香草、あれを組み合わせてもいけそうですね…植物系の素材と相性がよさそうです」

「へえ、さすがだな。実際によく香草の類と塩との組み合わせられたデータが多いんだ。やっぱり料理の才能があるんじゃないか、9S」

「こういうのは、材料の特徴とクセ、そういうのを把握してれば簡単ですよ。今は魚を料理する機会が多いので、そういうデータ収集をしつつ実践も出来るので、面白いんです。人類は生きてゆくために食事が必要だったけど、食べるための加工手段である料理がどうして文化として根強く残っていて、こうしてデータまで現存しているのか、機能としては必要がないのに僕たちアンドロイドでも食べ物が食べられるのか、わかる気がするんですよね」

 レジスタンスキャンプに戻り、赤い髪の双子のアンドロイドから新しい調味料を受け取った9Sは、あれこれと彼女たちから聞きながら早速調理に取り掛かっていた。同じようなサポートタイプである彼女たちとはウマが合うのか、話している内容の半分も2Bには理解できないのだが、こうして楽しげに談笑しながら調理をしている9Sを眺めているのは悪くない。

「あっ、ポポルさん!それは別にしておいて下さい。別の味付けにするんで」

「そうなの?一番大きいから、皆で食べる用なのだと思ったのだけど」

「それは特別のやつなので、あとで僕が処理します。こっちの下処理終わったので、もうさっと火をいれちゃいましょう」

「おーい9S、こっちはどうするんだ?もうそろそろ身崩れするぞ」

「すみません、適当なところで火を止めてちょっと蒸らしておいてください!ええっと…ああっ、あんまり触らないで!」

「うわっ崩れた」

「ああー…まあ、でも、大丈夫です……食べるのに問題はないと、思います」

「よし、あいつら酒があればある程度ごまかせるからな、酒を増やそう、酒を」

「デボル、あなたは飲んじゃだめよ」

「なんだよ、少しくらいなら構わないだろ」

「だめなものはだめ。そういえば9S、オリーブオイルはどうするの?」

「あまり量がないので……今回は香り付けだけに使おうかなって思います。色々試してみたいのは山々なんですが、貴重なものですし、せっかくならそのままの味を皆さんで楽しめたほうがいいかなって」

「9Sは素材の味を大事にするタイプだからなあ…森のキャンプにいるやつにも見習わせたいよ」

「僕は知識があんまりないですから。それに、獣肉の臭さって独特ですから、逆に色々と手をかける方法を考えなきゃないんですよ。僕もイノシシの解体は数をこなしてないから得意じゃないですし、あれはあれで難しいんです」

「戦闘部隊には好評よね、イノシシの肉。私は魚のほうが好きだけど」

「そういえば、2Bの担当オペレーターさんも魚が好きっていってたなあ。女性型アンドロイドは、魚が好きな傾向があるんでしょうか。ねえ、2B」

「さあ。私はどっちでもいい」

 ぼんやりと焚き火を眺めていたところに突然話を振られて驚いたが、実際にどちらでもよかった。ジャッカスに渡されたアジにはえらい目に遭わされたので流石に二度目はないが、自分で釣りを楽しむ分おのずと食べる機会が多いのが魚だ、というだけの話で、肉の味や感触が嫌いというわけでもない。

「肉って色々な香辛料の類と組み合わせたり、現存のものでは再現できない調味料をつけて食べたりしてたみたいなんですよね。魚に関してはある特定地域のデータから大量に調理方法や加工技術が見つかってるんですけど。そういえば前にエミールさんのショップから買った植物から作ってた調味料の熟成具合、どうですか?」

「少し味をみてみたのだけど、もう少し寝かせるべきかしら。データにあった味を再現できているか微妙なのよね…これが終わったら、9Sもちょっと味見してみて」

「わかりました。そうだ、そろそろウバザメの焼き上がりの様子も見ないと」

 レジスタンスキャンプの一角には、もともと料理を好む隊員のための作業スペースがあったのだが、その筆頭隊員が現在は森の国のキャンプに滞在しており、彼が異動になる際にそれならば9Sが好きなときに使えるようにとアネモネに頼み込んでくれたらしく、アネモネ自身から好きに使ってくれと言われていた。そのため任務の傍ら調味料になりそうなものを見つけては、加工方法を調べてここに貯蔵させてもらっている。レジスタンス隊員の中には、それを使って独自の料理をしているものもいるしその逆に彼らが準備してくれていることもあるようで、デボルやポポルもその中に含まれていた。もともとあまり他のアンドロイドとは関わりたがらなかった彼女らだが、不思議と2Bや9Sには協力的で、また彼女たちが2Bたちと一緒にいることを咎めるものもいなかった。

 過去の人類に倣って「厨房」と呼ぶようになったのは、いつだったか、誰からだったのかもわからない。ただ、2Bと9Sがこのレジスタンスキャンプに馴染んできたころ、いつしかこの場所はそう呼ばれるようになっていて、そのための道具も揃えられている。

「お、いい匂いだな。何を作ってるんだ?」

「アネモネさん!今日は、2Bが釣った魚と、それから前に貯蔵していたコイやエイもあわせて、レジスタンスキャンプの皆さんと一緒に食事をしようかと思って」

「それはいい。このところ戦闘続きで皆疲れていたからな……労いにもなるだろう。それにしてもすごい量だな…これは、全部、作ったのか?」

「あんまり凝ったことは出来なかったんですけど、デボルさんとポポルさんが手伝ってくれたからなんとかなりそうです」

「報告。ウバザメの表面が火により炭化。内部温度上昇確認。推奨、早急な対応、或いは指示」

「あっ、ありがとうポッド、ちょっと今手を離せないから、それは火を消しておいて!」

「了解。消火開始」

「ポッドまで手伝っているのか?そんなポッド・プログラムがあったのか?」

 アネモネが、「厨房」の傍らの焚き火を囲うレジスタンス隊員に混じっている2Bに奇妙な表情のまま問いかける。

「さあ。ポッド153は9Sの支援ポッドだから、随行するヨルハ隊員の命令に従ってるだけかも」

「……確かに我々アンドロイドも人類に倣ってあえて必要のない調理をしたり食事をしたりするからなあ」

「まあまあアネモネさん。あいつらの作る料理はけっこういけるんですよ。ちっこいのに手際もいいし」

「実は簡単な作業は俺らも手伝ったんです。肝心のところは任せますけどね。これはこれで結構面白いもんだなって」

「そうか。2Bは手伝わないのか?」

「私は、食べる担当だから。手伝っても迷惑かけるし、見てるほうがいい」

 9Sを休ませたくてキャンプに戻ってきたはいいものの、結局また9Sは働きっぱなしである。だが、ポッド153が警告を出すわけではないので、問題ない範囲なのだろう。それに、やっぱりこういうことをやっている9Sは楽しそうで、それを眺めているのが一番よかった。

「そうだなあ、さすがにB型に調理をしろっていうのは、無理難題かもな。そもそもヨルハ部隊で料理を嗜むヤツがいたことのほうが、驚きなんだが」

「私は得意じゃないけど、9Sが好きならそれでいい」

「必要のないこと、ではないんだな」

「9Sの作る料理は、きらいじゃない」

 アネモネは何も答えずに、にっこりと笑ってみせる。それが彼女の答えな気がした。

 目の前に置かれている魚の死体は完璧に調理されていた。咀嚼の邪魔になるウロコは除去され、雑味と苦味にしかならない内臓の類はいっさいない。2Bのリクエスト通り、余計な味付けも調理方法も一切されていない、ただ塩を振りかけて焼いたもの。火の通りを良くするために適宜入れられた切り目から覗く白身と皮目の間の脂の層からほんのりとうまみのもとが流れ落ちる。口に含めばアジほどではないがもっと香りのよい脂身の味わいがひろがり、続く白身のシンプルな味わいと食感は人類が「旨い」と評したのも理解できる。タイという魚はどんな味付けにもあうと9Sはいうのだが、2Bはこの単純な塩焼きが一番好きだった。海水につけおいて若干塩を加えただけの塩加減がまた絶妙で、2Bはひとことも、何も言わず、ゆっくりと、何度も咀嚼を繰り返す。

「え、ええと…2B?あの、あんまり、おいしくありませんでした?」

 あまりにも少しずつ食べる様子に不安を感じたのか、9Sが心配そうに声をかけてくる。

「否定。ヨルハ機体2Bは食事の嗜好に特にこだわりはないが、ヨルハ機体9Sの作るタイの塩焼きは自ら要求する程度には好む」

「黙って」

「拒否。事実の確認。作戦行動を共にする9Sに有用な情報を隠すことは、これからの任務遂行上望ましくはないと判断」

 最近このポッド042も9Sに感化されてきているのか、9Sと勝手に対話することが多くなっている。任務上好ましくないレベルの対話ではないので放っておいているのだが、これは多少問題があるかもしれない。

「あ、なんだ、そういうことなんですね。もしかしたら塩加減が悪かったかな~とか、飽きちゃったのかなあとか心配しちゃいました」

「いいから9S、あなたは少し休んで。さっきからぜんぜん座ってないし食べてない」

「そうなんですけど、やっぱり自分がつくったものをほかの人に食べてもらってるときって、なんか落ち着かなくて。それに、色々感想も聞いておきたいので、もうちょっとしたらゆっくり食べます」

「そう。無理はしないで」

「してないですよ!も~、2Bもへんに心配性ですね?これも一応仕事なんで」

「仕事?」

「あ、いえ、えーと、ちょっと、頼まれごとで…」

 2Bが独自に指令を受けることがあるように、9Sも独自の指令を受けることはある。それが二人で行動していても支障がないようなものであれば、尚更だった。全ヨルハ隊員が地上に赴くことは司令部が必要と判断しない限りはありえない。合理性の側面からいっても、おかしな話でもないのだ。

 ただ、2Bが知らないところで9Sが何かをしていた、ということに、奇妙なひっかかりを覚えた。むずがゆいような、釈然としないような。

「そんなたいしたことじゃなくて、その、この前バンカーに戻ったときに食堂の担当から直接頼まれてて…バンカーにいるだけだといろいろな調理方法や食材を試せないから、地上アンドロイド部隊のひとたちと協力してデータを集めて欲しいって」

「そうなの」

「すみません、黙ってるつもりはなかったんですけど、えっと…」

 9Sがバンカーに戻った折に食堂に用事があるからと、2Bの元を離れたことがあった。バンカー内部であれば「何か」あれば即対応可能であるし、まだその時期ではないと判断したために黙認した、あの時だ。

「……私も敢えて聞かなかったし、今の任務に支障もないから、いい」

 最近頻繁に9Sが担当オペレーターとやりとりをしていたのも、その件だったのだろう。司令部からは何の連絡もないということは、9Sが言うように、単に言い出すタイミングがなかっただけの話だ。

「でも、そうした過去人類文明や文化の情報収集・分析には、別の担当がきちんといるんじゃなかった?専属の部門もあるはず」

「そうなんですけど、料理みたいな完全に嗜好品の類の検証データはまだまだ少なくて、どちらかというと過去データの解析が優先なんですよ。人員も、ほんとうにごく少数ですしね。まして地上にまで赴いて、となると現状ではほぼ無理ですから。けれどさっき話してたみたいに、料理に関するデータは未知の調味料や食材だらけですから、今いるアンドロイドたちが食事を楽しめるようになるのは、当分先の話になりそうです」

「私はこれでいい」

「そうですねえ、アンドロイドが皆2Bみたいだったら、楽なんですけどねえ」

 それだと仕事にならないんですよね。楽しそうに続ける9Sに、2Bは続けようとした言葉を呑み込む。

―――私はそれでいい。このままでいい。なにも、変わる必要はない。

「おおい、こっちの皿なくなったぞー」

「はーい、ちょっと待ってくださいねー、まだ残ってるから今持ってきまーす!うわあ、思ったよりペース早いなあ…ちょっとこれは、想定外」

 ぼやきながら「厨房」に向かおうと、振り向いた9Sの前に、大皿の上に山のように盛り付けられたウバザメの丸焼きが差し出された。

「そろそろなくなると思って持ってきた。あのな、試作でもおいしいって言ったのに、信用しないのが悪い」

「あ、デボルさん、ありがとうございます……って、ここの人たちの食べる量尋常じゃないんですけど?」

「普段食べるものなんて、干し肉やただ辛いだけの香辛料の塊な連中にまともな料理を食わせたら、そりゃこうなるよ」

「デボルったら意地悪なんだから。でも、面白いわよね。本来なら必要のない機能なのに、私たちはおいしいって感じることができる、って」

「人類の味覚は刺激物に慣れると徐々に麻痺してくるっていうデータがあったんですけど、アンドロイドだとやっぱり違うんですね」

「そりゃそうだろ。人類にとっては好まれるものでも、アンドロイドには毒だし、逆もある。だから面白いんだけどな」

「なんかそういうの、ジャッカスさんと似てますよね、デボルさん」

「はあ?勘弁してくれよ……その冗談は笑えない」

「じゃあ、私たちもゆっくりいただくことにするわね、9S。あなたもそうしたら?」

「それは、2Bにも話してたんですけど、皆さんの話を聞いてからにしようかなって」

「ほんとうにそういうところ、スキャナーモデルらしいよな、9Sは」

「そういう性分なんです!」

「わかったわかった、早く行って来い。アルコールがはいると、アネモネ含めてあいつら話にならないからな?」

「アルコール?僕はそんなの準備してないですけど」

「あいつらが何本隠し持ってると思ってるんだよ、そのうち宴会が始まるからな」

「うわっ、それは困る!流石に酩酊状態じゃまともなデータがとれなくなる!それじゃ2Bも、デボルさんもポポルさんも、ゆっくり食べててくださいね!」

 大慌てで集団の一角に走っていった9Sが、大皿を持って彼らの輪の中に入った瞬間に喝采が起きる。

 ほらやっぱり。わざわざデータをとる必要もないのに。バンカーの担当も、9Sに一度調理をさせればいいだけのこと。

「報告。レジスタンスキャンプに存在する全レジスタンス隊員の食味に関するデータ保存進行率10パーセント、変動や個体によるゆらぎの修正を含めると目標達成まで実時間で二時間ほど必要」

「いいよ、ゆっくり食べるから。私のデータはとらなくていい」

「すでにヨルハ機体2Bの食事に関してのデータは保存済み。上書きは現段階では必要なし」

「また勝手なことして…」

「随行支援ポッドは、作戦遂行のサポートに必要な情報を、積極的に、それが命じられなくとも記録する義務がある」

「あまり必要な情報じゃない」

「それを判断するのはヨルハ機体2Bではなく、我々独自の論理行動に基づいて判断される」

「……報告はもういい。おしゃべりもおしまい。達成するまで進行報告もいらない」

「ヨルハ機体2Bは、いささか腹を立てている。原因の憶測、ヨルハ機体9Sの独自の行動。疑問。にも関わらず、ヨルハ機体9Sが独自に頼まれた仕事を手伝っている」

「怒ってないし9Sは関係ない」

「回答の意図が不明」

「わからなくていい」

「……了解」

 それきり、ポッド042も沈黙した。

 耳に届く喧騒の中心には9Sがいて、歩けばすぐ届く距離なのに妙に遠く感じる。

 それでも、彼が作ってくれた料理はおいしい。2Bは特に食事にこだわりはなかったし必要ともしていないが、9Sが作るものはどれでも好ましいと感じるし、また食べたいと思う。それを、他のアンドロイドたちが同じ感想を抱いただけなのだ。それはデボルがいったように当たり前の結果だろうし、9Sの努力が認められたような気もするから悪いことではない。

 それに彼らレジスタンスとの約束を言い出したのは2B自身で、別に何かの意図があったわけでもなんでもない。

「私は9Sに休んでほしいだけ。いろいろ頼んでおいて、いうことじゃないかもしれないけど」

 ぽつりともらした小さな声に、ポッド042は返答を返さなかった。

 ようやく輪の中から解放された9Sはあからさまにへとへとになっていて、食べるものも食べずにレジスタンスキャンプの中にある部屋へと2Bが運んでゆき、寝台に横にしたとたん、すとんと眠りに落ちてしまった。

「だから疲れているって再三言ったのに」

「ああ~……まだちゃんと自分で確認がとれてないから……だめです、もう、むりです……いらないです…データが、まってください…」

 夢の中でもさきほどまでの続きをやっているのか、これほどまでに仕事熱心というか一直線というか、行動を共にして短くはないのでわかってはいたのだが、これでは義体がいくつあっても足りない。とくにこの9Sは、その傾向が強い。だから、目を離すとどこにいくかわからないし、どこか危なっかしい。任務を共にする仲間としては申し分ない性能なのだが、それだけが欠点だった。

「報告。データ保存の終了」

「ありがとう。これは、転送するには圧縮してもデータ量が多すぎるから、9Sが起きたら一度バンカーに戻ろう」

「提案に賛成」

「9Sも一度バンカーできっちりメンテナンスをしたほうがいいと思う。放っておくとすぐ無茶ばかりするし」

「了解」

「それじゃあ私も休むから」

 そういって9Sのそばを離れようとする2Bの指先に、何かが絡みついている。

「9S?起きているの?」

 返事はない。ただ、指先を握っている9Sの指の力は、振り払ってしまえば離れてしまうそれは、2Bの足を止めるには、十分なものだった。

「9S……」

 思い出してしまった。そうではない、知っていた。ひといちばいさみしがりの、好奇心旺盛で、すぐに何でも首をつっこんで、「いっしょにいることがたのしい」と、何度も、何度も、繰り返し何度もいわれたことばと、こえ。

 体温がないはずなのに、あたたかいと感じる指先のこと。となりにいると、不思議と安堵していること。

 何度も、何度も。

 繰り返しているのに、告げられない言葉のことも。考えないようにしていたたくさんのことも。

 ほんの少しの力をくわえて、指先を曲げる。なぜだろう、そこに温度はないはずなのに、やっぱりあたたかい。

 即座に確認しなければよかったと、2Bは手を離す。知らなければよかったしそれは知らない。そんなものは、必要がない。

 何度もいいきかせて。誰かにいいわけをして。そして、最後に誰にもとどかないところに、とじこめて。

 漏らしてはいけないものが些細なことをきっかけにして溢れそうになるのを、呑み込む。何度も繰り返したこと。いつものこと。そう、だから。

「明日も……はやいから。もう、休まなきゃ」

 目が覚めたらバンカーに帰還して、メンテナンスを終えたらまた地上任務に戻るのだ。その後は、急ぎの任務が入らない限りは9Sのことだからまた釣りに行くと言い出すだろう。一度そうと決めたら目標達成までテコでも動かないのは9Sの方だ。それに戦闘任務ではない。正式には、任務でもない。

 それでいい。

 そのときが、くるまでは、このままで。

 誰にも告げられない言葉を2Bが呑み込んだことを、ポッド042だけがログとして記録していた。重ねられるデータは、もう何度目かわからない。

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