また生き延びた。だがそれは、生き延びたいと願うからに他ならない。生き延び、その先に成すことを想うからに他ならないのだ。ラグズという種が、ベオクと交わることが可能な世界。二つの種族が、対等な世界。それは、男にとっての夢だった。
水辺では、ガリアの戦士の力は十分には発揮できない。だがそれでも、彼らは戦う。何故、そこまでするのか。
ツイハークは量りかねていた。この戦は、フェニキスが始めているはずだ――王宮に入る情報は、迅速で正確。デインの情報網は、ベグニオン帝国に勝るとも劣らない。それは噂ではなく、真実だということをツイハークは熟知していた。解放軍時代に、デイン王家には直属の諜報部隊があるのだと、初めて知った。
気持ちのよい戦というものはない。日頃からそう考えるツイハークだが、今回は更にその気持ちが強かった。相手は、ガリアの戦士だった。
それでも、だからといって離反するなどとは、やはり考えられなかった。そういう自分自身の在り方は、以前にはなかったものだ。
青臭い理想を語る若き王。だが、その理想は、ツイハークの心を揺さぶった。今もなお、揺さぶり続けている。本当なのだろうか。そういうことを、見極めるため、だからこそこの祖国を離れることなど、出来はしない。
剣に向け続けていた顔をあげる。晩夏のそよぐ風が、戦場の空気を割り、ツイハークの頬を撫でた。
自ずと息を吐く。わだかまるものを、吐き出す。そして改めて剣を見つめた。この剣は、デイン解放運動に加わるというツイハークに、知り合いの鍛冶屋が精魂込めて作り上げてくれた業物だった。他の剣のように弱くなるということがない。手入れをすれば、すぐさま輝きを取り戻すのだ。だから、ツイハークも手入れを怠らなかった。
「ツイハーク、あんたはどうして、ここにいるんだ」
彼らしく足音を忍ばせて近づいてきたサザが、ツイハークの目も見ずに、唐突問うてきた。その声は真剣だが、どこかに焦りと不安が交錯している。そして以前よりも、それは増していた。三年前の彼を思い出す、と思った。
ツイハークは剣の手入れを中断し、サザを見上げる。サザはそのまま、ツイハークに視線を返す。しばらく、無言だった。
「いてはおかしい。君の口ぶりは、そういう風に聞こえるね」
「はぐらかさないでくれ。あんたはガリアに知り合いもいる。元々、グレイル傭兵団に助力だってしていた。ラグズに剣を向けることだって、悩んでいた。それに……」
「大義などない戦。君という首脳陣の人間が、そういう噂に踊らされる。それはどうかと思うよ」
口調と表情こそ穏やかにあったが、はっきりとツイハークはサザの態度を批判した。穏やかな双眸は、笑ってはいない。サザは息を呑む。そういう返しを想像していなかった、という顔だ。
「第一、何故理由がないという断言をするんだ。ジルといい君といい、もう少し冷静に状況を見て、判断するという事を身につけるべきだ」
ツイハークはサザに構わず、視線を外した。そして、少し離れた場所に集う部下たち――直接軍属ではないツイハークの元に集まった、元義勇兵や傭兵たちに目を向けた。彼らは、ツイハークを慕って集ったデイン人だった。そして、彼にしては珍しく、ツイハークはそういう彼らの面倒を見ることにした。今までは、あまり特定の仲間というものは作らなかった。一度協力したものと、次の戦場では敵。そういうことが当たり前だった。
彼らを眺めると、自然に顔が綻んでいた。ここは、仮の宿であるかもしれないが、居場所に違いない。
「大国ベグニオンの要請に、デイン王国が逆らえる理由はひとつもない。食料をクリミアに多く依存しているデインは、貿易封鎖でもされたら、それであっという間にお仕舞いだ」
「そういうことを聞いているんじゃない。あんたのことを聞いている、ツイハーク」
「俺は、俺の意志に従うだけだ。何を重んじるか、それは、俺の一存で決まる」
「……ミカヤか?いや、……あんたは、違う。そういうところは、意外に酷薄だからな」
「それは、どうも」
にこりと笑う。こういう態度は、長い傭兵稼業で身につけたものだった。サザは、面白くなさそうに顔を顰める。わかり易い少年だ、とツイハークは思った。だがこの幼さは、何れ彼を不幸にする気もしていた。
「サザ。老婆心から言わせてもらうが、迷いを抱えたままでは、何れ死ぬことになる。無理だというのならば、今すぐ君はデインを離れるべきだ」
「そんなことは…俺一人で、逃げたところで」
「なるほど。君は、ミカヤを質にしてペレアス王と掛け合う気なのか」
「……そんな言い方を!」
衝動的な怒りが奔るサザの目を、ツイハークは揺るがずに見つめた。軽く、剣を持ち上げて見せる。
「だとしたら、その時俺は、こいつを使うかもしれない」
酷薄だ、と言われたことはそう多くはない。けれども、ツイハークを冷たい男という人間は少なくはなかった。ツイハークを優しいなどと言ったのは、死んでしまった恋人以外には一人もいない。
「いや。俺じゃないかもしれないな、それは」
全てを、言う気などない。そのようなことをすれば、最も怒るのは誰か。サザがよく知っているはずなのだ。サザは唸る。ツイハークは、逃れを打とうとする少年のまなざしを、直視し続けた。
見苦しい、などと、そんな優しい言葉をツイハークはかけるつもりがない。大人の扱いを望む子供など、見ていて愉快ではなかった。
無言のままに立ち去る背を一瞥し、ツイハークは再び剣に手を伸ばした。だが、手に取れなかった。鏡面のように磨かれた刀身に映りこんだ己の顔は、ひどいものだった。
じっと、自身を見る。なぜ、ああいう言葉が出たのか、自分でも不思議だった。自分は傭兵なのだ。けれども今回、いや、デイン解放のためのあの戦いから、傭兵として金銭の取引をデイン王家としてはいなかった。
今回の、対ラグズ連合の戦、それもベグニオンの要請に従うというような理不尽な戦も、そうだった。今回の戦の分といいながら、今までの報酬を含めた以上の額を渡そうとしたペレアス王に、首を横に振ったのも、ツイハーク自身だった。
「俺は、彼に何を期待してるんだろうな。まったく、らしくない」
剣に向け、語りかけるようにツイハークは苦笑した。
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