行動に値する

見慣れた赤毛を視界に認めた。ハールは億劫そうにあくびをする。あぁ、やっぱりな。やっぱりだ。

「ハールさん!ちょっと、何やってるんですか、ラグズ連合なんかで!」

 きんきんと、脳裏を貫くような高い声。あぁまったく、面倒なやつめ。
 顔を見れば、ハールはジルが次に何を言うかくらいは、予想が出来た。

「おいおい、そりゃこっちの台詞だ…お前こそ、なんだってデイン軍に」
「守るためです!」

 断言するジルの語気に、ハールは一瞬、眠気が吹き飛ばされる、と思った。そのジルは、どうにもならないくらい真剣な眼差しで、真正面からこちらを見る。
 大義がない戦い――おそらくは、元老院あたりが適当に飛ばしているデマの類だろうな、とはハールも見ていたが、結局のところその通りらしい。
 こういう目をしたジルには、何を言っても無駄だった。一応、という言い訳をしてこちら側に誘うつもりだったが、それも無意味だろうな、とハールは思った。

「守るって……まぁ、いいさ。どうするんだ。俺と戦うのか?」
「ハールさん、私の質問に答えてください!話は、それからです!」
「…たく、めんどくさいやつだな…クリミアの内乱鎮圧に、行きがかりで協力することになって……で、似たような理由で、昔の誼ってことでアイクに協力してる」
「…なんですか、その、だらしない理由!」
「うるせぇなぁ…。で、どうするよ?」

 ハールは言葉のすべてを言う、ということがない。だが、ジルはだいたいそれでも通じるのだ。それくらいの時間を、一緒に過ごしてもいた。あの、僅かだった時間は、ハールにとってはそれなりに安らいだ記憶だった。

「………戦い、ます」

 一瞬、うつむく。だが、素早く顔をあげてハールを再び見る、目。挑むようなそれは、何度も瞬きをしながら、隻眼の男をしっかりと捉えた。

「戦います。戦えますッ!だって私、王宮騎士になったんです。ペレアス王は父上のこともちゃんとご存知でした。名誉も、回復して下さいました、それに…仲間がいます。ダルレカの皆も私が守ります」

 早口で、まくし立てるようにジルは言う。炎がゆらめくような双眸の光は、ハールの古い記憶を揺り起こした。いや、忘れていたわけではない――ただ、遠くなってしまった、記憶だった。

「成るほど。お前にしちゃあ立派な理由だな」

 溜息をつき、ハールは滞空姿勢だった騎竜を促す。主の意志に、飛竜はゆったりと動いて見せた。
 反射的に、ジルは武器を携える。だが、携えた斧が重かった。王から賜ったものが、ずしりとジルの心に重石を置いた、そう感じられる重さだった。だが、ジルはデインの王宮騎士だった。守るべきものを、知ってしまった。

「や、やめてください!こっちこないで下さい、私、本気ですよ!」

 構える動きはぎこちなく、声は上ずりかけているくせに、目は全く真剣に、睨みつけるような強さ。
 ハールの中にあった、ジルを誘うべき言葉はとっくに霧散していた。大義などという言葉まで用意していた自分が、滑稽にも思えた。大義など、何れの陣営にもあり、何れの陣営にもない。そもそも、そういう言葉の重さと軽さを、よく知っていた筈ではなかったか。ラグズ連合の戦の始め方など、ほとんど言い掛かりではなかったか。アイクがいなければ、協力する気も起きなかっただろう。

「おいおい、お前なぁ…俺は寝返ってやろうって、そう思ったんだが?」
「は………はぁ?ハールさん、正気ですか?寝てるんですか?」

 面倒きわまりなさそうなハールの物言いに、素っ頓狂な声を、ジルはあげてしまう。戦場だということも、そもそもハールが敵陣営にいたのだということも、一瞬、ジルは忘れた。この状況で、ありえない。ジルの眉間に見る見るうちにしわが寄る。

「シハラム殿のこと、お前が話したのか?」

 シハラム。父の名に、ジルは我に返った。ハールのまなざしは、珍しく真剣味を帯びている。ジルは、首を横に振った。

「いいえ、違います。父の功績を、王は私よりご存知で…ちょっと、ショックでした」
「じゃあ決まりだ」

 見たところ、傭兵部隊も多い。中には、ベグニオン式の武装をしている者も見かける。雑多に見えながらも、だが統率は取れていた。そして主力は、義勇兵と思われるような、民間人。それでも武器や鎧はそれなりのものを揃えている。士気は高い。迷いのない目をした兵ばかりだ。
 こういう軍は面倒だ、と思う。新生デイン軍には、あのタウロニオ将軍がいたというから、おそらくはその所為だろう。ハールは、あの旧四駿をそう多く知っているわけはなかったが、嫌いではない人間の一人だった。

「ちょっと、そんな、簡単に……」

 いまだ、ハールの行動をどうとらえて良いのか惑うようなジルだが、構えた武器は下ろしていた。それでいい、というようにハールは頷いてみせる。

「……そうでもないさ。俺の寝ぼけ眼が、久々に開いちまった」

 軍属は御免だ。だが、シハラムという男を、デイン新王は評価したという。冗談ではない、とハールは思った。見限った筈のもの、捨てたと思ったものに、くすぶりかけていた何かに、火がついてしまった。
 ハールは、何度目かの溜息をつく。まぁ、それでも、いいか。それは自分への言い訳でもあった。

Comments

Copied title and URL