■ 芋煮会
芋煮会(いもにかい)とは、日本の主に青森県を除く東北地方各地で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。バーベキューと併行して行われることが多い。
呼称には地域差があるが、総称として「芋煮」「芋煮会」という呼称を用いる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「芋煮……?」
初めて聞く単語に、人差し指を顎にあてながら首をかしげるベレスに向かい、エーデルガルトとディミトリはここぞばかりにどこからか持ち出してきた羊皮紙に描かれたレシピ(丁寧に直筆の絵が描かれている)を掲げてみせる。ベレスは双方に描かれた文字と絵を交互に見ながら、顔には疑問符を浮かべたままだ。
「そうよ、師(せんせい)。この時期、フォドラではいわゆる芋煮と呼ばれる行事があるの。春の花見合戦、秋の芋煮戦争、というようにね。ちなみに我がアドラステア帝国風といえば帝国産最高品質の牛肉を使ったシンプルな帝国風芋煮になるわ」
「へえ。知らなかったな……」
「エーデルガルト、何も知らない先生に先入観を与えるような言い方はよくないだろう。芋煮といえば芋煮発祥の地でもあるファーガス王国産三元豚と根菜類を王国風に煮込んだ王国風芋煮に決まっているじゃないか。それにアドラステアじゃいわゆる帝国風といっても地域によっては違う組み合わせが」
「そういう話は今していないわ。それに、芋煮発祥の地は帝国とも王国とも、元々同盟領とする説もあるわよ。当たり前のように史実を婉曲しないでほしいわね」
「なっ……もっとも一般的な説を言ったまでだろう!」
「駄目よ、そういうところはきっちり事実も含めて説明しなければ。そういう諸説あるから、結局本来の発祥の地もどちらが先だったかも不明、恐らくは土地に根差した作物や気候、そういったものから自ずと分かれたという方が正しいのでしょうけれど、今では帝国風か王国風かで教団や王侯貴族を含めたフォドラ人はおおよそ二派に分かれ、血で血を洗う争いをしているといっても過言ではない……」
「うむ。帝国と王国の和議がなかなか巧くゆかないのも、同盟が安定しないのも、ひとえに帝国風か王国風かで未だ意見が統一されないからだという言説もあり、あながち冗談の類でもないんだ。教会が双方の意見をある程度認めテコ入れをしているからこそ、今のフォドラは辛うじて安定している、ともいえるな」
突如声のトーンを落とし、真顔になるエーデルガルトとディミトリ。これは食べ物の話ではないのか。ベレスは思わずその疑問を口にした。
「そんなに?そんな戦争の火種になりそうな行事を士官学校でやっていいの?」
「所詮食べ物の話よ」「所詮食べ物の話だ」
エーデルガルトとディミトリの声が見事なハーモニーを奏でる。なんだ結局食べ物の話か、とベレスはとりあえず納得した。
「だが、そこは所詮と侮るなかれ、医は食に通じ、食は医に通ず……なめてかかると、痛い目見るぜ。だろ?」
おどけて若干不穏な言葉を付け加えるクロードに、二人の級長は頷いてみせる。ベレスはまたしても状況がわからなくなり、とりあえず未だに腕を高々と掲げっぱなしのエーデルガルトとディミトリの示すそれを、交互に見やった。
「ふうん。帝国風は醤油風、一方王国風は……MISO風味。それに入れる肉が違うんだね」
「ふふ、中でも調味料に目をつけるとは流石師ね。醤油といえば生魚を食べるときによく使うアレよ。師は大好きじゃない?アレが、帝国が誇る醤油という素晴らしき調味料なのよ、中でも……」
「醤油は確かに、新鮮な刺し身を食べるときには必需品で、私はマイボトルにいつもエルからもらった醤油を持ち歩いているよ」
「師……うれしいわ」
「おい、二人とも、我が王国のMISOを軽視しないでもらいたいな。小麦原料のMISOが主ではあるものの、豆MISOや麦MISOといった三大分類に加え塩の量で辛口・甘口とそれだけでも枚挙にいとまがないほど種類もあり、当然だが種類も豊富だ。第一、このガルグ=マクでも大好評(特にダイエット女子)のMISOスープ、あれはエーデルガルト、君も好んで飲んでいるじゃないか」
「ディミトリ、私は何もMISOが劣るとは言ってない、特に青魚とMISOの相性は抜群じゃないか。特に煮魚、あれは最高に贅沢な調理方法だと思う。それに魚が苦手な生徒でも、MISO味にすれば食べられる子も大勢いるしね」
「はいはいお二人さんそこまでな~。俺?俺はまあ……当日までの、ヒミツ、ってやつだ、なぁ先生?」
「……ん?うちのクラスは秘密なのか?」
「ちょ、まてまて先生、ダメだって、アレは金鹿学級の名誉を賭けた起死回生の秘策なんだからさ~、絶対に喋ってくれるなよ、少なくとも、こいつらの前ではな!」
そもそも、何をするかなどということはクロードから聞いたことはないし、芋煮会などという行事も初めて聞いたのだ。そんな顔をしていたのだろう、クロードはわかっているとばかりに片目を閉じてみせるのだ。相変わらずのペースを崩さない教え子にため息をつきながらも、食べる事だけにはやたらと執着しているベレスはその年に一度という行事が今から楽しみになってきていた。
***
「そういえば殿下って、食べ物にこだわりはないっておっしゃる割にMISO結構好きですよね。何か理由とか、あるんですか?」
今日も今日とて食堂に通い、生徒たちと親交を深めるという大義名分のもと暴食に勤しもうとしていたベレスの耳に、妙に気になる言葉が飛び込んできた。見れば、青獅子学級のアッシュとドゥドゥーが厨房で調理をしており、級長であるディミトリが最寄りの席に座って料理が出来上がるのを待っている様子だ。アッシュとドゥドゥーといえば、料理が得意な二人である。間違いなく美味しいものにありつけるこの機を逃すなとばかりに、ベレスはすぐさまディミトリに声をかけた。
「訓練帰りかい?」
「ああ、先生か。まあそんなところだ。ちょうど小腹がすいてな、匂いに誘われて寄ってみれば、アッシュとドゥドゥーが料理をしていたというわけさ」
「で、君がMISOを好んでいるっていうのは、実際どういう理由かちょっと気になったんだけど、聞いてもいいかな。確かにアッシュの言う通り、あまり食べ物にはこだわってない印象だったけど」
「まあ殊更に隠すような話でもないしな……。昔、幼馴染が――幼馴染と言っても、一緒に過ごしたのは一年程度だったんだが、彼女が俺に食べさせてくれた料理の味が忘れなくてな、ただそれだけの話なんだ」
「へえ!意外ですね、殿下にもそういう話があっただなんて……でも、なんとなくわかります。昔食べた美味しい料理って、忘れらないですからね」
「ああ。彼女は俺がすぐさま料理を気に入ったことに気をよくしたのか、別れ際に特製MISOを渡してくれた……アッシュ、お前にも食べさせたことがあるぞ。王国では白MISOは珍しいからな」
「あの時の……!確かに、王国では赤MISOが主体ですから、白MISOの優しい風味と素直な味わいは、料理の幅が広がるなって思ったんです。それに赤MISOに比べると溶けやすくて調味の材料のひとつとしても使いやすいですし、出来れば色々と試作するために入手したいんですが、アンナさんに聞いてもなかなか難しいらしくて……」
「ガルグ=マクも赤MISO文化圏だし、帝国でもアンヴァル中心でしか作られていないからな、入手しづらく高価であるのは仕方ないかもしれない」
「……言われてみれば、私も白MISO料理はあまり食べたことがないな……」
「そうですね、僕がこの間ようやく手に入れた白MISOで西京焼きを作った時は、結局殿下一人で殆ど食べちゃいましたしね」
「ア、アッシュ……!あれはまあ、その、なんだ……」
「ふうん、君たちの学級じゃあそんな楽しそうなことをしてたのか……」
「いやそれを言うなら先生たちの金鹿学級には及ばないぞ。毎節事あるごとに修道院外に出かけては狩りのついでだ訓練のついでだと、料理大会をしているそうじゃないか。イングリットが羨ましそうに話していた」
「……うちの学級の秘密を漏らすなんて、犯人はだいたいシルヴァンだな。ことあるごとに何故かしれっと混ざってきてるし。あとでラファエルの訓練にでも付き合わせておこう」
「はは……そういえば彼、早々に金鹿学級に移籍したいとかいってましたしね!たまに授業中姿を見ないなと思ってたけど、そういうことだったんだ……」
「……殿下、出来ました。今日は豚肉のMISO漬け焼きです。アッシュが特製の甘MISOに丹念に漬け込んで、熟成させたものですので、非常に味わい深く柔らか仕上がっております」
「そうか!それをお前が焼いてくれたのだな、ドゥドゥー。折角だし先生も一緒に食べようじゃないか。ファーガス神聖王国が誇るこのMISO漬け焼きを」
「ありがとう、さっそく頂くことにするよ」
そんな風に青獅子の面々とベレスが和気藹々と食事を楽しんでいる一方で、その一角を占拠した怪しい集団基黒鷲学級の一部生徒が、非常に堂々と秘密の調味料の開発に勤しんでいた。
「ううう、ベルがなんでこんなこと……」
「エーデルガルト様が貴女の味覚を見込んでのことです、嫌とは言わせませんよ」
「ぴゃああああっ、だっだからヒューベルトさんこわいですって!ベ、ベ、ベルに近づかないでくださいィィ!今ベルはとっても大事な調味の最中なのでっ、えっとっ、集中したいのでっ、出来れば黙っていて気配も消しててほしいかな的なっ!」
「ですから先ほどから気配は消しているではありませんか。それでも貴女の作業の手伝いはしていますよ」
「ヒィィイィ、わ、わかってますゥゥ!ヒューベルトさんの地味にとっても手際がいいの、無茶苦茶助かってるんですけど、そそそその、突然声をかけられるとあわ、あわあわわわわわああああ」
「ふむ、なるほど……これは通常の砂糖で出るコクではないですね……三温糖を使いましたかな?」
「はいィィイイその通りでございまするゥゥゥゥ」
「やはり貴女の味覚はなかなかに鋭い……その発想はありませんでしたね。ですが考えてみればエーデルガルト様も、この白砂糖ではない三温糖を使用した菓子がいたくお気に入りでして」
「は、はぁ、そうなんですか。ベルは煮物とかするならいつもこっちを使っちゃうんですよね。カドがないっていうか、甘ったるさがなくなるっていうか。なので、どうせお醤油に入れるならこっちのほうがいいかなーって、結局このお醤油モドキ(仮)も調味料なわけですし」
目下ベルナデッタとヒューベルトは、食堂の一角を占領して秘密の調味料の合成中だった。周囲にバリケード替わりの衝立を準備するなど、敵の情報収集を遮る手段も万全だ。天井まで届くような衝立をわざわざ作り匂いですら漏洩させないという徹底ぶりである。ただし排気口を完全に塞いでしまうと匂いが立ち込めて己の味覚が損なわれてしまうため、厨房の排気口のすぐ傍らには賄賂(お食事三回分)で雇ったカスパルとリンハルトが見張り(?)よろしく陣取っており決して人(他クラスの生徒)を近づけないようにしている。ただしリンハルトは完全に寝ている。やや人選に問題ありである。なお厨房サイドの見張りはペトラとフェルディナント=フォン=エ(略)なのでこちらは人選的に全く問題はない。フェルディナント=フォン=エ(略)の声が無駄に大きいので、中の会話も聞こえづらいというメリットもあり、漏れ聞こえる可能性はやはり厨房サイドの方が高いだろうからだ。
エーデルガルトとヒューベルトの二人で協議を重ねた結果このような人選になったのだ。問題の排気口側は、最悪リンハルトが寝ていても食べ物で買収されたカスパルはフェルディナント=フォン=エ(略)よろしく声も大きいので一応役に立つだろう、という算段だ。カスパルはよく寝ているリンハルトに向かって一方的にしゃべっていることがあるのも、この人選の理由でもある。
「ふうっ、でっきましたあ~。どどど、どうぞ、ヒューベルトさん、おおさめください……」
殆ど黒い液体調味料を鍋から小皿に写し取り、まるで最後の審判を待つ敬虔な信徒のような様相でベルナデッタはヒューベルトにそれを差し出した。ヒューベルトは微妙に納得できないような顔をしつつもそのまま受け取り、口に含む。
「くくく……うまい……ですな」
「ほえ?」
「味わいは深さもありながらすっきりキレもよい、それに、上手く魚介類の出汁も染み出ていて甘みも旨味も十分に感じられながら醤油本来の風味も損なわれず……、理想的な醤油風調味料ではないですか。ベルナデッタ殿、流石です」
ヒューベルトは例の人相の悪い笑顔でクックッと一人含み笑いをする。よほど彼の好みに合致したのか、もう一匙、と勝手に鍋から拝借して味わっている始末だ。対するベルナデッタはといえばどういう反応を想定していたのか、ぽかんとしている。
「え、えっと……ベル、褒められてます?」
「……もちろんです。これならば、エーデルガルド様もご満足されるでしょう」
「え、や、ほ、ほんとですかぁ?!ほんとに?ベル、もしかしてすごいです?」
「……ええ、それはもう、部分的には突出した才能はあるでしょうな」
「ひっ」
一瞬、ベルナデッタは引きつったような声を出す。これにはヒューベルトも流石に想定外だったのか小皿を脇に置きベルナデッタを注視してしまったのだが(あまり見ないでくれとか笑わないでくれとか色々な注文を付けられていたので、ヒューベルトはベルナデッタをあまり直視しないようにしていたのだが)、次の瞬間に出てきたのは、ベルナデッタの絶叫だった。
「ぃいやったーーーーーーーーーーーーーーー!ヒューベルトさんに!褒められましたッ、ベル、すごい!あの、あのヒューベルトさんに褒められました!やったああああ!」
ガッツポーズをとってジャンプまでするベルナデッタ。それを無表情で見守るヒューベルト。帝国謹製マル秘調味料開発現場の進捗は、順調のようである。
***
「うーん、どうやら敵は調味料の開発に成功したようですね……どうしましょうか、リシテアさん」
「どうしましょうかって、どうもこうもないじゃないですか。かっぱらうんです」
「か……?あ、はあ、まあそうですよねえ、クロード君もそう言いそうですし……」
場所は食堂の外は厨房脇、つまり排気口の側。地面に這いつくばるようにして排気口に顔を近づけているイグナーツと、その後ろで座って菓子を頬張りながら様子をうかがっているリシテアの姿があった。
なお買収の上に買収された(食事三日分とリシテア秘蔵のお菓子)おかげでしばらく食事に事欠かないカスパルは「おっこういうなかなか菓子もいけるんだなあ」などと専らリシテア特選甘味に舌鼓をうち、リンハルトは昼寝をしている。
「ほらイグナーツ、あんた、先生にその観察眼と隠密力を見込まれてるんですから、どうにかしてください」
「い、いや、どうにかしてくださいって言っても、いくらボクでも壁の向こうの様子は見れませんよ………ただまあ、そうですね、会話からなんとなく使用した調味料の種類は憶測できますし、あとは配合比率の問題なので繰り返し試作すればある程度真似はできるかと。それに、エーデルガルトさんのことですから、多分ボクたちにもふるまってくれますよ」
厨房の中ではフェルディナント=フォン=エ(略)の謎の名乗りが先ほどからよく聞こえてくるのだが、それでもイグナーツはきっちりとベルナッデッタとヒューベルトの声を聞き取っていた。良いのは目だけではなかったらしい。なお、こちら二人は潜伏行為をしているので、会話はあくまでも小声である。フェルディナント=フォン=エ(略)の無駄にでかい声のお陰で存在があまりバレていないのは、渡りに船というやつだ。
「ふんふん、なるほど……つまりエーデルガルトのあの性格を逆手にとって、私たちも問題の調味料を味わえればいい、そういうことですね」
「流石リシテアさん、話が早いです。料理ならレオニーさんも素朴なものなら得意ですから手伝って貰えばなんとかなるんじゃないかな」
「そうですね。わたしは菓子を作るのは得意ですけど、普通の料理は苦手なので」
「ただしクロード君はダメです。何を作るかわかりません」
「おいおい、人聞きが悪いなイグナーツ」
「ク、クロード君(小声)……」
「よお、進捗はどうだい、偵察班」
突然すぎる級長の出現に二人は慌てるも、イグナーツはすぐさま気を取り直し、リシテアはといえば相変わらず菓子を頬張っている。
「そうですねえ、敵が調味料の開発に成功したので、どうせならおだてて私たちも味わって味を盗もうかっていうところまでいきました」
「リ、リシテアさぁん、そこでずっとお菓子食べてただけじゃないですかー」
「いいんです、あんたの手柄は私の手柄でもあります。バディとは、そういうものです」
「いえそれ絶対違いますよ……あ。それでクロードくん、リシテアさんの言う通りなんですけど、どうせなら調味料そのものを味わいたいじゃないですか。会話から憶測する範囲だと、おそらくは帝国で主に使われている醤油がベースの合成調味料のようです。材料は醤油に三温糖に魚介類の出汁ですね……ガルグ=マクで入手可能な魚介類は限られてますし、まして調味料に加えられるようなものとなると限定できますから、あとはボクとレオニーさんとで試行錯誤すれば恐らくは再現はできると思います」
流暢なイグナーツの報告を一語一句クロードは聞き漏らさずに聞き、頷く。
「ほお、流石我が学級が誇るアサシン兼スナイパーだ。壁の向こう側の情報をよくそこまで見抜くなあ」
「いやあ……ほら、ここから匂いもわかりますしね。あとは適当に会話から憶測してるだけですよ、それとここ数節ずっと料理関係の本読まされてましたしやたらと複数の似たような調味料の味見もさせられてましたから」
「……あんた、たまに本気ですごいですよね、素直に感心します」
そこまで褒められて気をよくしたイグナーツが立ち上がりへらりと笑おうとすると、いつの間にかその背後には担任のベレスが立っていた。先ほどまでアッシュとドゥドゥーの特性料理に舌鼓をうっていたはずなのだが、そこはベレスである。あっというまにぺろりと平らげてしまった。
「そう。そこで私の出番だね」
「先生!」三人の声が重なる。一体いつ近づいてきたのか、そもそも基本修道院内を走り回っているベレスこそ神出鬼没でありその居場所は本人以外殆どわかないといっても過言ではないのだが、いったい何をしにここに来たのか。はて、この秘密調査の話は担任ベレスにはしていなかったはずだがなあ、などと担任の神出鬼没ぶりに慣れているクロードはのんきに考えていたのだが。
「醤油の合成調味料を味わうなら、魚介、それも新鮮な魚介類!わかった、私が釣って来るよ!」
すべてを聞いていたのか聞いていないのか、都合がいいところだけを聞いていたのかわからないのだが、ベレスは皆があっけにとられている間に意気揚々と釣り餌を準備して釣り池への階段を降りていった。
「……先生。単にあれ、釣りがしたいだけですよね……なんかいつも釣り道具持ってますし……」
「皆まで言うなよイグナーツ。先生の行動を妨害は、何人たりともできやしないんだ」
「どうせなら甘味の材料をとってきてくれればいいのに……わたし、魚はあんまり得意じゃないし」
「まあ、先生の言ってることは一理ある。よくデアドラでも食べさせられていただろう、白身魚のマリネだとかホワイトトラウトのスモークだとか、ああいうのの延長線上だな。先生が卸した魚をそのまま食べるのはなかなか絶品だし、エーデルガルトが食いつかないわけがない」
「そうですね。多分エーデルガルトのことだから、先生に食べてほしくて件の調味料を持ってくるに決まってます。先生が生魚を釣って食べるのが趣味なのは、修道院中の常識ですから。醤油を最初に持ってきたのも彼女でしたし」
クロードにイグナーツ、リシテアはなんとなくベレスの行動に納得してしまった。カスパルは気にしておらず、リンハルトは相変わらず寝ている。
「ちょっと待つんだそこの三人組。魚ならば我が王国が誇るMISO煮、そしてMISOといえば特性牡丹鍋専用MISO……青獅子組が誇るドゥドゥーとアッシュにより共同開発された牡丹鍋専用MISOをぜひ、食してもらわねばならないと思い、こいつを狩ってきた」
「え、ええと、ディミトリ君?」
「いやなに?突然出てきて何の話してるんです、あんた。あと声でかいです」
三人の前に巨大なイノシシを引きずって颯爽と登場したのは、青獅子学級の級長でもあるディミトリだった。王子様然とした風貌からは想像がつかない怪力の持ち主でもあり、訓練場ではよく武器を破壊する光景が目撃されている。なお、先ほど彼が訓練といっていたのは実はイノシシ狩りの隠語であり、主に青獅子学級でしか通用しないのだが、馬鹿正直素直なディミトリはベレスにも通用すると思って訓練のようなものだ、と答えただけである。
なおカスパルはこの時点で最早指定場所にはいない。任務に飽きてしまい、寝ているリンハルトを放置して本来の訓練場に行ってしまった。職務怠慢というか職務放棄も甚だしいのだが、カスパルなので仕方なかった。
「陛下が、このようなこともあろうかと、イノシシを捕獲されてきたのだ。我々の芋煮はMISO味、決して他に劣るということはない……」
「いや待ってください、まずボクたち魚の話してましたし、イノシシと豚ってまず違いますよね?!確かにイノシシは豚の原種といえますけど、味付けも違いますよね?!何故そこでイノシシなんですか?(小声)」
「イグナーツ、あんたキャラ変わってます。その疑問は当然ですけど。わたしも食べたことはないけれど、確か豚の芋煮と牡丹鍋はそもそも調味料が違うはずで……」
「うむ、その通りだ。今日はとりあえずイノシシを解体してMISOを作るところまでだ。それに、先生が釣ってきたホワイトトラウトは西京焼きにする。あれもなかなかに旨いからな。特にアッシュの作る西京焼きは最高だ」
リシテアに注意されたからなのか、ディミトリは律義に声の音量を落としてくれた。ファーガス神聖王国王子はこういうところは妙に物分かりがよく、紳士的なのである。しかし話はまったく聞いてない。話題を変えるのは無理だろうと踏んだ三人は諦めてディミトリに付き合う優しさと心の余裕を持ち合わせていた。
「わ、わたしは遠慮しておきます……魚は、その、苦手というか、なんというか……」
「ふ~ん、そういえば俺はまだそいつは食ったことがないな。先生が釣った魚なら間違いはないだろうし、敵情視察といこうじゃないか、なあ、イグナーツ」
「そうですね。食べてみればどういうものか、把握できると思いますし。牡丹鍋の件もそうですけど、流石ディミトリ君ですね、正々堂々としています」
「そうだろう。やはり勝負事というのは、正々堂々とやるべきだ。君らのようにスパイ行為をせずとも、な」
そこで腕を組むとか胸をそらすとかすればただの嫌味になるのだが、ディミトリは決してそういったことはしない。あくまでもこの発言は、素である。
クロードとイグナーツは苦笑して、リシテアは小さなため息をつきながら菓子を頬張る(彼女の懐からは無限に菓子が沸いてくる説がある)。リンハルトは相変わらず寝ていた。
***
そして芋煮鷲獅子対抗戦前日。
「イノシシがない!!!!」
青獅子学級の教室に、級長ディミトリの悲痛極まりない絶叫が響き渡る。ドゥドゥーが必死になだめるも、ディミトリの怒りは収まる様子がない。
「イノシシが!!」
普段の紳士的な態度が嘘のように、五歳児のようにその場で暴れている。それを呆れたように面白半分で見守っているのは幼馴染三人組だ。
「あんなでかいものがなくわけがないだろう」
「ははっ、こりゃ殿下のトドメの刺し方が甘かったんじゃあないですかねえ」
「シルヴァン!ガチ切れ状態の殿下を煽ってどうするのよ」
「くっ……イノシシがなくなるなど……これでは、明日の芋煮鷲獅子対抗戦はどうすればいいんだ!」
「うーん、殿下がまた仕留めてくればいいんじゃないですか?」
「バカ!今からって、もうお昼近いのよ?仮に殿下が秒でイノシシを捕まえてきたとしても、捌いて血抜きをして下処理をして……で、明日まで間に合うわけがないじゃない!徹夜でもする気?」
「いやそれは……そうだな、お前の言う通りだな……」
「そもそも主題がずれてないか。今回は芋煮対抗戦で、王国の芋煮は豚が主体だろう。何故イノシシなんだ」
「イノシシがたまたま目の前にいたから仕留めただけだ。そこにイノシシがいるなら、仕留めなければならないだろう、あれはここ五年でも稀にみる巨大な獲物だったんだ……」
フェリクスの冷静なツッコミもまったく通じてないディミトリはまるでこの世の終わりのような顔で今度は奈落の底まで落ち込んでいる。シルヴァンとイングリットもこれには重たいため息を落とすしかない。こうなると、ディミトリは割とどうにもならない。
「まあ、……似てるっちゃ似てますけどね……芋煮に出すには、割と無理があるような」
「……殿下には殿下のお考えがあってのこと、おれは殿下の考えを支持します」
「ありがとう、ドゥドゥー」
「いやいやいい話っぽくしてますけどね殿下?そういう問題じゃないですよ?本当にどうしたもんかなあ……」
シルヴァンが幼馴染二人に水を向けるも、二人ともこれといって何か思いつくわけもなく、唸るだけである。イザというときに(料理に関しては)役に立たない三人組であった。
「ああ、いたいた、いやいや皆さん方お揃いで」
そこに、クロードとエーデルガルトの二人がやってくる。クロードはいつものにやけ顔、エーデルガルトはどこかバツが悪そうな表情だ。
「……二人とも、どうかしたのか」
二人がやってきたことで、一応ディミトリは我に返る。それまではイノシシンのことしか考えていなかった。イノシシがイノシシたるゆえんである。
「いやあそれがなあ、実は謝らなきゃならないことがあってな」
クロードも多少申し訳なさそうな顔をしているし、エーデルガルトは額に指をあててため息交じりに首を横に振った。二人の意図がわからないディミトリはよくわからないという顔のままだ。
「……ごめんなさい。私の学級のカスパルと、金鹿学級のラファエルが、二人で厨房に保管してあった処理済みのイノシシ肉を、全部食べてしまったのよ……焼肉パーティーだって、夜通し二人で食べていたみたいで」
エーデルガルトが告げた言葉に、絶句するディミトリ。ドン引きする三人組。こんな状況だというにも関わらず、ドゥドゥーはいつも通り無言でディミトリの背後に立っている。
「あ……あの量を、二人で食べただと?」
思わず声が上ずってしまうほど、フェリクスもやや困惑気味だが当然だろう。ディミトリが捕ってきたイノシシは、実際平均以上の大きさだったし、解体に携わって苦労したのは他ならぬフェリクスなのだ。
「えっ本気でいってんです?」
「……さすがの私も、ちょっとあれを半分食べるのは無理よ……焼肉パーティーにはちょっと惹かれるけど」
「いやいやイングリット、そこは本心でも伏せとけよ、流石に」
「いやほんっにと悪かった!で、流石にそのままでは申し訳が立たないから、エーデルガルトと二人で、コイツを持ってきたんだ」
クロードが腰を折り顔の前で両手を合わせながら大仰に謝ると、エーデルガルトが何やら巨大な木箱を運んできて、徐に蓋を開ける。そこには、解体から下処理まできっちりと施された色艶の良い豚肉がはちきれんばかりに入っていた。
「我がアドラステア帝国では牛肉料理が一般的で広く知られているけれど、決して豚肉料理がないわけでも、豚肉の品質が他よりも劣るというわけでもないわ」
「王国産の豚とはまた違うかもしれないが、同盟領の誇る交種や帝国の純粋な黒豚も悪くはないだろう?」
そこまでを、人の好い笑みできっぱりといわれ、ディミトリは怒りと悲しみと絶望がごちゃまぜになった拳を収めざるを得ない。量的には確かにディミトリが仕留めた巨大イノシシには劣るものの、豚肉はイノシシ肉よりも万人向けで調理もしやすい。何より彼は紳士であり騎士である。まだ爆発はしてない。事実、王国産といえば体色の白い交配種が主体であるが、同盟領はやや褐色で、帝国では黒色である。肉質そのものでいえば、実は黒豚の品質がもっともよいとされているのだが、帝国では牛肉もよく食されることからあまり有名ではなかった――これは余談になる。
何より、二人が持ってきた豚肉は非常に品質の良いものだということを、豚肉王国ファーガスの王子だからこそ、ディミトリは一目見て理解した。何なら今すぐ芋煮焼肉生姜焼き角煮その他料理にしてしまいたい欲を必死に抑えるために武者震いをしてしまうほどに、その色つやも香りも理想的な豚肉がそこにあった。
「そういうわけなの。だから、今回に限ってはウチの白MISOも使ってちょうだい。王国の赤MISOと混ぜてればまた違う風味の味わいになるでしょうから」
「……クロード、それにエーデルガルト……そうか……。ならば俺も仔細を問わず今回のことは水に流そう。何、イノシシ程度、いつでも狩ってこれるからな」
二人の謎の勢いに、なぜか納得してしまうディミトリ。それでいいのかという顔をするシルヴァンと、どうしようもないなと首を振るフェリクスに小さなため息をつくイングリット。ドゥドゥーだけはいつもと変わらず、主君の言葉にただ頷くだけだった。
***
エーデルガルトと別れ、金鹿学級の教室に戻り、きっちりとドアを閉めて声を潜めるクロード。
「さてと、明日はいよいよ芋煮鷲獅子対抗戦なわけだが。今回俺たちは、レオニーの出身サフィン村特性のきりたんぽ鍋風で行こうと思うんだ」
そこには金鹿学級の面々及びベレスが勢ぞろいしていた。皆、級長の言葉に襟を正して注目する。ベレスに至ってはなぜか戦闘前かといわんばかりに前のめりで気合が入っている様子。彼女はきりたんぽ鍋を食べたことがなく、未知のメニューとの出会いに内心小躍りせんばかりに喜んでいるのだが、あくまでも担任としての面子もあり、基本感情が顔に出ないので端から見るとただ気合が入っているだけのように見えるのだ。なおなぜかメニューが鍋にすり替わっていることに関しては、ベレスは全く気にしてはいない。
そんななぜか緊迫した空気の中、リシテアがすっと手をあげる。
「……ええと。質問、いいですか」
「ああ、いいぜリシテア」
「今回は、っていうのは、どういう意味です?」
「そのまんまの意味だが?」
「あとどさくさに紛れて鍋になってますけど、里芋入ってないじゃないですか」
「気にするな、同盟じゃよくあることだしそもそも芋煮も鍋も似たようなもんだろ。里芋は無理矢理いれればいい」
「はあ……まあ、そうですね、要するに呼び方の違いなわけですし。これ禁句ですけど。それはともかく、前日まで色々と伏せられていて、しかも調理方法はレオニーしかわからないって、大丈夫なんですか?」
ベレスはそれは確かに、と頷き、一部以外もその通りと言わんばかりに同意する。
「おいおい、まるで俺が諮り事でもしてるみたいに言うなよなあ。それに、調理に関しちゃ全く問題はないよな、イグナーツにレオニー」
クロードの言葉を受けて胸を張るレオニーと、勢いよく頷くイグナーツ。二人を見てクロードもいい笑顔になる。成程これは何か企んでいるな、とベレスは思った。
「まぁな。わたしはよく冬場になると作ってたし、イグナーツは器用だから教えたらすぐ覚えてくれたよ。それに、例の特性調味料も相性はバッチリで、ぶっつけ本番でも問題ないよ」
「はい。意外と簡単に再現できましたよね。材料が判ったのは大きかったと思います。メインのきりたんぽはレオニーさんが事前に調達してくれてますし」
「……それって、二人は事前に何をやるか知ってたっていうこと?えー、なんかずるーい」
「まぁまあヒルダ。私も知らなかったから、そこはクロードのやることだし」
「せんせーがそういうなら、いいですけどー」
「それから実はマリアンヌも手伝ってくれて大助かりだったよ。なぁマリアンヌ」
「……え、ええと……はい……その……私も……きりたんぽは、食べたことが……あるので」
「えっうそ、マリアンヌちゃんも手伝ってたの?」
「鶏肉はエドマンド辺境伯領の地鶏が有名だからな」
「待ちたまえ諸君、我がグロスタール領が誇る特製品、Amorphophallus rhizomeやAbura–age‐tofuを忘れてもらっては困るな(小声)」
フェルディナント=フォン=エ(略)とは違い一応声を潜めるローレンツ=ヘルマン=グロスタールは空気の読める男である。だがしかしきっちり自領のアピールも欠かさない。
「もちろん忘れちゃいないさ、そいつらも立派な脇役だからな。脇役がきっちりしていてこそ、鍋はより旨くなる、フォドラじゃあ常識だ」
***
他方エーデルガルトが級長を務める黒鷲学級の教室は、血なまぐさいやら強烈な香辛料の臭いで、非常に混沌としていた。見れば教室のあちこちに解体された牛の肉が肉屋よろしく吊り下げられており、その周囲には申し訳程度に臭い消しの香草類がぶら下げてある。そして教室の奥一角から独特の強烈な臭いを発する瓶があり、中は黄色い粉で満たされていた。それもこれも他学級に見られないようにと食材を教室の中で(流石に肉の処理は郊外でやり、荷台で運んできた)保管しているというわけだ。臭いの強烈ささえ気にしなければ悪い案ではない。臭いの強烈ささえ気にしなければ。それには強い忍耐力と集中力、そしてスルー力が必要とされるので素人が真似をしてはいけない。
「というわけで、今回は正々堂々、私たちの持ち味で勝負するわ。ベルナデッタとヒューベルトが開発してくれた味〇ジュウはこれだけで充分に味わいが深い出来だし、牛肉に関してはフェルディナントが既に解体してくれて熟成もきっちり済んでいるわ」
「うむ、この不肖ながらフェルディナント、全力で解体させてもらったぞ!おかげで少々全身がなまぐさくなってしまったが、これも芋煮のためと思えば……」
「声は大きくてうるさかったけどね。ありがとう、フェルディナント。それからキノコ類もペトラがたくさん集めてきてくれて、質は最高。里芋に関しては説明するまでもないわね。今日のため、アドラステアでは最高品質のものを必要分商人に運ばせておいた。あとは敢えて策を弄するまでもなく、私たちは私たちの芋煮を作るだけよ」
「くくく……出来上がったものにペトラ殿が持ってきてくれた香辛料を入れて〆を楽しむという案は、流石に他の学級では思いつかないでしょうな……」
「そうね。敢えて作戦があるとするならば、黒鷲二個小隊作戦よ」
「……ええとエーデルちゃん?要するに、芋煮をして、更に〆で決める……つまり二段階作戦する、ということよね?」
相変わらずの無茶苦茶でそれっぽいエーデルガルトのセンスに黒鷲学級の生徒の間にはやさしい空気が漂う。彼女のそういうところは、妙にかわいらしいなというのは皆の共通認識だった。
「そ、そうともいうわね……ともかく、芋煮を作り終えて審査員の先生方に食べて頂いたら、最後に〆のこのブリギット製特製香辛料を入れてうどんを入れて食べる、皆もわかっていると思うけれど」
「……ふあぁ、そうですねえ、〆にうどんは、基本ですからねえ……うどんを認めない派が帝国内にも存在しているとか、最初聞いたとき冗談かと思いましたけど」
「特製香辛料、おいしい、とても、です。エーデルガルト様、気に入る、でした。ベルナデッタ、調味、上手、です」
「え、えへへ……結構楽しいんですよね……今回はドロテアさんも手伝ってくれましたし」
「ベルちゃんて、そういうセンス結構いいのよねぇ、味〇ジュウもそうだけど。ほんとにわけてほしいくらいだわ……この特製香味料、手早く何か作る時とても役に立ちそうだし」
「おう、むしろうどんいれてからが本番だよな!オレ、5杯はいけるぜ!」
「君みたいな主食とかおかずとかそっちのけでとにかく量が食べられればいいってヤツにはうってつけの料理だと思うよ……」
「わかってるなあ、リンハルト、これが一石二鳥ってやつだろ!こないだ覚えたんだぜ」
相変わらず言いたいこと言いやりたいことをやる黒鷲教室のメンバーは、好き勝手やりつつも何故か謎のまとまりを見せるのだった。
そうしてわいわいと騒いだりこっそり持ち込んだ携帯食を食べたりしている生徒たちを他所に、エーデルガルトとヒューベルトは教室の物陰に行き、安定の密談を開始する。
「しかしエーデルガルト様も物好きなことを……敵にわざわざ塩を送るような真似などせずともよかったのでは?」
「あら、そんなことをして勝ったところで、牛芋煮のよさを広めるという野望にはつながらないわ。あくまでも別の食文化が根付いている彼らに、正々堂々と同じ品質のもので勝利してこそ我がアドラステア帝国が誇る芋煮を広めることに繋がるというものよ」
ヒューベルトは最後までディミトリに帝国産の豚肉や調味料を渡すのを反対していたのだ。だが、これは彼があくまでも万難を排するという思考からの言葉であり、エーデルガルトのやることを阻止しようという意図があったわけではない。
「くっくっく……なるほど、わかりました。ならば我らもそれに従いましょう。すべては、エーデルガルト様の思うがままに」
ヒューベルトも主君の言葉に納得し、深く頷く。確かに帝国が誇る牛肉に開発が成功した味〇ジュウ(あまりにもひどい名前をエーデルガルトが付けようとしたので、ベルナデッタがとっさに思いついた名前がそのまま採用された)、そして新鮮なキノコ類と長ネギに最高級の里芋。シンプルではあるが間違いのない材料に、〆という秘密兵器。これで負けるわけがない、と主従二人は確信し、力強く頷きを交わしあうのであった。
本日は晴天、風も穏やかで風向きはやや北よりだが冷たくもなく、気温も朝はやや肌寒い程度。絶好の芋煮日和だ。遠足よろしくガルグ=マクよりグロンダーズ平原へとやってきた金鹿学級の面々は、既に気合十分である。
グロンダーズ平原といえば芋煮会に最適な場所としてフォドラで最も有名な場所であり、シーズン中はフォドラ中から人が集まり大混雑する。そして飛竜の節、最初の月曜日はガルグ=マク士官学校の生徒たちが芋煮鷲獅子対抗戦を行うのもまた有名であり、既に物見遊山の観光客が周囲には見られている。彼らもまたそれぞれ好き勝手に芋煮の準備をしてきているので、グロンダーズ平原はこの一日は帝国や王国、同盟といった区切りを完全に取り払い、自由な食の空間として解放されるのだった。
芋煮がこの時期に行われるのは、元が主食である小麦やコメなどの不作に備えて作られていた里芋を消費するために自然とはじまった習慣であるようだ。その起源はフォドラの歴史を紐解くと同時に始まっており、材料や調味が多様化したのはその土地によるものであるというのが定説である。しかしいつしかそれが分かれてゆき、勢力となり、「芋煮戦争」などと呼ばれるようになったのは、それこそこのグロンダーズ平原でかつて聖者セイロスと伝説の王ネメシスが互いに互いの芋煮を作り、そしてどちらが旨いのかを競ったからだといわれている。
そしてそんな現在の平原の中央部には、材料を自ら揃え運んできた生徒たちとセイロス騎士団が一堂に会していた。
「いよいよやってきたね、芋煮会が!」
ベレスの手にはお椀と箸と謎の壺。作る気が全くない、どちらかといえばベレスは食べる専でありたいようだ。
「先生、芋煮会じゃなくて、芋煮対抗鷲獅子戦な。それと、一応目的は作る方なの忘れないでくれよ」
「うぉぉおおおおおおお、うまい芋煮をたくさん食べるためなら、オデも頑張るぞ!」
「よおおおおおおおおし、わたくしもがんばりますわね、みなさん!お兄様にも、目にもの見せてさしあげますわ!」
「気合入れるのはいいけどさ、作る横から食べないでくれよな、ラファエル」
「レオニーちゃんさすがにそれは……こないだあったわね……あはは。まあ、今回は一応このヒルダさんも頑張りますからね~。ね、マリアンヌちゃん!」
「……はい……鶏の扱いと出汁取りなら……まかせてください……」
「例の配合調味も間に合いましたし、早速使えますね!」
「ふむ、やるではないかイグナーツ君。試作品で試させてもらったが、どんな料理にも合うまさに万能調味料といったところかな。これはなかなかのものだぞ……マリアンヌさんが取った鶏出汁と合わせた旨味たっぷりの煮汁がしみ込んだきりたんぽ……情けない話だが、この、ローレンツ=ヘルマン=グロスタールですら想像するだけで空腹を覚えるな!」
「きりたんぽ鍋ならたぶんわたしでも食べられるので……がんばります」
「さあ、俺たちで、あいつらに目にもの見せてやろうぜ!」
***
「これまで紆余曲折あったが……今日という日をなんとか無事に迎えられたのは、ひとえに皆の力があったからだ」
「……ホントはクロードとエーデルガルトが豚肉もってきてくれたからですけどね。そもそも殿下、イノシシしか準備してませんでしたし」
「しっ、シルヴァンいいから!殿下、頑張っていいこと言おうとしてるのよ!」
「……聞こえてるぞそこのふたり。まあ、いい。今日という日のため、俺たちは皆それぞれ鍛錬に励んできた。その日々が決して無駄ではないことを、ここで示してやろう」
無事なんとか(?)豚肉の調達を済ませた青獅子教室のメンバー。他の材料は無事なので、ともかくなんといか間に合ったというべきか。
「芋煮会ってなんかわくわくするんですよね、よく弟たちともやってたんです。外で料理するっていうだけでもなんとなく気分が変わって楽しいっていうか、気合が入るっていうか」
「あたしもそう思う!こうして気分変えると、料理の調子もなんとなくいいんだよね。何より、なんとなくこんなふうにみんなで何かやるのって楽しいし。この芋煮の対抗戦の話を聞いたとき、わくわくして眠れなくなっちゃったんだ!」
「ふふ、アンったら~……。でも、私たちでもちゃんと役に立つかどうか、ちょっと不安ね~……」
「大丈夫だ、ふたりとも。少なくともイノシシの骨を素手で破壊するような猪よりは役に立つ。あいつにはおちおち野菜洗いもさせられんからな」
フェリクスのフォローになってないフォローに、アネットとメルセデスは顔を見合わせて苦笑いをした。
「……プッ、そ、それって、殿下のこと言ってんのかお前、俺らよりよっぽどひどい言いようだぞ」
そしてシルヴァンは安定の余計な一言をいい、イングリットに頭をはたかれている。
「いやまあ……そうだな、料理作りでは俺は役に立てんからな。せいぜい見守るくらいで」
「殿下はそれでよいのです。我々臣下のものに、全て任せていただければ」
「そうですよ!ドゥドゥーの言う通りです。何も不器用な殿下に無理矢理料理しろ、だなんて、誰もいいませんよ!」
「……イングリット、フェリクスといいお前といい、わざと言ってるのか?わざとなのか?」
結果的に三人組全員がディミトリをぼろくそに言っていることに気づかないシルヴァンはお前が言うな発言をしてフェリクスに馬鹿を見るような目でにらまれ、イングリットには呆れられるのもいつもの情景だな、とこの中では比較的常識人枠のアッシュは苦笑いをしていた。
「まあまあ、俺は気にしてはいないからな。役割分担としては当初の予定通り食材はアネットとメルセデスが処理、調味はドゥドゥーとアッシュ。残りは必要に応じて手伝う、ということでいいかな」
***
「エーデルガルト様、準備は整いました」
「ありがとう、ヒューベルト。さあ皆、いくわよ。帝国風芋煮の本気を見せてみなさい!」
エーデルガルトが号令を出すと、黒鷲学級のメンバーはそれぞれがさっと配置につく。
「フェルディナント=フォン=エ(略)、肉の加減については全責任を持とう!」
「くくく……味付けは私とベルナデッタ殿にお任せください……この味〇ジュウの完璧な仕上がり、皆様にご賞味いただきましょう……」
「ベ、ベルは引きこもってたいですぅ……」
「ベルちゃん流石にそれはダメよ、この芋煮、(調味料を作った功績的に)半分はあなたが主役みたいなもんなんだから!」
「ぴゃああああああ、勘弁してくださいいいいいいいい!ベルは、ベルは、引きこもりに人生かけてるんですううううう」
「里芋の皮むきや野菜担当は僕とカスパル?これ、大丈夫なのかい……?」
「よっしゃーー!長ネギはテキトーに気合で刻めばいいんだよな!」
カスパルの気合の入った言葉に、ドロテアとリンハルトが互いに素早く目配せをした。二人とも無言で「これはだめだ」と確認して頷きあう。
「あっこれダメなやつだ……僕が頑張らないと……」
「リンくん、私のこんにゃくと交換する?これなら多少仕事が雑でも大丈夫だし……ていうかちぎるだけだし……」
「……とりあえずドロテアとカスパルの仕事は、交換したほうがいいかもしれない……」
「ね……」
「え、ええと、私、最後の、トリ、任せて、ください。一番大事、おおしごと、頑張ります」
一応各員配置にはついているものの、若干の不安が残らなくはない気がする。それでも、そろえた材料は一流品だし、そもそも帝国風芋煮は非常にシンプルな料理なのだ。よほどの事がない限りは敗北はないだろう、エーデルガルトはそう確信していた。
三学級がそれぞれ配置につき、準備万端――その機を見て、レアは徐に声を上げる。
「芋煮鷲獅子対抗戦、開始!」
レアの声がグロンダーズ平原に響き渡ると同時に、各陣営から湯けむりがあがる。芋煮鷲獅子対抗戦の火蓋は、切って落とされたのであった。
そして金鹿教室陣営はといえば、案の定ベレスは茶碗と箸を持つだけで何もしていない。そして傍にはなぜか大量の魚のすり身が壺に入っていた――例の謎の壺である。対して生徒たちは皆それぞれの持ち場でパタパタと動き回っていた。
「よしっ、出汁用の湯が沸いたぜマリアンヌ!」
「……ありがとう、ございます……鶏モモ肉の処理がおわりましたので……次はゴボウと……」
「あっマリアンヌちゃん、ゴボウも笹がき終わったよー!」
「わたくしも、舞茸のお仕事、終わりましたわ」
「む、意外とフレンさんもヒルダさんも手際がいいな……これは僕も頑張らねば」
「最初の出汁がきりたんぽ鍋は肝心だからな!おい、ローレンツ、Abura–age‐tofu‐はちゃんと熱湯で油抜きしてくれよ、油でべったべたになっちゃあかなわない」
「レオニーさんは僕をなんだと思ってるんだ……このローレンツ=ヘルマン=グロスタール、華麗に湯抜きをしてみせよう!」
「はいはい。終わったら短冊に刻んでくれ」
「ああっ、ラファエルくん、きりたんぽはまだ食べないでください!」
「おお?ダメだったか?けどオデ、もう腹減ってきたぞ!里芋の皮むきしてると腹ァ減ってくるなあ」
「ねえレオニー、この、せりは根っこ切っちゃだめなんでしたっけ」
「だめだめ!根っこが一番おいしいんだ、大事にとっててくれよ。えーとそしたら今手が空いてるのは……先生!すり身作ってないで出汁の材料いれてくれよ!」
「え?何、私?うーん今日はシソ入りの笹かまを焼こうと思ってたんだけどなあ」
「ああ、いいよ先生はそのまま笹かま作っててくれ。俺がやるよレオニー。出汁の材料はっと……鶏皮に鶏肉、それとゴボウに……味〇ジュウ(仮)は先にいれるんだろ?」
「……大丈夫か?あ、それから調味料は量目の半分にしてくれ、あとで塩を加えて味を調えるから、その方が調節しやすいんだ。……まったくもう!今日の主役はあくまでも芋煮だろ?なんで先生が笹かま焼いてんだよ……」
「すまないレオニーさん、里芋はどのタイミングでいれるのだ?」
「……里芋はサフィン村ではいれてなかったけど、火は通りにくいからなあ……うーん、鶏肉やゴボウと一緒にいれて味をしみ込ませた方がいいよな」
「だな。よし、じゃあローレンツ、さっさといれちまえ!」
「いちいち五月蠅いぞクロード。君に言われなくとも」
「私……きりたんぽ、焼き始めたほうがいいんでしょうか……」
「マリアンヌちょっとまって!予定外に里芋入ってるから、里芋に火が通るまではストップかな……でないと、焼き加減がグズグズになるかもだし」
「……わかりました……では、私は調味の方を手伝いますね……」
「助かるよ。調味は大事だから、味がわかってるマリアンヌがやってくれるなら安心だ。それじゃあきりたんぽはイグナーツに任せた」
「は、はい!せ、責任重大ですけど……がんばりますね!」
「はぁあああああ~~~~~……オデ、さすがに腹が減ってきたぞ……」
調子よく調理が進んでゆく最中、突如巻き起こる芋煮の危機である。金鹿教室のメンバーの間に異様な緊張感が走る――その時だった。
「ラファエル、こういうこともあろうかと笹かまを焼いておいた!今日はシソ入りだ!」
颯爽と、ベレスがシソ入り笹かま(通常の三倍の大きさ)をラファエルの前に差し出す。ラファエルはその香ばしい匂いに思わずにっこり笑みを浮かべて、シソ笹かま(通常の三倍の大きさ)を頬張った。
「うおっうめえぞ!先生、流石だな!」
「……あっそういう……」
「……そういう……ことだったんだー……」
「なるほど、先生、流石よくわかっているな!」
一様に感心する中で、クロードだけは苦笑い顔だ。
「……いや、ありゃ何も考えてないぜ。単に焼きたかっただけだ」
「えー、なんでわかるのクロードくん」
「先生の顔を見てりゃわかんだろ。だいたい冗談で笹かま焼くような人じゃない」
「あっそれはそっかー。まあ、先生だしねー、って、そろそろ里芋の頃合いよくない?レオニーちゃん」
「ほんとだ、ありがとうヒルダ。おーいイグナーツ、そろそろきりたんぽの方、よろしくな!」
「はい、準備は出来ていますから、さっそく焼いていきますね!」
「では舞茸、Amorphophallus rhizomeやAbura–age‐tofuもそろそろか?」
「ああ、いいタイミングだ」
「うおぉおおおおいい匂いがしてきたああああああ」
「ま!ラファエルさん、まだ先生の笹かまはありますわ!」
「おお、フレンさんありがとなぁ。先生の笹かまがあれば少しは我慢できるからなあ」
「さ、みなさん、今のうちに調理をすすめてくださいまし!」
「……なんだかんだといいコンビだなあそこ……フレンに見張っててもらえれば、ラファエルは大丈夫そうだし……」
「レオニー、そろそろせりも入れていいですか?」
「あ、もうちょっと待ってくれ。せりはあんまり火を通さない方がおいしいんだ」
「そうなんですか。じゃあわたしはあとはやることがないんですけど」
「マリアンヌと一緒に味見でもするか?」
「いいんですか?わたし、きりたんぽ鍋ははじめてだから、よくわかりませんけど」
「まあうまいまずいくらいはわかるだろ。それに一人よりは二人の方が確実だしな」
「……わかりました、じゃあ、任されます」
「頼むよ、大事な仕事だからな」
「レオニーさん、もう少しできりたんぽがいい焼き加減になります!」
「わかった、じゃあマリアンヌとリシテア、残った味〇ジュウ(仮)を入れてから、いい塩梅に塩で味を調えよう、わたしも手伝うよ」
「……はい……わかりました……」
「ええとお塩、お塩……って先生、一人で塩の壺抱えてないでください!こっちでも使うんですーー」
「あ、ごめんごめんリシテア。つい笹かまを作るのに夢中になってて」
「……まあ、先生のお陰でラファエルの味見(自称)がなかっただけ、大分助かってるのは事実なんですけど」
「……レオニーさん……これくらいで、どうでしょう……」
「どれどれ……、……うん!すごくいい加減だ!すごいなマリアンヌ、一発でこの塩加減を出すなんて」
「あ、……その……もともとの調味料の味が強いので……控えめに、と思ったんですが……」
「さすがだね、確かに味〇ジュウ(仮)は元々味が整っているから、下手に余計な手は加えない方がいいし、出汁が出る材料もたくさんはいっているからそんなに塩は加えなくとも十分おいしく感じられるからな」
「……レオニーさんの、言う通りです……でも、よかった……失敗しなくて」
「よし、じゃあイグナーツ、最後にきりたんぽと長ネギ、それにせりをいれてくれ」
「え、えええええ?ボク?ボクですか?こ、こういうのはとても大事な仕事ですし、先生がクロードくんがやったほうがいいですよ」
「いや、イグナーツのほうがいい。コイツ意外と不器用だからな」
「ははは、確かになあ!レオニーにはそういうところばっかり見られてたから、信用ないんだよな!」
「ったく、笑ってろっての。あ、でも片づけとかもしなくていいからな!余計な仕事増やされちゃたまんないよ」
「はいはい、っと。じゃあ俺は先生の手伝いでもしますかね~」
「片づけはあたしが……あれ?いつの間に包丁とかまな板とか片付いてるの?」
「ふふん、僕を忘れてもらっては困るな、この、僕を!君たちが調理作業に没頭している間に、手早く、華麗に、片づけておいてあげたよ」
「うっわー、さっすがローレンツくんすごーい!あたし、見直しちゃったー」
「ほんとうです……、ぜんぶ、綺麗にまとめて……ありますね……すごいです……」
「しかも、洗い方も丁寧ですし、ちゃんと整頓されてますね。わたしもちょっと、見直しました」
「……君たちの中の僕の評価は一体どうなっているのだ……」
「よし、これで蓋をして完成っと。おーい先生ー、こんなもんでどうかなー?」
「あ、うん、ちょっと待って、今いくよ」
「……うん、すごく美味しい。きりたんぽは固い方が私は好みだけど、これは各々で好みが分かれそうだから半分残してあるのもいいね。里芋はホクホクのアツアツでしっかりと味も染みているし、舞茸や長ネギもいい具合に火が通っている。せりのシャキシャキした食感も十分楽しめるし、何よりも材料から出た出汁は薄味だけど旨味成分がたくさん出ているから、すごくやさしい味がする。懐かしいような……私に家というものはないけれど、家に帰ってこういう料理が出てきたら、それは嬉しいだろうなあ」
「……よし!先生がそういうなら、きっとイケるな!」
「そうだね。これがわたしたちの精いっぱいだけど、きっと勝てるよ!」
「せりだけは、これは熱が通るとすぐ柔らかくなるから、審査員の先生たちが食べる前に入れようと思うんだ。あくまでも食感を残してこそ、だしな」
ベレスが総評を聞き、金鹿教室のメンバーは納得した。その瞬間だった。
「う、ううぅぅうううう…………オデ、もう、食ってもいいのか?」
「ま!皆さん、ラファエルさんが!」
「……ちょ、ちょっと待ちたまえラファエル君!!」
「ああああ誰も何も言ってないのに~~~~」
「おお、こりゃあうめえなあ!これならオデ一人でも全部食っちまえるぞ!」
ベレスが定期的に焼いていた笹かまでなんとか我慢をしていたラファエルだったが、ベレスの総評を聞いた上で完成目前の鍋を前に限界を越えてしまったようだ。大声と共に鍋に突撃し、猛然と貪り出す。皆、あまりの勢いとその幸せそうな顔に、ただ呆然と見守ることしかできない。
「ちょっとクロード、呆然としてないで、級長なら、ラファエル止めてくださいよ!ちょっと!」
最初に声を上げたのはリシテアだったが、彼女では止めようもなく、その上時すでに遅し。圧倒的速さで、鍋は食べられてゆく。
「あ、いやあ……こりゃあ、もう、手遅れだろ……もう半分以上食われたぜ……」
「……は、はやい……すごい……はやさです……」
皆が呆然となる中で、やけくそ気味にああもう!と叫んだのはヒルダだった。
「こうなったらあたしたちも食べちゃいません?食べちゃいましょう?みんな、おなかすいてるよね?あたしもう我慢できない食べる!」
堂々と宣言するや否や、ヒルダも鍋に突撃する。
「ヒ、ヒルダさんまで……」
「クソッ、こうなったら僕も食べるしかあるまい……!」
「ローレンツくん⁉え、ええと……こ、これは、どうしたら……」
「あ~あ~……こりゃあもうだめだな……誰も止めらんないだろ……」
続け様にローレンツが突撃し、鍋は見る見るうちにその中身を減らしてゆく。そして、ベレスはそこでマイ茶碗と箸を持ち、良い笑顔で皆に宣言した。
「うん、もうどうにもならないから皆で食べよう!」
「……おいおい……なんでこうなるんだ……?」
クロードがため息をついて後頭部を掻くが、やがて彼も苦笑いをしながらその輪に加わってゆく。そうして、最早止める者のいない突如始まった饗宴は止まるところを知らないのであった。
「ではこのセテスが総評を発表するぞ。黒鷲学級の牛芋煮は、流石というかシンプルながらもハッキリとした主張があり、やはりアンヴァル牛の旨味は別格だと再認識できた。そして主役の里芋の味を損なわないながらも存在感のあるこんにゃくやキノコ、程よく熱を加えて風味を彩る長ネギ、ひとつひとつの材料がすべて一級品でかつ全体の調和は見事な出来だった。それだけでも料理として完成形なところに、〆のうどんとブリギット地方の調味料……あれは……恥ずかしながら我々も未知の味わいであった。そして、文句なく美味しかった」
セテスの総評を聞き、エーデルガルトは心得ているとばかりに胸を張る。彼女は、勝利を確信していた。
「青獅子学級の芋煮は、具沢山でありかつ豚肉が非常に上質な味と旨味を出していた。それに、このMISOは合わせMISOか?私が去年食べた王国風よりも食べやすくまろやかに感じられた。そしてというかやはりいずれの材料が主役級の主張をするわけではないのだが、全ての材料が均等に楽しめるのが何よりも魅力で、飽きるということがない。これは豚肉の旨味とMISOの味わいが絶妙に絡み合っているからだろう。個人的には白菜が非常に、非常に美味しかった……身体は温まるし、これからの時期は食堂でも提供してもらいたいくらいだ」
一方ディミトリも、得意げに頷いている。彼もまた、己の勝利を確信していた。
「……さて、金鹿学級なのだが……担任ベレス、何か言う事はあるか」
「ありません。食べました」
「……残骸を見ればわかる……。なぜ……何故、審査まで待てなかったのかと、聞いているんだ」
告げるセテスの声からは怒りよりも呆れが滲み出ている。と同時にどこか悔し気ですらあった。
「あまりに美味しそうだったので、つい全員で食べてしまいました。芋煮の醍醐味は皆で作り皆で味わう事だと思ったからです」
「……なるほど……だがな!我々審査員が食べられないということは、すなわち、君たちは対抗戦に参加すらしていないということになるんだぞ!」
「そうなりますね。一応、私の監督責任なので、責任は私が」
「責任とかそういうことではなくてだな……」
「おやめなさい、セテス。彼らの気持ちもわかります。私も金鹿学級の様子は見ておりましたが……少々の不可抗力であったのでしょう」
「……レア……しかし」
「ですが、流石に審査不能ということであれば、不戦敗ということになります。それでよいですか、ベレス」
「……はい」
「それでは、今回の芋煮鷲獅子対抗戦の勝者を発表しよう。勝者は……黒鷲学級の、帝国風芋煮である」
粛々と発表された結果に、黒鷲学級は歓声を上げ、青獅子学級は項垂れる。
「王国風芋煮も決して劣っていたわけではない。ただ、僅かに帝国風芋煮の方が支持者が多かった。そういうことだから、各学級これからも励むように」
そうしてセテスの発表に一喜一憂する両学級を他所に、金鹿の学級はベレスを中心にさっさと気分を切り替えて笹かまを焼いていた。
「それにしても、この間の芋煮会は楽しかったなあ、結局私たちは負けたけど、なんだかんだ全学級の芋煮を食べられたし、美味しかったし」
「おう!オデもあのために筋肉をいじめて腹を空かせてたくらいだったからな!」
「ほんっと、あのラファエルくんの食べっぷりはすごかったよねー、まあ、美味しかったってのは同意だけど。あれは出来上がりを食べたくなるのわかるもん」
「そうですね、結局わたしたちで食べちゃいましたけど、ほんとうにおいしかったです」
「はは、確かにな。わたしはきりたんぽはちょっと柔らかい方が好みなんだけど、ちゃんとそこまで考慮してくれたイグナーツに最後を任せて正解だったよ」
「え、いや、えっと……ああいうのって、結構好みわかれますしね……全部いっぺんに入れちゃうのは、やっぱり躊躇しますよ」
「しかしあのように美味な郷土料理があったとは、この僕ですら知らなかったからな……庶民の料理といえど、軽視できないということを、今回は身をもって勉強をさせてもらったぞ、レオニーさん」
「……そうですね……里芋をいれるのは……初めてでしたけど、すごく……ホクホクしてて、味も染みていて、おいしかったです……」
誰もラファエルを責めないのだが、そもそも級長であるクロードを含む全員で審査前に食べつくしてしまったので言い訳もしようがないのである。なによりラファエルはあまりにもよい笑顔で食べていたので、見ている方が幸せになるくらいだったからもういいや、というのが、全員の結論だった。
「……また、やりたいですね……」
「そうだね。今は冬場で寒いけど、ファーガスじゃあ雪でカマクラをつくってその中で餅を焼いて食べるとか。みんなでそういうのをやるのも、楽しそうだ」
「そうそう、シルヴァンくんがいうには、ファーガスじゃ冬場に採れた野菜を雪室で保管するとか、そうすると甘さが増しておいしくなるとか言ってましたね。鍋料理によさそうですよね!」
「おっ、それはイイなあ、イグナーツ。わたしも鍋料理なら得意だし」
「この間の鍋はほんとうにおいしかったです」
「リシテアちゃん、よっぽど気に入ったんだねー」
「……冬場なら……きりたんぽもいいですけど、ゴボウと鶏肉のお雑煮も……おいしいです……焼いた餅をいれて……」
「おっそれシンプルでわたし好みだなあ!出汁もバッチリ出そうだし、味付けはこないだの調味料でやれば問題なさそうだ」
対抗戦が終わって数節、金鹿学級のメンバーは相変わらずヒマになると火を囲んでベレスが笹かまを焼き、皆でそれを頬張るのが常になっていた。今日も今日とて、刻んだネギを加えた新作の笹かまに皆で舌鼓をうち、ああでもないこうでもないと互いに寸評しあっている中で、話はいつしか対抗戦の思い出話になっていたのだった。
「なあみんな、五年後の今日はガルグ=マク千年祭だろう?またその日に皆で集まって、芋煮でもやらないか?」
クロードの言葉に、はっと顔をあげたのはベレスだった。なお、笹かまを焼く手は止めない。
「あ、そうか、皆もうすぐ卒業なんだね……」
「そうなんだよなあ。まあ、こんな約束だし五年後俺たちがどうなってるかなんてわからないんだが」
「おお、いいなあ、それ!それならオデ、うめぇ材料いっぱい持ってくるぞ‼︎」
「冬場ですけど、皆で再会して暖かい鍋を囲むとか、いいですね。先生も勿論来ますよね?」
「それはもちろん。そういうことなら、私もまた魚を沢山釣らないと」
「あははせんせーってばそればっかりー」
「魚を沢山釣って、皆んなが鍋を作っている脇で笹かまを焼いて振る舞うよ」
「先生の作る伊達巻は好きですけど、鍋とあんまり関係ないですよね」
「ははは、まあいいじゃないかリシテア。先生もそう言うなら決まりだな。約束だ、五年後、この場所で、皆で鍋パーティーだ」
クロードの言葉に、その場にいる全員が力強く頷く。なんとなくではあったが、ベレスはこのとき、五年後という漠然とした先の話ではあるが、再会を確信していた。そしてその時、きっと自分は同じように笹かまを焼いているだろうことも。
「なあ先生。さっきの話だが、俺は本気だぜ。五年後、俺たちは皆どうなってるかわからない、それでもなんとなく約束したいんだ」
「そうだね、なんとなくわかるよ」
「……先生ならわかってくれると思ったよ。なあ、先生、あんたのこと、きょうだい、って呼んでいいか?」
「うん?また急にどうしたんだ」
「俺には野望があるんだ。見たい景色があってね、最近はそいつを、あんたと一緒に見たいって、そう思うようになった」
「ふうん、いいけど。でも私はいつでも笹かまを焼くよ?」
「ははは、いいさ!俺の目指す景色の中であんたが笹かまを焼いてたら、最高だ」
「た、大変だ、大変だ先生!!」
「ディミトリくん?青獅子の学級はここじゃないよー?」
突然駆け込んでくるディミトリと、対照的に教室でのんびりと笹かまを焼いているベレスに、笹かまが焼きあがるのを周囲で待っている金鹿教室のメンバーたち。いつも通りの光景である。一応顔を上げて反応したヒルダも、焼きあがった笹かまを頬張りながらなのでのんきなものだ。
「あっあたしこのホワイトトラウト入りのやつ結構好きですねー、あと、材料の配分変えました?ふわっとしてて、これ、好みです、ほら、マリアンヌちゃん好みかもよー」
緊迫する空気を全身全霊で発揮しているディミトリを他所に、ヒルダはもぐもぐと口を動かしながらベレスに告げ、ベレスはふむふむと頷きながら何やらメモをしている。ディミトリが完全に蚊帳の外である。
「しまった間違えたか!いやクロード、アイツはどこ行ったんだ?それよりも、大変なんだ先生!エーデルガルトが!牛の大群をひきつれて侵攻してきた!」
しかしそんなのんびりとした空気を無視した(強引に変えた)ディミトリの剣幕に、金鹿教室のメンバーははて、と顔を見合わせる。
「ディミトリくんが何をいってんのか、オデ、わかんねえぞ。オデがバカだからか?」
「大丈夫ですラファエル、わたしもわかりません」
「おいおい、大丈夫か?訓練のしすぎて疲れてるんじゃないか?ちゃんと夜眠ってるのか?」
「冗談ではない!冗談ではないんだ!ああ、こうしている間にもアンヴァル牛の大群がガルグ=マクに押し寄せてきている……!エーデルガルトめ、不穏なことをいっていたが、こういう意味だったとはな……!」
「不穏て、ヒューベルトくんが近所の農場かりてアンヴァル牛を育ててたって話?似合わないとは思ったけど、平和でいい話じゃないー?顔には似合わないけどー」
「そういやあ最近修道院内でもよく牛が歩いている光景はよく見たが、いざってときの食料だと思ってたな」
「誰も疑問に思わないよねー。牛だしねえ」
「平和なものか!ヤツらは、牛芋煮による大陸制覇を目指しているんだぞ!?修道院内の牛も、近隣の牧場で育てていたアンヴァル牛も、そのための仕込みだったのだ……当然だが、君たち同盟領の様々な料理も、ヤツらにかかればすべて牛肉一色にされてしまう!」
ディミトリは相変わらず真っ青な顔をしているのだが、金鹿メンバーの間に緊張感は全くない。全員、焼きあがった笹かまを頬張りながらのんびりしている。
悲しいかな、これが、同盟と王国の食文化の差であった。
「……オデは別にいいぞ?」
「いいえラファエルくん、肉だけでもダメじゃないですか?確かに牛肉も筋肉のもとにはなりますけど、鶏肉とか魚とかのほうがかえって余計な脂分がない分、たくさん食べて太らないんですよ」
「そうか、それじゃあ鶏肉や魚が食べられなくなるのは、困るなあ」
イグナーツが補足して、ようやく成程、という顔をする金鹿メンバーたち。特にリシテアの顔色がさっと変わった。
だが、それだけだった。特に急を要するような事態でもないだろう、とベレスは再び笹かまを焼きだすし、イグナーツは笹かまに混ぜるホワイトトラウトの燻製を刻んでいる。
「何をのんきな話をしているんだ!我がファーガスにとっては最悪の事態だ……こうも大兵力(?)で侵攻されては、この堅牢なガルグ=マクといえど無事では済まないだろう、まして相手はアンヴァル牛とはいえただの牛だ……殺すわけにもいかない……」
ディミトリは金鹿教室の入り口で頭を抱えてその場に座り込んでしまう。イノシシはさっさと仕留める癖に、何故かそれ以外には謎の優しさを発揮するディミトリである。
「うん?そこはちゃんと食料にすりゃあいいんじゃあないか?」
「そうだなあ、折角食料がなだれ込んできてるんだから、食べるっていうのは対策の一つにはなるね」
「クロード!……と先生!」
「うーん、でもわたしは牛肉はそこまでたくさん食べられないよ?まして大食漢のひとり、カスパルがあっち側についてるし、ラファエルひとりじゃあんまりにも負担が大きいんじゃないかなあ」
実際アンヴァル牛の大群っていってもどれくらいかわからないけど、とやはりのんびり続けるレオニーは、少し小さめの笹かまをたくさん焼いていた。そして焼ける先からリシテアがパクついている。
「そこだ……!それが大問題なんだ……いくらラファエルが稀に見る大食漢だとして、とうてい一人きりで食べられる量ではない……!」
「オデ、が、頑張るぞ‼︎」
一人だけ明らかに大きな笹かま(案の定他の三倍くらいはある)をモグモグと食べながら、ラファエルはやる気満々だ。
「待ちたまえ君たち、問題はそこではなかろう!いいか、牛を食べるということは即ち、解体するということ。残念ながらレスター諸侯同盟では牛肉色の文化はあまり根付いてはおらず、ファーガス神聖王国に至っては豚肉食が一般的だ。幸いシャミア先生やツィリル君という他文化圏出身者がいてくれてはいるが、それとて二人の負担が大きすぎるだろう」
ローレンツが問題点をあげるも、名をあげられた二名はといえば特に顔色を変えるわけでもなくその場に溶け込んでいた。
「……ボクは別に……レアさまに頼まれれば、やるよ」
「フッ……流石だな。まあ私は適当に切り上げるかもしれないが、セイロス教会や君たちにはまだ返していない恩義がある、だからそれなりの協力はするつもりだ」
金鹿メンバーはもとより、ツィリルとシャミアも既にその気になっている。
「それにカトリーヌやアロイスもいるからな。彼らもあてにできる」
「よっしゃ、アタシらに任せときな!アンヴァル牛の百頭や二百頭、この雷霆で薙ぎ払ってやるよ!」
「うむ、貴殿らのためならば、このアロイス、出来る限りの協力を惜しまぬぞ!牛の解体くらいならば、少々心得はあるしな!」
シャミアがさらりと言ってのけ、いつの間にやら沸いてきたカトリーヌとアロイスも気合は十分の様子だ。
「うーん、けれどいくら先生たちが手練れの肉捌きだったとしても、やっぱり大群はいささか無理じゃないかな?」
「確かに先生の言う通りか。それに、帝国の持ち駒が今なだれ込んできている数ですべてだとは俺も思っちゃあいない……だがなあ、まあ、結局のところあれをどうこうしようとしたら、最終的には食べるしかないんじゃないか?」
クロードにせよベレスにせよ、言い方は違うもののなんだかんだ、結局食べるところに落ち着きたいのだ。
「いや待てクロード。その案は悪いが俺には受け入れられない」
ディミトリの声のトーンがおかしいことに、その場の全員が首を傾げる。彼は基本的に好き嫌いがあまりなく、食にも(MISO以外には)こだわりがなかったはずだ。
「……ディミトリ?」
「……俺は、牛は……決して口にできないんだ……いや、してはいけない。ブレーダッド家の人間は代々牛肉は食せないのだ……」
あまりにも悲壮な表情と声に、その場にいる全員が一瞬言葉を失う。そして、その空気を壊すのは、やはりクロードだった。
「……初めて聞いたぞ、そんな話」
「初めてするからな。俺自身に好き嫌いはない、父もそうだった……だが、ダスカーの悲劇……あの事件を境に、俺は牛肉だけは受け付けなくなってしまった……そのうえMISO以外の味がわからなくなってしまった」
絶望、諦め、悲しみ、そういった感情がないまぜになったような表情とあまりにも痛々しい声にがっくりとうなだれたディミトリに、内容はともかく一瞬、あっけにとられてしまう。
だが、それは、一瞬のできごとだった。
「ディミトリ、誰にでもすききらいはあります。それを強引に牛肉食に塗り替えようなんていうエーデルガルトのやり方は、傲慢です。わたしもいい迷惑なんです」
「い、いやリシテア、好き嫌いというかそういう話ではなくてだな……」
「そうかあ、ディミトリくんも大変だったんだなあ。筋肉の友達の牛肉が食べられなくなるくらいつらかったんだなあ……よし、ここはオデの筋肉と胃袋の出番だな!」
「いや、ラファエル、この場は……」
まったくかみ合わないディミトリと金鹿メンバーの埒のあかない会話を止めたのは、レアの静かな、けれども真剣な声だった。
「皆、ベレス、ここにいたのですか」
「レア様!」
大司教レア、そしてセテスに青獅子メンバーがそこには揃っていた。どうやら彼らは突然暴走してどこかへ行ってしまったディミトリを探していたようで、ドゥドゥーなどは安堵のあまり大きなため息をついている。
「皆無事でよかった……ほんとうに、よかった……」
「知っていると思うが、エーデルガルトがこの大修道院に向けて牛肉食による大陸制覇を宣言しつつアンヴァル牛の大群とともに向かっていている。我々としては寡兵ではあるが、迎え撃つしかない」
「皆には苦労をさせてしまいますが、これは、鶏肉や豚肉、それに他の獣肉を食べる文化を冒涜する許すまじき行為……私は、このセイロス教を預かる身として、決して許すことはできないのです」
レアのひとことは、今の今まで無意味な漫才を繰り広げていた一同の方針を決定づけてくれた。というか、レアが登場しなければおそらくえんえんとディミトリは空回りし金鹿教室のメンバーは笹かまを焼いては食べていただろう。なんとなくそれを察した青獅子教室のメンバーが、ディミトリを優しい目で見守っている。
ガルグ=マクを拠点として牛の大群を迎え撃つ。方法などはともかくとして、やるしかないようだ。クロードもベレスも、いい加減腹を決めた。
「ああ、レアさんのいってることはわかる。俺も牛肉は好きだが、そればっかりってのは胸やけがしちまうからな」
「わたくし、お魚が食べられなくなるのは悲しいですわ!」
「あ、あたしも!アッシュの西京焼きが食べられなくなるなんて、考えたくないよ~、ねえメーチェ!」
「そうねえ、好きなものを、好きなように食べられなくなるのは、哀しいわよね」
「しかしセテスさん、何か案でもあるんですか?あの大群相手、正直今の俺たちじゃあ手も足も出ない……」
「クロードが弱音を吐くなんて明日大雪が降るかもしれないけれど、わたしもそう思う。とてもではないけれど、ふつうの人間に食べきれる量じゃないし、屠れる量でもない」
「確かにそうです。ですからあなた方生徒や市民たちはみな、大聖堂に撤退してください。あとは私たちに任せるのです」
「さあ、早くするんだ君たち!こうしているうちにもアンヴァル牛の大群は近づいてきている……手遅れにならないうちに!」
戦うことを決意したものの肩透かしを食らった形になったが、結局のところ多勢に無勢なのだ。
べレスは生徒たちを避難させると、ひとり天帝の剣を手に戦場へと駆け出してゆく。レアはああいったが、牛は未曽有の大群で、修道院の内外から押し寄せてきている。レアひとりでどうにかできるものではない。せめて修道院いち食い意地が汚いと呼ばれプラスソティスのエア食欲も加わった自分が加勢すれば、万が一の可能性もないわけではないと、レアの後を追おうとした。
「先生!」
「無茶だ、いくら先生が人外の食欲と胃袋を持っているとしたって、あのアンヴァル牛の大群をどうにかなんて無謀だ……」
クロードとディミトリは無茶だと二人がかりでベレスを止めようとする。ああいうのは、もう任せられる人間に任せたほうがいいのは、ベレスもわかっていた。なにせ牛そのものが標準よりも大きいアンヴァル牛で、当然だが体重もあり、それが全速力で突撃してくるのだ。通常考えられる力で止められるようなものではない。クロードとディミトリの懸念は、当然といえば当然だった。
「けれど……」
それでも、ベレスは納得がいかなかった――目の前に食材があるのに、撤退しなければならないということが。
すると、突然巨大な影が飛び去ってゆく。三人が一斉に空を見上げると、白い巨大な竜のようなものが、暴走してくるアンヴァル牛の大群に向けて炎を浴びせかけた。
一瞬で、辺りに香ばしく良い匂いが漂う。ベレスとクロードはすぐさま駆け出し、一方ディミトリは真っ青な顔でその場に倒れ込んでしまった。その様子をどこで伺っていたのか、即座にドゥドゥーが駆け寄ってくる。視界にいなくともどこかには潜んでいる従者の鏡たるドゥドゥーの姿を確認したベレスとクロードは、互いに頷きあって焼肉の群れの中へと向かってゆく。なお、ベレスはマイボトルにエーデルガルトより貰った味〇ジュウを持っていたし、クロードは様々な調味料をなぜか常に携帯している。とっさの焼肉パーティーにいつでも対応できるようにだ。
そして結局二人は一通り堪能したあと、これなら皆を連れてきていいのではと気づいて戻ろうとするが、巨大な竜は別に焼肉をするために現れたわけではないので無秩序に暴れ、そこらじゅうの建物や地形が崩壊し、あるいは崩落していた。
「うーん、これは困った。戻るに戻れないか?」
「いや、こっちになんとか道がありそうだ。おなかもいっぱいになったことだし、少々運動したほうがいいよ」
ベレスは率先して歩き出そうとした。すると、その場が突然崩れ落ちる。
「お、おい先生⁉」
クロードがとっさにベレスの腕をつかもうとするのだが、間に合わず、ベレスはなすがまま、そのまま崩落してゆく地面と共に落ちてゆくのだった。
「これ、いつまで眠っておるのじゃ、いい加減起きよ。お主が眠っている間に、大陸中が牛に蹂躙されてしまったぞ……大地は牛に覆われ、川は牛の血が流れ、牛肉食否定派はもはやこのフォドラには居場所がないほどに荒れ果ててしまった。豚も鶏も皆殺され食されることなく捨てられてしもうた……まったく、いつまで寝ぼけておるのじゃ!ええい、いい加減にせんか!これ、お主!」
「う~……ん、かまぼこをつくらないと……」
「何を寝ぼけておるのじゃ!お主を待っておるものがいるじゃろう!とっとと起きぬか!」
「まだねむ……い……」
「ああああああもうおぬしは相変わらずじゃな!いい加減にせよ!甘える時間はしまいじゃ!」
べレスはとてもなつかしい怒鳴り声を聞いた気がした。そして、徐々に意識が覚醒してゆく……。
「笹かま!笹かまを作らないと!!」
「うわっ、なんだアンタ、突然……」
「あ、あれ……君は?」
「そこの村のもんさ……あんたが川から流れてきたときは驚いたよ。川の上流といや、ガルグ=マクだがろ?あそこはすっかり寂れちまったからな」
「……どういうこと?」
「……あんた、知らねえのか。もうあそこにゃセイロス教団はいねえんだ。あれから五年、根強く住んでる連中もいるにゃいるが……盗賊が出るようになったって話もある」
「……五年?」
「……なあ、あんた大丈夫か?頭でも打ったんじゃねえだろうな。今は1185年の星辰の節。大修道院が陥落してから、もう五年近くになる。本当なら明日は千年祭の日だったが、それどころじゃねえからなあ」
「……千年祭……」
「ああ。だけど、この戦争ばかりのご時世、それに大司教様も行方知れずとくりゃ――この世の誰だって、祝福なんて気持ちにはなれんだろうさ」
千年祭、という言葉をきいた瞬間にべレスは思い出した。芋煮、鍋――そう、そうだ。千年祭の日に、また皆で集まって鍋をしよう、楽しそうにそういった、クロードの顔だ。
「って、お、おい!あんた、どこに行く気だ!」
「大修道院」
「しょ、正気か⁉盗賊が出るって噂があんだぞ。他にも物騒な話を聞くし……。悪いことは言わねえ。大修道院に行くのはやめとけ」
しかしベレスは村人の忠告にも首を振る。自分は行かなければならないのだ。また金鹿の面々と鍋を囲むために。
「お、俺は止めたからな……?死んでもしらねえぞ?」
「心配いらない」
「お、おい!……まったく、本気かよ」
村人の呆れたような声を背に、べレスは川上にあるというガルグ=マクを目指して歩き出した。そういえばお腹がひどく空いている。一刻もはやく、大修道院にたどり着かねば。その手には決して離さなかったマイお椀と箸がしっかりと握られていた。
上流へ向かう道すがら釣り糸を垂らし或いは川に直接網をぶちこんで魚を捕っては進みながら、意外と早くベレスは目的地に辿り着けた。伊達にかつて修道院中を駆け回り鬼のように釣り糸を垂らしていたわけではない。
その大修道院は、確かに荒れ果てていた。そこにべレスは五年という歳月を少し実感する。建物はボロボロになっておりところどころ朽ちているところもあるし、雑草に覆われたり蔦がすっかりはびこっているような箇所も少なくはない。それでもべレスは迷うことなく女神の塔を目指していた。皆が来るなら、きっと目立つあの場所だろうから。
まだ陽も低く肌寒い塔の階段をゆっくりと登ってゆく。果たして、そこには人影があった。
けれどもその人影は、べレスの知らないものだった――どこかで知っているような、知らないような。
その人影は、女神の塔の最上階で、何故だか蒲鉾を焼いていた。とても香ばしくて良い匂いはべレスには馴染み深いものだ――それもそのはず、蒲鉾自体、べレスが魚を釣り過ぎたためにセテスに怒られてなんとか処理方法を生徒たちと編み出したべレスのオリジナルメニューだからだ。何よりあの、串に刺して蒲鉾を手のひら状になめし焼いたも――その形状からリシテアが笹の葉みたいだと言い、笹かまぼことべレスが名付けたそれの作り方は、金鹿教室のメンバーしか知らないはずだ。
「……クロード?」
浅黒い肌に癖のある黒髪、それに翠の目。風体はだいぶ変わっているけれど、笹かまを焼くときに微妙に猫背になりながら今か今かと焼き上がりを待つ顔は、あの教え子クロードのものだ。確信して声を掛けると、彼は今気づいたというようにゆっくりと立ち上がってふり返る。
「ずいぶんとまあ、ごあいさつじゃないか、きょうだい」
それは記憶しているものよりはやや低くなった、けれども聞き覚えのある教え子の声だった。
***
再会したクロードと話をして、大体のことをべレスは理解した。
ガルグ=マクは五年前にアンヴァル牛に壊滅させられたのち、ブチ切れすぎたあまり半狂乱になった大司教レアは行方不明、セイロス騎士団がその行方を追っているものの未だに見つかってはいなかった。そのためガルグ=マクは再建されることもなく廃墟と化し、盗賊らに利用されていたのだという。
王国は豚肉派だった摂政が牛肉解体業に強制的に従事させられ、王都フェルディアを含む旧ブレーダッド領のすべてを牛肉派のコルネリアが制圧。王子ディミトリを処断し旧王国の残存兵力はフラリダリウス家・ゴーティエ家を中心にかろうじて豚を細々と育てながら抵抗を続けていた。王宮に拠るコルネリアは帝国の支援を受け勢力を再編し、残存勢力の掃討を進めている。
レスター諸侯同盟領では、リーガン家を筆頭とする反牛肉派と、グロスタール家を筆頭とする親牛肉派の諸侯が衝突。分裂の危機に瀕しながらも、新盟主クロードの手腕によって、辛うじて同盟の体裁を保っていた。
一方、アドラステア帝国では、帝都アンヴァルにおいて皇帝エーデルガルトが体制の強化を推し進めるとともに、王国の政変に干渉して勢力を伸長、旧王国諸侯を次々と傘下に組み入れながら、フォドラ西部の制圧を進めている――それが、現在の三勢力の状況なのだという。
セイロス騎士団はといえば行方不明になったレアの行方を追っているものの、帝国の動きがあるためになかなか表立っては動けてはいないようだった。
「うーん、それはいいんだけどクロード。なにせ五年ぶりにその匂いをかいだからお腹が空いて仕方ないんだ。食べていいかな」
ベレスが言うと、クロードは心得たとばかりに満面の笑みで応えた。こういうころも、全く変わってはいない。姿かたちは若干変わってはいるものの、間違いなく彼はクロードなのだろう。
「きょうだいならそう言うと思ったよ。しかしあいつら、いつになったら来るんだ?約束の日は今日だってのに」
「うーん、まだ夜明けだし、もう少しここで蒲鉾でも焼いて待ってればいいんじゃないかな?」
「そりゃそうか。しかし相変わらずきょうだいは手が早いというか、予め魚のすり身まで持ってくるってのはどういう理屈だ?俺がここにいるって、確信でもしてたのか?」
「魚は途中で捕まえてきたし、すり身はすぐつくれる。それに、この匂いがすれば、きっと皆わかってくれるかなと思って」
そこで、クロードの表情がサッと変わる。その顔色に、べレスは食べかけの笹かまをさっと飲み込み、素早く火を消した。阿吽の呼吸に、クロードはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「ほお、勘は鈍ってないみたいだな。どうやらこの匂いに誘われてきたのは、先生だけじゃあないようだぜ」
言うなりクロードは階下に向けて威嚇の矢を放つと、呻き声と共に「ちっちがうんだそうじゃねえ!」という慌てたような声が飛んできた。「俺たちはただ腹があまりにも減ってて、そこにいい匂いがしたからフラフラ吸い寄せられちまっただけだ……!」
情けない声と共に現れたのは、明らかに腹を空かせてそうな身なりの悪い男たちだった。ああ、村人が言っていた盗賊とはこのことだな、とべレスは納得して武器を収める。
「お、おい、先生?」
「彼らは腹が減っているだけだよ。それに、笹かまの材料は沢山あるし、どうせなら皆でたべよう」
圧倒的平和的解決。
その言葉に盗賊たちは盛大に腹を鳴らして、申し訳なさそうな顔をする。
「う、す、すまねえ……帝国の締め付けが厳しくなってからこっち、食糧生産もままならなくなっちまって、買うも作るもどうにもならなくなって、皆腹を空かせててな……」
「この大修道院の備蓄ならもしかしたら、と」
「いやいや、流石に五年以上放置されてまともに食料なんざ残っちゃいないだろ?」
「ああ、そこの兄さんの言う通りだった……財宝の類はたんまりあったが、そんなものよりも食べ物だ。いや、牛肉なら食べられるんだが、牛肉以外のものがまともにたべられない。そんな生活はもう、たくさんなんだ……!」
「そんなに、状況はひどいのか……」
「まあ、そうだなあ。人によっちゃ牛肉なんて食べ慣れてないし御法度だっていうのは、同盟じゃあ少なくはなしい、王国はもっとだろうな。こりゃもう宗教みたいなもんだから、ひとえにバカにできるもんでもない」
「そういえば芋煮会の時もそんな話を聞いた記憶があるな」
「今じゃフォドラ中が牛肉の臭いに塗れてて、川ですら牛の臭いがする、控えめに言って地獄だよ……そこに新鮮な魚肉の香ばしい匂いがしてきたんだ、俺たちに逆らえるわけがないんだ!」
「そういうわけだから、一緒にご相伴に預かっていいだろうか……」
「構わないっていったろう。ほら、クロードがそういう怖い顔をしているから彼らも遠慮するんじゃないか。さあさあ座って座って。今から私が皆の分を焼いてあげよう。なんなら、すり身にする前の魚も焼こうか」
「……きょうだいがそういうなら、仕方ないが承諾するしかないみたいだな」
「あ、ありがてえ……恩に着るよ!」
「あ、ああ……魚のにおいだ……五年ぶりの魚だ……!!」
「魚が食えることが、こんなにもうれしいだなんて!!」
「新鮮な魚!刺し身!生で食べられる!」
口々に感激の言葉とともに、ベレスの焼いた笹かまぼこや原料の魚を食べてゆく盗賊たちの目には、涙が光っている。これはひどい。あまりにもひどい。だが、これが今のフォドラの現状であった。
盗賊たちとベレス、クロードが笹かまと焼き魚に舌鼓をうっていると、遅れてローレンツやイグナーツ、ヒルダ、レオニー、ラファエルにリシテア、マリアンヌと金鹿教室のメンバーがいつの間にか勢ぞろいしており、各々が勝手に持ってきた材料を合わせていつの間にか場所まで移動して鍋パーティーが始まっていた。気をよくしたベレスはといえば嬉々として魚を釣り上げては焼いたり煮たりしているし(味付けはマイボトルに入ったままの味〇ジュウや塩だ。だが、魚に飢えていた皆(リシテアを除く)にはシンプルな味わいでもごちそうに匹敵した)リシテアはブツブツ言いながらベレスの作った伊達巻を頬張っているが、なんだかんだとその懐かしい味に顔がほころんでいるので文句はないのだろう。そうこうしているうちに、すっかりと太陽が昇っていた。腹は満腹で、懐かしいメンバーが揃う中で見る朝日はなんともすがすがしいなと、ベレスは長い眠りから目覚めたばかりの筋肉痛の身体を伸ばしながら思うのだった。
***
そして数日後。
べレス帰還と鍋パーティーの噂を聞きつけてセテスをはじめとしたセイロス騎士団のメンバーがやってきた。彼らが出会ったのは、巨大な鍋で近隣住民と鍋パーティーを未だにやっている旧金鹿のメンバーと一人で黙々と笹かまを焼いているべレスである。牛肉絶対主義にあえぐこの状況下である意味この場だけが別世界のようだった。
そのたいして五年前と変わらない光景を見て、セテスはある案を思いついた。
「つまり、私たちが率先して大々的に芋煮をする宣言をして帝国に対抗する声を上げる?」
「ああ。幸い君の作る質の良い笹かまで軍資金は賄えそうだから、ここガルグ=マクを拠点として暫くは生産を続け、アンナを主体とした商人たちに宣伝してもらう――今は帝国の締め付けで食糧生産そのものが厳しくなり庶民の生活も厳しいから、安価で栄養豊富で食べやすい笹かまの噂はすぐ広まるだろう。材料の配合によっては固さも変えられるところも、嗜好の幅が出てよさそうだし、幸いガルグ=マクの池に生息している魚で材料は事足りそうだからな。そうすれば帝国も自ずと動かざるを得ないはずだ」
「エーデルガルドは牛芋煮で大陸制覇が目的ですから、確かに余計な食材、まして新しくて浸透しやすそうな物なんて厄介以外なにものでもないですもんね、いいかもしれません」
「そうして反帝国派を集めながらエーデルガルドをおびき出して、彼女の牛芋煮を超えるようなメニューを見せつけて心を折るってわけか」
「ああ、それにこの噂を聞けばどこぞに隠遁を決め込んでいるレアも誘き出されてくれるかもしれんからな」
「それなんだけどセテス。レアさまが帝国に囚われるとか、そういう可能性はないの?」
「ないと断言できる。レアは好き嫌いがないのがよいところなのだが、逆に同じ様な食材ばかりを食べさせられると我慢できず暴走する悪癖があるからな……帝国に囚われているのなら、とっくに暴走しているはずだ」
「わ、わりとめんどくさいんですねレアさま……」
「でも、その、仕方ないのですわ……大司教たるもの、ひとつの食材にこだわるべきではないと、常々おっしゃってましたから」
「ふうん……けどさ、そういう作戦なら、最近噂になっているファーガスで暴れてる通り魔もおびき出せるかもなあ」
ふと飛び出したレオニーの物騒な言葉に、ずいぶんと顔色がよくなったマリアンヌが反応を見せた。
「私……聞いたことあります。なんでも突然現れて、問答無用で王国風の豚芋煮を食べさせるっていう……」
「ほう。それだけを聞くと空腹に喘ぐ民を助ける貴族的な行いにも思えるのだが?」
半ば感心したように言うローレンツに、マリアンヌはしかし小さく首を横に振る。
「それが……食べさせたあとに、絶対に牛肉は食べないっていう念書を書かせるみたいで……」
「あ、そうそう。で、念書に書いたことを破ると、どこからともなく猪が現れて村が襲われるっていうやつだよねー。冗談だと思ってたんだけど、それって本当なの?マリアンヌちゃん」
「な、なんと……庶民に食を強制させるなど、あの皇帝とやっていることが同じではないか!」
「だいたい犯人の検討がつくなあそれ」
義憤に拳を握りしめるローレンツの脇でべレスが真顔で言うと、その場にいた全員が(ローレンツを含めて)一斉に頷いた。それはそうだろう。王国風の芋煮、猪、牛肉の禁止、これだけ材料が揃っていて例の人物を想像するな、というほうが無理な話である。皆の頭の中では一様に彼が物凄い剣幕でぶちきれて生きたままの巨大な猪を放り投げる光景が浮かんでいた。
「ディミトリくんか!けど、ディミトリくんは処刑されたんだってオデは聞いたぞ。その噂を聞いた時はかなしくなって三時間くらい食事が喉を通らなかったんだ……」
「あんた、ディミトリとは筋肉仲間でしたもんね。うーん、何らかの方法で脱出でもしたんでしょうかね。ありそうですけど、あのバカ力ですし」
「だが彼が生存していると言うのなら、この作戦にも是非加わって欲しいところだな。目的は置いておいても、我々と共同戦線を張ってもらえれば言うことはないのだが……」
「まあ、そこはあてにできるかどうかわからないからおいておくとして、確かに今現在最も反帝国思想に声を上げやすい位置にいるのは俺たちだということはわかった。俺は賛成だが、先生はどうする?」
「私は問題ないよ。また帝国や王国の芋煮が食べられるならそれにこしたことはないし」
そう言いながらもべレスは片時も休まずに笹かまの材料を練り続けていた。最近は堅めの笹かまに凝っているようで、イグナーツと二人でまたしても色々と試作しているらしい。
これでまた軍資金が集まるな、とクロードとセテスは顔を見合わせて苦笑する。二人の作る蒲鉾は、味や柔らかさの差はあれど、品質に間違いはないからだ。
べレスの蒲鉾の噂は当然であるが商人や民間人を通して皇帝エーデルガルトにも伝わっていた。懐かしい名に様々な思い出が去来しながらも、エーデルガルトは再び帝国芋煮の絶対性を示すために挙兵することを決意。予め飼育してた大量の牛らや怪しげな軍勢と共に北上し、南下していた同盟軍とグロンダーズ平原にて会することになる。そしてそこには、旧王国ブレーダッド家の旗を掲げる謎()の軍勢の姿もあったのだった……。
グロンダーズ平原。フォドラでも随一の芋煮会向きの平原である。五年ぶりに、同じメンバーが顔をそろえていた。それぞれ時はうつろい様子も変化してはいたが、その手にしている材料はあくまでも同じである。帝国はその勢いを感じさせる巨大な鍋や謎の建造物(?)のようななにかを持参しており(正直こんなものをよくここまで持ってきたとクロードは逆に感心する始末だった)、また旧王国軍はなにやら不穏な空気と大量のイノシシ(相変わらずなぜか豚ではない)を控えさせていたが、差があるとすればその程度だろうか。そして同盟軍とセイロス騎士団のメンバーはといえば、開戦前に何やらこそこそと密談を交わしていた。
「皆わかってると思うが、今回の作戦は如何に両陣営に俺たちのメニューを悟られないようにするかが肝だ」
相変わらず小声でクロードが囁く。これはまたよくわからないことを思いついたのだな、とベレスは納得して、再び笹かま練りの作業に没頭していた。
「フン……当然だろう。五年前の対抗戦の時点でこの状況を想定していたというのは感心するやら呆れるやらだがな」
「ハハ、言ってくれるなローレンツ。だが、お前がグロスタール出身だからこそ今回の作戦は大分楽に進められたんだ、感謝してるぜ」
同盟領では牛肉はあまり馴染みのない食材のため、主に帝国との取引で仕入れていた。エーデルガルトが帝国風芋煮による大陸制覇を始めたために牛肉そのものは入手しやすくはなっていたものの、同盟領内でも帝国風芋煮派と王国風芋煮派に分かれ、この五年間互いに一色触発の状態であった。それゆえに肉の仕入れそのものが難しくなっており、取引をすればすぐ足取りを掴まれてしまうためか、闇商人や闇市などが横行し、正規の値段ではなかなか入手しづらくなっているのが現状であった。だが、幸いかなローレンツの父でもあるグロスタール伯は元々帝国芋煮支持派であり嗜好が帝国よりであったために、独自の伝手で質の良い牛肉を仕入れることができたのである。
「ローレンツの言う通りです。まさかわたしとイグナーツが今度は帝国の醤油やみりんをひたすら吟味させられるどころか作らされてたのもこのためだったなんて」
「それに関しては、二人とも本当によくやってくれた。おかげでこれだっていうものが出来たからな」
「まさかねー、ゴネリルでつくってた高級な甘いお酒が調味料になっちゃうなんてねー。リシテアちゃんが貸してください!ってすっごい剣幕でゴネリル領まで来たときはびっくりしたけど」
「う、あ、あれはその……でも、ヒルダのお陰ですごく助かったのは、ほんとうです。その節は、ありがとうございました」
「先生のお陰で、魚のいい出汁もたくさんとれるようになって、おかげ様で試作品もかなりの数作れたのは、ほんとうに助かりました!」
「出汁だけじゃないぜ、おかげで俺たちは食料に関しちゃあ全く心配しなくてもよかったからな。今フォドラじゃ肉を扱うとなれば相当に気を遣わなきゃならんが、魚なら問題はない。何を食べてもどう調理しても自由だ」
「そうですね、帝国や今の王国は、あまりにも締め付けすぎて逆に食材の生産まで制限してるって聞きますからね……それで同盟領に亡命してくる農民もいるみたいですし」
「だからなのかもだけど、ほんっとに先生の笹かまがバカ売れしちゃったもんねえ。確かに肉の代用品にもなるし煮ても揚げてもいいし、料理もしやすいし色んな材料と合わせてもいいけど、ちょっと引くくらい軍資金も集まっちゃたしねー」
「ああ、だからこそ、同盟領内で金にものを言わせて材料をすべてそろえることが可能なコイツに白羽の矢を立てたのさ」
「エドマンド領の昆布が役に立てるようで……よかったです……」
「マリアンヌちゃんが持ってきてくれた昆布、出汁とったあとも食べられるもんねー。ねぇねえこれでシンプルに漬物とかもできそうじゃない?」
「いいですね!余ったクズ野菜とかで作っちゃいましょう」
「……材料だけ考えたら五年前と殆ど変わらないじゃないですか。里芋消えてますし。それを敢えてメニューを変える理由は、なにかあるんですか?わざわざ入手しづらい卵までラファエルに頼み込んで」
「オデは、たっぷり食べられるんなら、なんでもいいけどなあ」
「うーん、そこは、同じものを二度出してもつまらんだろ?なあ、きょうだい」
「そうだね。多分帝国も王国も、私たちはまたきりたんぽ鍋で勝負を仕掛けてくると思ってるし、そのための対抗策は準備しているはず。けれど、クロードや君たちは五年間、この料理のことだけを考えて、私を待っていてくれた……だからこそ、私たちは今度こそ、必ず勝てる。私はそう信じてるよ」
「ああ、俺たちは負けない。コイツで、帝国風芋煮にも、王国風芋煮にも勝つんだ」
***
「グロンダーズ平原……苦節五年、ようやく来たわね。この大規模芋煮会をやるのにうってつけな場所に。皆、この芋煮会こそ、我が芋煮道による大陸制覇の要になるわ。そのための準備はできる限りのことをした……そうよね?」
「くくく……例の大量芋煮兵器は既に中央の丘陵部に手配済みです……」
「うむ。この、フェルディナント=フォン=エ(略)の手でもって見事に帝国牛を捌いてみせよう!」
相変わらず人相が悪化しているヒューベルトはいつもよりも楽しそうで、大量の牛を引き連れているフェルディナント=フォン=エ(略)は張り切りすぎて自前の踊りであるエーギルダンスを踊っている。その動きはキレッキレであり、気合のほどが伺えた。
「エーデルちゃん、前回の芋煮鷲獅子対抗戦からずっと頑張ってきたものね……いつか牛肉の美味しさをフォドラ中に知らしめるんだって。帝国の料理の美味しさを皆に味わってもらいたいって。大丈夫よ、私もそのための協力を惜しむつもりもないし、出来る事ならなんでもするわ」
「おう!オレはもっぱら食うことばっかだけど、雑用ならまかせろ!」
「あたしは引きこもりた……いけど、引きこもるためにはこの戦いを終わらせなきゃなんですよね、が、がんばります……!」
「芋煮といえば帝国風。それを広めるため、私たちは今まで戦ってきたわ……数多の(牛の)屍を越えて。大陸を帝国風芋煮で支配する、それがこのアドラステア皇帝である私に課せられた使命。同盟や王国には悪いけれど、芋煮と言えば醤油味に牛肉、それが常識の世の中を作らせてもらうわ……特に王国の豚汁には、絶対に負けられない戦よ」
「そうだよなあ。王国風芋煮って、要するに豚汁だからなあ!いやオレ豚汁も好きだけどよ」
「カスパル、今その発言は流石に空気が読めてなさすぎるよ……まあ、豚汁だっていうのは、同意するけど」
「王国風芋煮、芋煮ではなく、豚汁。常識です。私、覚えました」
「ペトラちゃん……よかったのかしら、これで」
「はい。エーデルガルト様、ブリギットの辛味汁掛飯、取り入れてくれました。感謝、です。ブリギットの文化、食べ物、これで、広まります。広まれば、きっと、ブリギットとフォドラ、わかりあえる、思います」
「そうね、牛肉入りの辛味汁掛飯は美味しいものね」
「え、ええっと、ベルの味〇ジュウも、改良に改良を重ねて、た、たっくさん準備してきましたので!バッチリです!」
「五年前と同じ材料……けれど、私たちを五年前と同じと侮るようなら、決して勝ち目はないわ。私たちはこの戦いを制し、次を目指すのよ!」
***
「……エーデルガルト……!!」
「あーやっぱ殿下、相変わらずイノシシ連れてくるんですね……」
「これは帝国や同盟の陣営を混乱させるためだけの、フェイクだ」
「いやいや、フェイクってそのためだけにこんな大暴れしてるイノシシを三十頭も連れてこさせられたんですか、俺たち?!」
「エーデルガルト……許さない……必ず……倒す!!」
「イノシシはイノシシ同士仲良くやらせておけ。俺たちは俺たちでいつものように芋煮をするだけだ」
「そうね、今度こそ負けないよう、フェリクスなんて豚の解体の仕方から五年間ずっと練習してたものね」
「……チッ、余計なことを言うな」
「僕も、随分MISOを改良してきましたし!前は合わせMISOなので肉の臭みをとりきれなかった面があったから、今回は完全に赤MISO、それもフェルディア産をベースに大豆分を多くしたから、多分ずっと豚肉の臭いも吸着してくれるはずですよ!」
「アッシュすごい……あたしなんて、五年間ひたすら野菜を育ててたくらいだよ?」
「でもねアン、芋煮は野菜も大事じゃない?特に王国風は、野菜もたっぷりはいるから~……」
「そ、そうだよね!ありがとメーチェ。うんっ、あたしも、この時期に美味しさたっぷりになるように、色々工夫して育ててみたんです。だからきっと、五年前よりもずっとおいしい芋煮になるはず!」
「里芋は私が頑張って育てたのよ~、ちゃんと冷やさないように、大事に持ってきたから、心配しないでね」
「そういや豚肉はどこなんだ?」
「ちゃんと私が持ってきたわよシルヴァン。ほんとうはあなたがゴーティエ家から持ってくるはずだったのをすっかり忘れてたから、慌てて調達したやつがね!」
「……はいほんとすみませんでした……い、いやでもな⁉別に俺だってサボってたわけじゃなくて、殿下がこんな大量にイノシシ引き連れてくるのなんとかかんとかまとめてここまで連れてきたんだぜ⁉」
「シルヴァンお疲れ様です……でもこのイノシシ、何か意味ありますかね……」
「アッシュ、大丈夫だ。戦いが始まったら、こいつらを離す」
「えええええ⁉そ、そんなことやっていいんですか?」
「……見ろ、帝国の陣営を。あの謎の巨大な建造物(?)、それに巨大な鍋。一筋縄ではいかないどころか、正攻法で勝てる相手ではない。同盟陣営に至っては、何を考えているのか全くわからん」
一同、ドゥドゥーの言葉に一斉に帝国陣営の方を注視する。そして、そこに鎮座している巨大な謎の物体を眺め、なんともいえない微妙な表情になった。
「た、確かにドゥドゥーの言う通りですね……。なんでしょうあの大きな……魔獣やゴーレムとも違う何か……」
「見たこともないよね、あんなの。なんだか大きな車輪もついてるし。動くのかな。どうやって動くのかな?」
「わからないわね~。とにかく、私たちは私たちのやれることをやるしかないんじゃない?」
メルセデスの言う通りである。よくわからないものは、放っておくに限る。そう判断した青獅子のメンバーは、互いに顔を見合わせて頷く。そしてディミトリはひとり、帝国陣営の方を睨みつけて「エーデルガルト……」と呟いた。
直後のディミトリの号令と共に(シルヴァンが必死にドラゴンの上から煽って)戦場に放たれる約三十頭のイノシシの群れ。彼らは決して止まらないし止まれない。思うがまま、気の向くままに巨体がグロンダーズ平原を暴走してゆく。更に背後ではドゥドゥーがいつのまにやら習得した謎の踊りでイノシシらを加速させる始末。まるで暴走機関でもつけたかのように、イノシシの群れは疾走していた。
「……悪いな……これも戦争なんでね……」
一応シリアスな顔と声をしているが、実はシルヴァン、とても必死である。少なくともイノシシが王国軍陣営に向かってこないようになんとか彼らの注意を引きつつ暴走させなければならないからだ。正直なところ騎士団を率いるのもたいして得意ではないところに暴走イノシシの群れである。ドゥドゥーに任されたといわれた時は、一晩泣き明かした。
ともあれシルヴァンの苦労と涙を飲み込んで、イノシシたちは綺麗に二手に分かれて片方は同盟陣営へ、片方は帝国陣営へと向かっていった。これで、シルヴァンの仕事は殆ど終わりだ。グロンダーズ平原にこれでもかと巻き起こる土煙を見送りながら、思わず安堵のため息をこぼすシルヴァンだった。
最初に異変に気付いたのは、野菜の下処理をしていたリシテアとローレンツだった。単純に彼らが一番青獅子陣営に近い位置で仕事をしていたからである。
「えっ……どうしてイノシシがこっちに向かってきてるんです?」
「イノシシ?リシテアさんなにをいって……なんと!冗談ではなかったか、皆、緊急事態だ!」
二人は慌てて(それでも仕事を放り投げる事はない)調味料を調節していた残りメンバーのもとへと駆けた。
「よくわからないが、とりあえずソイツを守れ!絶対に、死守しろよ、今回の肝なんだからな!」
「あの、クロード、あんたが飛竜で避難させてくださいよ。少なくとも地上よりはだいぶ安全です」
「それはいいが、イノシシはどうするんだ?あいつら真っ直ぐにこっちに向かってきてるじゃないか!」
ローレンツの言葉に素早く行動したのは、レオニーとイグナーツであった。二人とも、同盟陣営きっての洞察力の持ち主である。
「それならわたしたちの出番だね!イグナーツ、いくよ!」
「は、はい!幸いまだ距離はありますし……レオニーさんは上空から牽制してください、ボクが……確実に殺ります!」
ぴったり息の合った二人がそれぞれ戦闘準備を始めると、つづけてラファエルが(主に調理での仕事が終わったので)立ち上がった。
「うおおお、オデもいくぞ!料理の邪魔をする食料なんか、このオデが全部食ってやる!」
「ま!ラファエルさんがとてもたのもしくみえますわ!わたくしも、力及ばずながらお手伝いいたします、皆さん!」
「じゃあボクもそっちを手伝うよ、少なくとも料理よりは役に立てそうだし」
「それじゃあレオニーとイグナーツ、フレンにラファエル、ツィリルはイノシシを確実に仕留めるとして、残りのメンバーはそのまま調理に戻ろう」
それぞれペガサスや飛竜まで傍に待機させていた意味がようやくわかったベレスだが、そこはクロードのことなのであえてつっこまず、淡々とことをすすめてゆく。なおベレス本人は五年前同様相変わらず笹かまを焼いていた。
「はーいせーんせー!まあレオニーちゃんとイグナーツくん、ツィリルくんなら間違いないもんねー。ラファエルくんとフレンちゃんもいることだし。じゃああたしはこのまま玉ねぎ蒸し焼き開始しちゃうねー」
「はい、ヒルダさん、お願いします……。私は……牛脂で長ネギを炒めておくので……」
「そうしたらあたくし、豆腐を焼いてしまうわね。ちょうど水切りが終わったところだったから」
「仕上がりのタイミングには気を付けてくれたまえよ、マヌエラ君。この料理はすべての材料を合わせる段階こそ重要で、特に肉が柔らかく仕上がるようにするためには……」
「んもう相変わらずうるさいわねハンネマン!わかっているわよ、あたくしこれでも料理は得意なほうなのだから、いちいち指図しないでくださる?」
「あーあーまーた二人の夫婦喧嘩始まっちゃったー。まあいいけどー、っていうか蒸し焼きにしている間ってヒマだから、卵溶いちゃう?」
「あの……卵はあまり早く溶きすぎても……お肉がいい加減に焼きあがったらで……大丈夫です」
「そっかー。そしたらあたしは少し片づけとかしてるねー、何か必要になったらいつでも呼んで!」
「ありがとうございます、ヒルダさん」
突然の状況変化にも動じずにやるべきことをとっさに判断し行動している彼らを感慨深げに見ながらもベレスやはり次々に笹かまをこしらえてゆく。五年前はただの非常食であったそれも、今では重要な資金源なのだ。
「……ふむ。イノシシもありだな……どうだ、きょうだい」
「うん、いいね。アレもたっぷりあるし、処理をしているあいだに最初の材料で仕上げて、つづけてイノシシで同じようにつくる。幸い材料に違いもないし」
「まあ、肉が多めになるが、そこはご愛敬だな」
特にやることがない(レオニーに手出しするなとキツく言われている)クロードとベレスは二人、互いに顔を突き合わせて頷くのだった。
「イグナーツ、そっち、三時の方、いったぞ!」
「……はい!」
天馬の羽音と共に降ってくるレオニーの鋭い声をとらえた瞬間、イグナーツは間髪入れず一直線に向かってくるイノシシの眉間に矢を放つ。そして矢が刺さった瞬間、彼の目標は既に別の個体に移っており、次々と一撃必殺の矢を放ってゆく。一方のレオニーも上空から得意の弓矢でイノシシの動きを牽制し、イグナーツが狙いを定めやすいように誘導していた。
「イグナーツさん、レオニーさん、頑張ってください、ですわ!」
「こらああああああああ!イノシシ!オデの食事の邪魔をするなら許さねえぞおおお!」
フレンは次々とイノシシを狩ってゆく二人の疲労を白魔法で回復しながら鼓舞の舞を踊り、ラファエルは猛然と向かってくるイノシシへと突進し、一匹のイノシシとその場で組み合う。
「うおおおおおおおおおお!負けねーーーぞおおおおおおおお!!」
ものすごい音と共に土ぼこりや草が舞い、イノシシとラファエルはその場でガッチリと組み合った。一分弱、一人と一匹はその場から動かなかったが、やがてラファエルが腹の底から叫ぶと同時に、イノシシの身体が空を舞った。
「どおおおぉおおーーーーりゃぁああああああああ!!」
「そこだ!」
そして、空を舞っているイノシシが重力に逆らえずに落下する前に、イグナーツの矢がその眉間を貫き、やがて重たい音と共にイノシシの巨体が墜落した。
「すごいですわ!お二人の連携、息がぴったりですわ!」
「よーし、あと残りは……」
「ボクが仕留めてきたよ。放血もちゃんとしてきた」
「さっすがツィリル、助かるよ」
「じゃあこっちも早く放血しちゃいましょう、気絶させてるだけですし」
「そうそう。そこが大事なんだよなあ。じゃあまあ、さっさとやっちまおうか!」
「そうですね。あ、フレンさんは見てなくてもいいですよ、なんていうか……あとでセテスさんに怒られそうですし……」
「いいえ!わたくしも、イノシシがどういうふうに食べられるようになるのか、とても興味がありましたの。ぜひ、見せていただきますわ!」
「……見て面白いもんでもないけどな。まあ、別にわたしはいいよ」
***
「おい、フェリクス。同盟のやつら、殿下のイノシシ解体しだしてるんだが」
「見ればわかる」
「もしかして、食うのか?食うのか?」
「繰り返すな。あの先生がいるんだ、そうに決まってるだろう」
思わず里芋を剥く手が止まるシルヴァンと、幼馴染に応えつつも淡々と自分の分は手早く剥いてゆくフェリクス。
「うへぇ……なんだよそれ……勘弁してくれよなあ……俺、アイツラのために散々苦労してんだぜ……」
「まったく、敵に塩を送るような結果になるとはな。あの猪め、何も考えないでいるからこうなるんだ」
「ちょっとそこの二人ー!口ばっかり動かしてないで手を動かして!もうそろそろ里芋は入れなきゃならないんだからー」
シルヴァンのサボりをまるで見透かしたかのようなイングリットの声が飛び、シルヴァンは思わず肩をすくめ、フェリクスは不機嫌そうに舌打ちをする。
「あー、はいはいわかったわかった」
「なんで俺まで……」
一方の帝国陣営は、イノシシの大群に動じる事なく調理を淡々と進めている――否、ふたりをのぞいては。
「ねえヒューくん、ヒューくんはそれがあるとして、私はあれ相手に何をすればいいのよ」
「くくく……貴殿のことですから、おそらく必要になればおわかりいただけるかと」
「んもう!だからって何の説明もなしにつれてこられても、困るわよ?なんだか無茶苦茶突進してきてるじゃない……」
「いいえ、ドロテア殿でしたら大丈夫です……さて」
ヒューベルトはドロテアをその場に残すと、突撃してくるイノシシの群れを前に、ひとり、謎の建造物(?)――ゴーレムとも建物ともつかないそれを連中は「重機」と呼んでおり、エーデルガルトが直々に「シュヴァルツアドラーマシーナ」と名付けた要するに秘密の遺物のひとつである――詳細はここでは伏せるが、ともかくその遺物に乗り込んだ。なおヒューベルトは勝手に大量芋煮兵器と呼んでいるし、黒鷲メンバーはだいたいそちらの名で認識しているのはいつものアレであるが、一応エーデルガルトの前では「シュヴァルツアドラーマシーナ」と呼ぶ程度の気遣いはしていた。
「不測の事態であろうとも……何者であろうと、エーデルガルト様の邪魔はさせませんよ……たかが、けものであるイノシシごときに!」
カッと目を見開き、ヒューベルトは操作盤にあるもっとも大きなレバーを引いた。とたんに重たい金属音があたりに鳴り響き、巨大な首のように見える金属が連結したそれがゆっくりと動いた。首の長い魔物のようにすら見えるそれは、金属音をぎしぎしと響かせながら向かってくるイノシシの方へと伸びてゆく。そしてイノシシの先頭集団と接触するか――そのタイミングで、首の先端部分にあたるやはり巨大なカゴ状になったものだけが上方向に一瞬動き、一気に振り下ろされた。
轟音と共に土砂が舞い、イノシシの群れの上に容赦なく落ちてゆく。そして先頭が潰されひるむイノシシの群れに、続けざま空から降り注ぐ業火が次々と襲い掛かった。派手な爆音――そしてイノシシの無様な悲鳴。その場が落ち着くまで実に数分を要したが、やがてグロンダーズ平原の一部にえぐりとられた地面とその場に横たわるイノシシたちという珍妙な光景が出来上がっていた。
「くくく、絶妙なタイミングでしたな、ドロテア殿」
「あのねえ、なんとかなったからいいけど、とっさに大技使っちゃったわよ」
「打ち合わせもなかったというのに、その機転と度胸、実に見事でした。ドロテア殿でなければできない技ですからな」
ヒューベルトが説明不足というのは珍しいのだが、もしかすると彼はこの遺物を操作することに燃え上がり妙に気が逸っていたのかもしれない、とドロテアは思った。男子とはだいたいそういうものなのである。
「……あら、褒めてくれるのね、ありがと。それはいいけど、このイノシシはどうするの?芋煮にしちゃう?」
「なるほど、それもよいですな。幸いエーデルガルト様が持参した鍋は沢山ありますし、イノシシはやることのないフェルディナント殿に預ければ喜ぶでしょう」
「あー、フェルくん確かにヒマしててひたすら皆を鼓舞するのだ!とかいってエーギルダンスばっかり踊ってたしね。じゃあ呼んできましょうか、流石に私とヒューくんで運ぶのは無理でしょう?」
「いえ、この遺物を使って運べます……このように」
再び遺物に乗り込み、ヒューベルトが何度かレバーを動かすと、首の先端部分のカゴが何匹かイノシシを救い上げて目の前に持ってきた。
「へえ、すごいのね、これ。それなら私は元の場所に戻るわね、まだ料理も終わってないし」
「ええ……よろしくお願いします。フェルディナント殿の解体が終わり次第、貴殿らにまた料理を頼むでしょうが」
「そうね。それにしても、こんなに大量のイノシシ、エーデルちゃんどうするのかしら」
「芋煮にしてさらに余るようであれば、多少手を加えて保存食にしてもよいでしょうな……ですが、我がアドラステア帝国が誇るあの巨大鍋にかかれば、この程度の量はどうにでもなるかと」
「野菜もそういえばリンくんがたくさん持ってきてたっけ。それにしても、エーデルちゃんがこれを持ち出したときは何事かと驚いたけど、結構使えるのねえ」
「それはもう、我が帝国が誇る大量芋煮兵器ですから」
***
「…………、フェリクス」
「見ればわかる」
「俺は何も言ってない」
「帝国があのわけのわからんもんでイノシシを始末したっていいたいんだろう。それはいいからお前は手を動かせ。またイングリットにどやされるぞ」
今度は里芋の皮むきではなく人参のいちょう切りを任されている二人。量が量なので、ゴーティエ家嫡男とフラルダリウス家次男ふたりが駆り出されているのだが、他に適役がいなかっただけといえばいなかっただけである。人参よりは柔らかく切りやすい大根は女性陣が任されており、アッシュは肝心かなめの調理に専念してもらっていた。なお、ドゥドゥーはディミトリのお守りである。
「……お前まじで動じないのな……」
「フン、この程度修行していればどうということはない」
「……そういうもんでもない気がするが……さてと、こいつらをさっさと鍋に突っ込むとしますかねえ?流石に腹減ってきたな……」
「おい、五年前の金鹿のような真似をするなよ」
「しねえよ!ほんっと俺って信用ないな!」
「むう、このままだとあたしたち不利じゃない⁉」
「と、突然どうしたんですかアネット」
「だからー、同盟も帝国も、殿下がひっぱってきたイノシシ、捕まえて料理しちゃってるじゃない!そしたら、芋煮だけのあたしたちって単純に不利にならない?」
謎の憤りを包丁にぶつけるアネット。それでも大根の形はキレイに整っているのがアネットらしいというか。対するメルセデスはにっこりと笑みを浮かべて一時作業の手を止めると、なにやら荷物からごそごそと取り出して見せた、
「ふふふ~、こういうこともあろうかと、実はこれを持ってきてたのよ~」
「メーチェ?って、それは……!」
「そう~、アンはこれ、大好きでしょう?」
「大好物、だけどっ!」
「メルセデスそれは!!」
アネットが思わず作業の手を止めて見入っていると、調味していたはずのアッシュまで声をあげる。恐らく匂いでメルセデスの持ってきたものを察知したのだろうが、その嗅覚おそるべし。そしてアネットとアッシュを釘付けにしているそれは、緑色のペースト状のものだった――王国では主にそれをずんだと呼び、帝国ではヌタと呼ばれているが、王国が先んじて特産物として行商人らに宣伝のために初めはほぼ無償で配り広めてもらった結果、この枝豆をすりつぶし甘みと少しの塩味を加えたペーストのことはずんだと呼ばれている。が、それはあくまでも帝国以外の話であり、現在も最大版図を誇る帝国が存在する限りはヌタという呼称もまだまだ現役なのだ。
「あら~、そういえばアッシュも好きだったわよね~」
「あ、でもメーチェ……それ……帝国のひとたちに見つかったらまずくない?ほら……帝国だと呼び方も違うし、その、いろいろと」
「そうだね……。ずんだに関しては、帝国とは芋煮レベルで戦争が起きかねない歴史があるからなあ」
「大丈夫よ、ちゃんと帝国風の、全部すりつぶしたやつもあるから~」
「え、うそっ、メーチェそこまで考えてたの!それなら安心だね!」
「それに名前を言わなければ、王国も帝国もないでしょう?アンは心配性ねえ」
「そ、それもそっか……はあ、もう、だからってなにも芋煮戦争の最中に持ち出さないでよ~、もう完全にそういう頭になってるんだから~」
「あはは、それは確かに。でも、いいかもしれませんね。ちょうど芋煮もあとは材料を入れて煮込むだからイングリットさんたちに任せられますし、僕たちで団子でも作りましょうか。団子だったらいつも持ち歩いてる材料で時間もかからないですぐできますし」
「あっいいねお団子!お湯と米粉があればできちゃうし、米粉だったら何かに使うかなーって、あたしも持ってきてたんだ!さっそく作っちゃおう!」
***
「で、先生。やっぱりアンタ、コレを焼くんだな」
呆れたように呟きつつも、ベレスが焼いている笹かまをそわそわと眺めているのはカトリーヌだ。彼女もまた、ベレスの笹かまに魅了され金鹿学級に協力してしまった犠牲者の一人である。
「うんまあなんというか、これが私のライフワークというのかな……ちょうど一枚焼けた」
「ん?これは……チーズをいれたのか?」
「ラファエルが卵と一緒にたくさん持ってきてくれたからね。以前ちょっと作ってみた試作品なんだけどどうだろう、結構合うと思うんだけど」
「いや、結構どころか、これはかなり美味いぞ、アタシは気に入った!おい相棒、アンタも食ってみろよ!」
あまりの美味しさにきらきらと目を輝かせながらカトリーヌは木陰で状況を見守っていたシャミアを呼ぶ。
「私は先に食べた。お前が好きそうだと思ったな」
「……いつの間に……いや、にしてもこれは、携帯食にもいいかもな。先生、どうなんだ?保存はきくのか?」
「うーん、そこはまだなんとも。とりあえずまだ現段階だとすぐ食べないと風味が落ちるからね」
「そうか……これで保存がきくなら、それこそフォドラ中で重宝するだろうになあ」
さも残念そうに言いながら、カトリーヌは続けて焼きあがった二枚目に手を伸ばしていた。
「そういえばお兄様。これって、どうやったら決着がつくんですの?」
「……クロードとベレスはエーデルガルトの心を折るとか言っていたが……実際のところ、折れるどころか同盟と帝国が張り合い続けてるだけだな……王国は頼みの綱のイノシシが壊滅して撃沈したディミトリ以外は特にトラブルもなく調理を進めているが」
「わたくしはあくまでも先生たちの味方ですけれど、帝国の芋煮も、王国の芋煮も、とてもおいしそうですわ!」
「……そうだな……いっそこの場にいる全員で、全部を食べ比べるというのはどうだ?」
「それはよい案ですわね!それなら皆さん、平和的に解決しそうですわ!そういうことならさっそく皆さんにわたくしがお知らせしてきますわ!」
そしてグロンダーズ平原の中央丘陵部には、それぞれが作った芋煮(以外も含む)がずらりと並んでいた。
「……というわけで、だ。どうやっても決着がつきそうにないので、今回は参加者全員で食べ比べをすることにした。フレンに皆を呼ばせたのはそのためだ。幸いどの陣営も量だけはありそうだからな、問題なかろう」
「ええ、異論はないわ。たとえ誰が食べようと、帝国風芋煮の美味しさは絶対なのだから」
二つの巨大な鍋を(例の大量芋煮兵器に似た謎の遺物で運んできた)目の前に、エーデルガルトを始めとした帝国陣営は堂々と(リンハルトはやはり半分寝ている)勢ぞろいをしていた。
「そうだな。俺も構わないぜ。今回は変化球だが、自信はある」
なぜかメニューを秘匿したがっている同盟陣営は、十人前ほど作れそうな鍋合計八つには厳重な蓋をしている。そしてその脇にはなぜか大量の、色とりどりの焼きたて笹かまが並んでいる。
「……エーデルガルト……俺のイノシシまで……絶対に、許さん……」
ディミトリ以外の王国陣営は、やはり同盟と同程度の大きさの鍋四つに、急遽作られた大量のずんだ団子が並べられており、甘いもの好きの視線はそこに集中していた。
「ふむ、おあつらえ向きに、全員分あるようだな。では、実食開始といこうか」
***
「なんてこと……シュヴァルツアドラーマシーナを擁する私たちが……負けるなんて……」
「エーデルちゃん、別に負けてはいないわよ。勝ってもいないけど」
「ドロテア殿、エーデルガルト様にとっては、勝つこと以外は負けなのですよ……」
「まあ、でも、結局どれも美味かったよな!オレは腹いっぱい色んなメニューが食えて楽しかったぜ!特に同盟のすき焼き、あれは、どっちも最高だったなーーー!あれはまた食いたいなあ!」
「……はあ、カスパル、相変わらず君は……同盟のすき焼きに関しては変化球もいいところで芋煮じゃなくなってたじゃないか。僕は王国の団子が一番美味しかったかなあ……あれ、どう見ても……ってこれ以上は禁句だった」
「王国の、豚汁、意外とおいしかった、です。身体、温まります」
「こんなことでは……我が覇道は……!!」
「おい、エーデルガルト」
「……エル……」
エーデルガルトが顔をあげると、そこにはクロードとディミトリ、それにベレスが立っていた。
「とりあえず笹かまをあげるよ」
「きょうだい、なんでも餌付けするみたいにすぐ笹かまを与えるなよ」
冷静に突っ込みを入れるクロードを他所に、敗北感(?)に打ち震えていたエーデルガルトはベレスの声に顔を上げる。その双眸には涙すら浮かんでおり、悔しさが伺えた。
「師……私のために……焼いてくれたの……」
「うんまあ、ヒマしてたからね。エーデルガルトは野菜を入れたほうが喜ぶと思って、色々入れてみたんだ」
「……ありがとう……美味しいわね……」
割と素直にベレスの笹かまを口にして、エーデルガルトは力なくぽつりとつぶやいた。
「なあ、エル。それは先生が魚から作った練り物を焼き上げたものだ。牛肉ではない。それに……俺たちの、王国芋煮と団子も食べただろう」
そこに、何故かきれいなディミトリになったディミトリがやさしげに声をかける。先ほどまでとは完全に別人なのだが、青獅子のメンツはなぜか号泣しているので、その件に関しては皆そっとしておくことにした。
「……ええ。帝国芋煮はもちろんだけど、……味に、遜色はなかったわ。それぞれが、素材の持ち味を最大限に引き出す調理工夫をして、食べるタイミングまで考えて」
「まあ正直、帝国のあのデカブツを見たときは正気かと思ったけど、あんなもんで料理もできるんだなあって感心したよ。しかも味は大量調理ならではの味わいを巧い事引きだしてるからなあ」
「……もう気が済んだだろう。俺も、イノシシを平然と調理しているお前たちを見て、目が覚めた。ダスカーの悲劇は、昔のことだ」
「……そうね。あれは悲しい事件だったわ」
「なんというか、魔がさしたというか、タイミングが悪かったというか」
と、なんとなく良い雰囲気になりかけていたのでベレスはまた一人でいそいそと笹かまを焼こうとしていると、フレンが駆け寄ってきた。
「みなさまお揃いなのですね!あの、わたくしから、提案があるのですけれども!」
「フレン?どうしたんだ、藪から棒に」
「あのあの、わたくし!みなさまのお料理、すべて、とても美味しかったんですの!それで……こんなにおいしいお料理なら、レアさまにも食べていただきたくて……」
「……!フレン……」
「ねえ、これもいい機会ですから、みなさんでいっしょに、レアさまを探しませんこと?その方が、きっと、レアさまも早く見つかると思うのです」
「確かに、これだけの食材が揃っていれば、もしやレアも匂いを嗅ぎつけて出てくるかもしれんな……」
「そうか!レアはそういえば新しい笹かまは食べさせてなかった!」
「きょうだいそこかよ」
「師……変わらないわね……」
「ああ、まったくだ。士官学校時代に戻ったみたいだな、まったく」
憑き物がとれたようなエーデルガルトとディミトリは、互いの顔を見合わせて笑う。
「そうですわ!先生の笹かまはぜったいに、ぜーったいに、レアさまに気にいっていただけますわ!ですから……」
「そうだね。皆でレアを探そう。そして各地で美味しい料理をたくさんつくれば、きっとレアも出てきてくれるよ」
「……そうね。私の覇道が潰えてしまうのは、残念だけれど、いえ……何も、もっとたくさんの人々に、ただ、食べてもらえればいいだけの話よね」
「ああ。所詮、食べ物の話だからな」
「ええ、食べ物の話よね」
エーデルガルトとディミトリは、顔を見合わせてぎこちなく笑う。それを見てフレンは「ま!」と手を合わせて喜び、セテスもまた安堵したように微笑を浮かべた。 そしてベレスは、またクロードとともに笹かまを焼いていたのだった。
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