触れ合えるものだから

「ミカヤ、遅いな」

 エディが言った。心配していると言うふうでもない。エディという少年は意外にそういうところは淡白で、ましてミカヤなのだ。
 だが、一人だけどうにもならない不安を隠そうともしないのがサザで、ミカヤを探して来る、などとフラリと姿を消したのも、三度目だった。そもそも、探すも何もミカヤの行き先は皆が知っていた。

「王子のところだし、いつものことだし、……そういう心配もいらないと思うんだけど」
「してないって。まあいいや、俺、疲れたし先に寝るから」

 言うが早いか、エディはさっさと天幕の中へ入っていった。今日は戦闘があったわけではない。解放軍剣士のツイハークに、一日中稽古をつけてもらっていたらしいのだ。その証拠に、エディは体中が痣だらけだったし、顔も何箇所か腫れていた。心配したミカヤが「癒しの手」を、ローラが聖杖使おうとしたがエディは断固としてそれを辞退したのだ。
 レオナルドが、その背を溜息と共に眺める。

「それにしても、ミカヤもミカヤだよね。サザが心配しないわけがないのに」
「おいおい、レオナルド、お前は本気で言ってるのか」

 焚き火を見つめながら言うレオナルドの表情は、どこかで悲壮なのだ。それは、まったく別のところでのもので、そういう表情はこの少年の常なのだが、その表情でその言葉では、誤解も招く。現に一度、サザがそれで誤解した事があったのだ。

「だってサザは、そういう風に見えるから。どうなのかなと思ってさ」

 レオナルドも、態度程心配しているわけではないのだろう。エディもレオナルドも、ミカヤが頻繁にペレアス王子を訪ねる理由を知っていれば、そういう言葉にもなるのだ。
 ミカヤは「銀の髪の乙女」として、解放軍の中でも象徴的存在だった――デイン王遺児であるペレアス王子が霞むほどに。
 そのことに、彼女が負担を感じていないわけがなかった。もともと、心がそう強いわけでもないということも、暁の団として行動を共にしていれば、見えてきてもいた。だからノイスは「王子と話をしろ」とミカヤに言ったのだ。
 ペレアス王子と直接言葉を交わしたのは、たまたまだった。ノイスという名を先に知っていたペレアス王子が、声をかけてきたのだ。母アムリタや参謀イズカの目を潜り抜けてきた、という様子は、どこか疲労してもいた。なんとなく、それでノイスは事の次第を理解した。王子は、自分が置かれている現状に満足はしていない。あきらめているだけなのだ。
 話をしてみると、意外と言える程に王子は多くのことを知っていた。それは、王族としての知識というわけではなく、デインや帝国軍の現状、民草の悲しさ、そして解放の先にあること――ノイスが一番驚いたのは、ハタリの戦士に対する王子の感覚だった。確かにデイン人らしい事は言っていたが、それは厭うというより興味が先んじているような物言いでもあった。
 これは、ただ大人しいだけの人ではない。ノイスは、そういう目でペレアス王子を見た。
 だからこそ、ミカヤは王子と言葉を交わす必要があるのだとも思った。ミカヤは解放軍の副大将という任を受けた。そういうことの意味を、ミカヤはあまり理解していない。
 いつものように「暁の団」でいようとする。それでは駄目なのだ、ともノイスは諭した。「それに暁の団の大将は俺だな」そこまで言えば、ミカヤも納得したようだった。

 そして結果。ミカヤは行軍が終われば、戦いが終われば、暇を見つけペレアス王子の姿を探すようになっていた。ミカヤの目が、以前とは変わった、とノイスは思う。それはエディもレオナルドも同様らしく、同時に彼らなりに、自分たちが戦うという意味も見出しているようだった。

「あら、エディはもう寝たの?」
「おかえり。今日は特別遅かったんじゃない」
「話が、弾んでしまったの。それでね」

 レオナルドのそういう言い方はいつものことだった。ミカヤは小さく笑う。

「サザは?」
「え?……また?」

 だが直後に弟の名を聞き、あからさまに顔を曇らせた。レオナルドはじっとミカヤを見ていたが、あきれた様に視線を外す。

「…まあ、大丈夫だろうけど」

 レオナルドの言葉に、ミカヤは曖昧に笑い、二人と共に火を囲む。こうして火を焚くのは、久しぶりだった。

「ニケさんたちのことを聞かれたの。…私は、あまり巧くは話せた気がしないのだけど……どちらかというと、王子の方がよくご存知だったわ」
「ラグズ、彼らのことか」

 ミカヤの言葉に乗ってきたのは、ノイスの方だった。レオナルドは表情にどこか険しいものがある。

「ええ。ねえノイス、ハタリっていう言葉の意味を知ってる?」
「理想郷。古代語だな」
「流石ね、私、わからなかったわよ」
「レオナルド、お前は知ってるか」
「……え?……僕は、今初めて聞いた」
「それが、当たり前だ。ではやはり、王子は魔道を扱われるのか」

 ミカヤは、焚き火に目を落とした。しばらくその沈黙は続く。ミカヤは、レオナルドをちらと一瞥した。レオナルドは、眉を顰めるが、それだけだ。ミカヤが小さく息を吐く。

「……闇魔道よ。だから…だから王子は戦われないの。そういう話も、したわ」

 レオナルドは、黙ったままだった。だが、その瞳は揺れた。そういうものだ、とノイスも思う。
 闇魔道を扱う者はこの世の理に外れゆく、学問としては禁忌ではないものの褒められたものではない――それは、どの国でも共通の認識だった。ラグズの国では、闇魔道を扱うものは「呪術士」などといわれ、それだけで恐れ疎まれている。

「そうか。…ままならんな」
「お辛そうだった。戦えないってことが苦しいなんて…私には、よくわからない感覚だと言ったら、それでいいとも仰った」
「ミカヤ。言葉を交わせば、いろいろと見えてくることもあるだろう」
「ええ。ノイスの言葉は、私にいろいろと教えてくれる。だから、そういう事は、私は理解していたはずなのにね」
「まあ、そう簡単ではないからな、人と人というのは。それよりサザはいいのか」
「いいのよ。あの子には、少し薬になるわ」
「そっちも、ままならんな」

 ノイスの言葉に、ミカヤとレオナルドは笑った。小さな笑いの輪が焚き火を包んでいると、そこにひょっこりと現れた青年の姿に、三人はもう一度笑った。

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