天井への階段

 デイン王都ネヴァサ、ろくに太陽の光も当たらない、王城の北側に位置する、雑多な場所――貧民窟。
 無秩序に立ち並ぶ住居、浮浪者や死に損ないの徘徊する、汚物にまみれた道ならぬ道。だが、そんな劣悪な環境を行くイズカの足取りは、軽い。
 なぜならばこの先には、己の存在意義であり、生きる目的であり、そもそもその為に己は生まれたのだと断言出来る「研究」を思うがままする事が出来る、約束されるものが在るのだから。
 
 大陸一の版図を誇るベグニオン帝国は元老院から要請があったのは、半月程前。同時に別方面からは、元老院と敵対する宰相セフェランその人から直々にの依頼。
 そのどちらもが、ほぼ同じ事を、違う手法で依頼してきたものだから、イズカは歓喜した。
 やはり優れたる研究者には理解者が必ず現れる。そう思うだけでイズカは己に価値を感じる事ができる。すれば街路に立ちこめる汚臭すらも、香しき芳香に変化する。

 デイン王に遺児ありーその虚報を真実とし、「ベグニオン駐屯軍圧政に苦しむ民衆」に救世主を。デイン前王アシュナードには、確かにその血を分けた実子がいた、という事実は、デインの奥向きの事を知る限られた人間のみが握っている情報である。しかしベグニオン元老院及び神使派の情報収集能力をもってすれば、いとも容易く探り出せる程度の秘事だった。
 なぜならば、アシュナードその人に、その御子に対する関心がまったくなかったのだ。行方がようとして知れぬ嫡男の存在、それだけに説得力さえあればよい。
 実際に、嫡男ではなくとも、よい。
 ただ「デイン王の遺児」である証拠さえあればよいのだ。

 最初にイズカに課せられたのは、「デイン王遺児」の探索であった。

 イズカが知り得る情報はこうだ。
 王妃アムリタは確かに赤子を身ごもり、出産をした。だが、その赤子はアシュナードその人によりどこぞへ打ち捨てられた。ゆえに、表向きはアシュナードには嫡子はいないとされている。
 その理由、一つは先刻述べたようにアシュナード本人の嫡子の放棄。
 もう一つは、唯一アシュナードの嫡子を身ごもったアムリタがラグズであったこと。
 ベオクとラグズの婚礼、そしてその契りの後生まれた子は、女神アスタルテの意志に大いに背くものとして、ベオク、ラグズ、双方から疎まれ、排斥される。それがこの世界の、イズカにしてみればひどく無意味で理解を示すにおよばない、唾棄すべきな「常識」だった。
 「デイン王遺児」は印付きであり、額に印を持つ赤子。その印の紋様と、およその年齢。

 更には、将来的な事も鑑みて順応であればあるほど良い、とも。

 そうなると、身分の高い貴族階級、及び商家といった手合いの者は駄目だ。
 あれこれとやかましくその身内なり何なりに口出しされる上、例えイズカが見いだしたとしても、そのイズカ本人の権限が制限される恐れがある。事実関係を洗われる危険性も高いし、何よりも目立つ。
 来るべき名乗りの日まで、その存在が謎であれば謎である程に、民衆の期待というものは高まる。ゆえに、その存在は限界まで伏せておかねばならない。

 反対にイズカは貧民層に目をつけた。
 どこにも必ず存在する、最下層の人間。雑草のごとき生命力で、劣悪な環境に這いつくばるようにして存在する、大勢の愚か者ども。その生まれすらもろくにわからぬようなものが大勢いるのだ。それら有象無象の中から指定された対象を見いだせれば、これこそ一石二鳥である。

 実はイズカはその話を聞いた時から心当たりがあり、一度接触を試みていた。反応は上々。

 心当たりとは、昔の知り合いだった。
 研究の対象こそは別であったが、元々己と同種の、「研究熱心さ」のあまり放逐された人物だ。
 些かの礼金と、知識でそれをイズカはあっさりと見いだす事が出来た。当然、早々に「デイン王遺児」を見いだした事に、元老院、宰相共イズカを高く評価した。

 そして、現在。イズカが見いだした「デイン王遺児」を、イズカが自ら迎えに行くところだった。
 それは孤児であり、肉親の情に恵まれない子だった。信頼させるに最も都合が良い条件。
 それは魔道の才に優れていた。こと、幼き頃より難解とされる闇魔法に天賦の才を示し、己自身で精霊と契約、術を既に行使出来るという。
 契約の後、貧民窟で「事件」が発生。その護符の印を「印付き」の証と誤解され、迫害されているところを今の庇護者により救われ、以後、情愛の通わぬ共同生活。
 庇護者は趣味の一環で「孤児院」などを経営していたらしきことは、随分以前から知っていた。だが、それは、イズカにとって当時有益な情報ではなく、だから、頭の隅においやり、今の今までほこりを被った無用な知識として蓄えられていた。
 庇護者がそれに関心をしめし、無知なる市民からそれを救った理由は、その才覚に強く強く興味を抱いたからに他ならない。彼は、そのような「孤児」を随分と集めていたようだ。その他の孤児のことなどは、イズカは知りもしない。
 その額に印。予め教えられていた場所、形とぴたりと符合。
 まったく幸福な偶然。
 彼の庇護者はイズカと同種の…権威は既に過去のものであるが、闇魔法の熱心な研究家であり使い手であり、それ以外に人生の意義を見いだせない人物だった。
 名をイズカは失念したままだった。この際どうでもいいことだ。
 
 「デイン王遺児」はそれは予想通りに貧相な青年だった。だが、問題はない。
 それの庇護者は相当にそれを手酷く扱っていたらしく、突然現れたイズカの信じがたい言葉にすぐさま傾きかけた。
 これは予想済みだった。イズカとて、肉親だとか家族だとかいうものに対して幻想を抱く者の思考は知っている。情を言い訳にする、まったく馬鹿げた思考だが、あらゆる知識を貪欲に求むイズカにとって無駄な知識というものはない。
 とはいえ、突如表舞台に立つという事に対しては相当躊躇があったようだが、そこをイズカは言葉巧みに説得した。そして何より、それはデインという国に馬鹿馬鹿しい程価値を見いだす手合いだったーこれはどうもデインという国の特質らしい、とイズカは感じている。国などという概念に囚われる愚かさを、日頃は嘲笑うイズカだったが、利用しやすい対象であることは確実だった。
 さらに彼の庇護者の一言が、その足を、人が住まうよりも書物その他怪し気な道具を保護すべき目的で建っているとしか思えないあばら屋から踏み出させた。『役立たずのお前でも、私にいくばくかの対価をあたえてくれるらしい』
 それは、決して何も言わなかった。
 長年自分を「育てて」くれた庇護者に対し、背を向けたまま最後に呟いた。『ありがとうございます、あなたのお陰で、僕は生きてこられました』
 庇護者は軽蔑するように、その背中を一瞥しただけで、熱心にイズカに与えられた書物を読みふけっていた。

 かようにしてまんまとイズカは「デイン王遺児」を籠絡させ、それはそれは丁寧に、恭しく接したために、すっかりとそれはイズカを信頼しきっていた。

 だがこれだけでは何も出来はしない。
 当然イズカは、「デイン王遺児」を己に心酔させつつも次の段階を踏まえた行動していた。次に必要になってくるものはデイン遺臣だ。仮にも「解放軍」である。当然、その名称に説得力がなければならない。
 イズカは研究者としてはその筋にのみはよくも悪くも有名であったが、一般的にはあまり知られた存在ではなかった。その研究内容を考えれば、当然なのだが。

 予め目星をつけておいた、イズカに対して口出しを出来る程政治的な判断力はなく、無駄に国だとか王だとかに意義を感じ心を傾ける傾向があり、それなりにデインで名の通る愚か者…そちらは用意済みだった。
 先のデイン=クリミア戦争にてこともあろうかクリミアに寝返ったかつての四駿・タウロニオ、同じくデイン軍所属の父の屍を乗越え、その遺恨を晴らした竜騎士ジル、デイン人でありながらラグズに執着し、各地でその名を馳せる手練の傭兵ツイハーク。
 この善良なる尊敬すべき愚か者は、「デイン再興」などという甘い夢をちらつかせたとたんに、見ず知らずのイズカの言をすっかり信じ込んでしまった。
 勿論その場ではさも真摯に、知的に憂国の手合いを装ったが、腹の底でイズカは侮蔑し、嘲笑っていた。なんとも愚かで考えの足りぬ連中と、笑いが止まらなかった。
 何しろ、着飾らせ付け焼き刃の教育を施した「デイン王遺児」に会わせたとたん、疑う事もなくそれをすっかり本物と信じ込んでしまい、こともあろうか老将軍などは「二度とデインを裏切る真似はしない」などと宣誓までする始末。これはイズカにとっては予想外の幸福な出来事だった。
 が、不用意に彼らと「デイン王遺児」を近づけるわけにはいかなかった。
 おかしな知恵を吹き込まれては困るし、下手に信頼関係を築かれてしまっては、イズカが動きにくくなるからだ。
 それに関してはイズカの懸念はやや肩すかしを食らったと言っても良い。前王アシュナードの徹底した体制と恐怖政治が功を奏し、彼ら三名は必要以上には遺児には近づかなかった。
 彼らのその「忠臣」ぶりを馬鹿にしながらも、イズカは感謝もしていた。当然、己の動きやすい環境を作ってくれたことに、だ。

 ここまでに費やした時間は相対的に見て無為ではないだろう。
 まだ、段階的にはようやく行動を開始するところまでこぎ着けた、という状態だが、ここから先は入念に時間をかけねばならない。機会は、まさに一度きり。
 より効果的に、より劇的に。救世主の登場はまさに青天の霹靂を狙わねばならない。デインという国に鬱積する、あらゆる不満の矛先を、ベグニオン駐屯軍に集中させる為には、まだ充分ではない。

 事が成就した暁には、イズカの研究には金銭的な援助のみならず、その立場もベグニオンが保証してくれるという。まるで夢物語だ。あまりにも巧すぎる話だったが、その裏はイズカは掴みきれなかった。ベグニオン側の得るものを考えれば、多少の金銭的な援助などは痛手でも何でもないのだろう。
 確かにデインにおいても、前王アシュナードの庇護の元に熱心に研究を続けていたのはよかったが、矢張りあの王は駄目だった。
 ラグズ蔑視の傾向の最も強いデインで、王の恐怖政治で口やかましい愚民を黙らせ、さらにはデイン軍の強化という大義名分の元、イズカの目下の研究対象、いわゆるラグズを際限なく「使用」出来たのはよかった。
 が、宛ては外れてしまった。忌々しきはクリミアが遺児である。そしてあのクリミアという小国の王女を始末しきれなかったデイン王アシュナードの迂闊さである。
 自分ならそのような迂闊な真似はしない。徹底的に叩く。クリミアという国の王侯貴族、全てに連なるものを根絶やしにする。しなければ、確実に遺恨は残り、やがて予期せぬところから足元を掬われるのだ……アシュナードのように。
 
 
 辛抱する事は、決して嫌いではない。その先にあるものを思えば、いくらでも嘘などはつける。愚か者どもをさも賢臣のように扱い、気弱でお人好しの「王子」を救世主に仕立て上げる事などに、何のためらいも呵責も感じはしない。
 

 次なる段階は、デインの解放である。予め用意されていた「デインに於けるベグニオン駐屯兵の横暴」「敗戦国にしても不当な扱いを受ける民衆の不満」
 そこに、今度はイズカが入念に筋書きをし、準備をした「虐げたれたる民衆を憂うべく立ち上がり、その悲願を遂げる救世主、デイン王遺児」。
 そしてかの「王子」が即位すれば……あとは元老院が動くだろう。すればデインという国は、ベグニオンという国に実質は支配されることになる。

 依頼を果たし、その先に有るもの。その先にある、理想。
 全てが約束されていた。まさに、今イズカは天上への階段を昇り始めていたのだ。 

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