NieR:Automata/11945年9月、僕たちは兵器だった

ヨルハ機体三十二号S型-1

「こんにちは。具合はどうだ?」

 目が覚めて、かけられた言葉は、ひどく単純だった。
 人類のあいだでも挨拶代わりに使われていた言葉、それから、おそらくはこの身を案じている言葉。今、目の前にいるのは壊れたこの義体を懸命に修理し続けたアンドロイドの男性。



――ぼくは、 11944年8月、第215次降下作戦のときに初めて地上に降りた。名前はヨルハ三十二号S型、それだけは覚えている。それ以外の記憶は、殆どない。覚えていないわけではなかった。部分的に残っているデータが、ぼくの記憶だ。ぼくは、戦うことはあまり得意ではなかった。S型はそもそも戦うことが主体の機体ではなく、調査や探索が主な任務の機体、それは覚えている。それ以外に何かあったような記憶の片鱗が記憶領域にあるのだけれど、それは無秩序なデータの羅列のようになっていて、壊れているから意味はよくわからない。
 地上に降下して、機械生命体と戦った。そのときは、たしか誰かと一緒にいた気がしたけれど、はぐれてしまったのか、相手が死んでしまったのか――いずれにせよぼくは、他のヨルハ機のようにうまく戦うことができなかった。初めてのまともな戦闘で深手を負った、それも覚えている。
 具体的に覚えているのは、ここまで。
 断片的な記憶と、断片的な映像と、データ。欠けてしまっていて、つなぎ合わせることも困難な点でしかない雑多なそれらが、漠然と、ふわふわと、ぼくの中に在るだけだった。



 32Sは言葉を口にしようとした。けれど、言語領域に不具合が残っているのか、或いは記憶・学習領域にダメージを受けてしまっていたのか、原因は定かではないが、うまく言葉を発することができなかった。
 けれど、ある程度残っていた自我データとブラックボックスに致命的なダメージを受けていなかったのは、幸いだった。そしてはっきりとしていることは、目の前の男性が懸命に修理してくれたということ。
 彼の目的はわからない。一般的なアンドロイド兵士よりもはるかに優秀な「兵器」であるヨルハ機体を利用するために修理したのだとしたら、明らかに欠陥品である自分を修理しても仕方ないのだが、彼は目を覚ました自分を見てひどくうれしそうだ。敵意はない、ということだけは確実だった。

「アリ、が、ト……う」

 ようやく出てきた音は言葉というにはあまりにも稚拙でぎこちなくて、以前の声とはまったく別のものだ。そのことに32Sが驚いていると、男性は大きな手で32Sのそれを包み込んだ。

「ああ、ああ……よかった。ほんとうに、よかった」

 人工皮膚も剥げかけて、ごつごつとした内部構造がところどころ剥き出しになっている。身に着けているものもひどく汚れているし、あちこち傷だらけだ。けれど32Sは彼に対して嫌悪感を抱くことはなかった。自分を助けてくれたのだ、ということ以上に、彼の表情を見ていると不思議な気持ちになった。なんだろう、これは。なによりも、彼のてのひらは、とてもあたたかい。
 涙まで流して喜ぶその男性は、何度も何度も「よかった」と繰り返す。何がよかったのかもわからないけれど、32Sは彼の傍にいることに何の違和感も抱かなかった。



「お前を修理するのを手伝ってくれたやつらがいるんだ。二人組だが、片方はお前によく似てた、きっと同型機だな。お前よりずっと喜怒哀楽が激しいやつだったけれど、相棒と一緒に俺の無茶な依頼にも答えてくれた、きっと信用してもいいと思う」

 彼が時々廃墟都市に赴いていたのは、そのためだったのだろう。32Sはヨルハ機体だから、通常のアンドロイドに使われている部品で修理は不可能だ。そして、地上でヨルハ機の部品を回収する手段は限られている――同じヨルハ機の義体から盗むか、或いはそれを持ち去った機械生命体から奪うしかない。前者はヨルハ機が赴く戦闘区域に入り込む必要があり、後者は直接その機械生命体を壊し奪うしかない。戦力に劣る一般アンドロイドには至難の業だ。彼は見たところ単独で戦闘は可能なレベルの機体性能を持ち合わせているようだったが、それも地上人類軍の一般的なレベルでしかない。小型の機械生命体と一対一であればいざしらず、群れや中型・大型との戦闘は最低でも小隊程度を組めるような組織戦でなければ無理だろう。

「ナマ、え」
「ああ、2Bと9S、そう名乗っていたよ。この地区に派遣されたばかりのヨルハ機体らしい」
「2B、9S」
「お前の恩人の名前だよ」

 恩人。ほんとうにそうだろうか、と32Sの断片的な記憶が囁く。ヨルハ機体は機密の塊で、人類軍ですら上層部の一部しか情報を把握していない特殊部隊だ。地上における歩行戦闘に特化した、対機械生命体殲滅兵器。それに2Bという名前に、32Sに残っていた記憶の断片が、警鐘を鳴らしていた。理由はわからないが、不安になる名前だった。



「家族、ってお前は知っているか?」

 男が少しぶっきらぼうに、そしてわずかに微笑んで、まるでその音をかみ締めるように言葉を告げてきた。

「かぞ、く」

 家族、という社会的集合体の単位は32Sにインプットされていたデータにも存在しており、参照が可能だった。血の繋がりの在る人類同士の構成単位、とあったが、血のつながり、というのはどこか漠然としていた。人類は、というよりも生物はすべて雌雄が存在し、雌雄が交尾することで生命を繋ぎはぐくむという知識はあったが、どういうことなのか理解出来ないのと同じ感覚だ。アンドロイドには生殖機能もそれに準じるものも存在しないのだから当然ではある。

「ああ、そうだ。家族……家族、というものに、俺はあこがれてて」

 ツレも仲間も皆死んじまったからな。男は少し寂しそうに、照れくさそうにはにかんだ。

「かぞく」

 言葉を、噛み締めるように繰り返す32Sの頭を、男の無骨な手のひらが遠慮がちに撫でる。やさしくて不器用な感触は、心地よかった。



 2Bと9S、その二人に会ったときに違和感を感じた。なぜかはわからなかった。けれども「とうさん」は二人をすっかり信用していたし、9Sの方は自分と同型機である32Sに対して思うところがあったのか、最初はぎこちない笑み向けてきた。一方の2Bはあえて無表情を作っているようだ。内心を悟られまいとしているような――そういう所に気づく聡さはS型の特性でもある。その表情を見て、32Sの違和感はいっそう強まった。わからないけれど、自分の中の大切ななにかが、壊れるような、そんな予感がした。



「そうそう、君は花を見たことがないっていっていましたよね。これ、僕と2Bからの、お土産です」

 9Sは楽しそうに――彼は、最初こそぎこちなかったが、今ではすっかり32Sを見ると笑顔を見せ、手を振っては駆け寄ってくるようになっていた。共にいる2Bは呆れるような素振りこそ見せているが、あえて止めるつもりはない、というよりもあきらめているのだろうか。時折彼女が不可解な視線を自分に向けているな、と気づいてはいたが、それよりも9Sと言葉を交わす時間は、それなりに楽しくて、つい2Bに対する警戒心が薄くなっていた。

「お、ハナ?」
「そうそう。この砂漠地帯じゃあ植生も乏しいし、かといって君や君の「とうさん」だけでは遠出は難しいかなと思ったので。特に珍しい種類というわけではないんです、でも、なんとなく君の印象と被った、って言ったら、怒ります?」

 どうぞ、と9Sがやんわり手渡してきたのは、とても小さくて、ほんのりと色味のついたーー薄紫だろうか、限りなく白に近い小さな薄紫色の花だった。

「ウん、あり…がと…」
「よかった!この花の名前は正式名称は野紺菊、野菊の一種だから特に珍しいわけじゃないんですけど……ほら、よく見るとけっこうきれいだし、小さいけれどどこにでも生えるくらいに生命力も強いし……」
「君が見つけてつんで来た花なんだから、ちゃんと説明すればいいのに」
「もう、2B、こういうのは、なんていうか……その、ちょっと、照れるっていうか、人類は普通は男性は女性に花を贈るものだったから、ちょっと意味が違ってるかなあとか、いろいろ!そう、僕も色々悩んだりしたんです!」
「そんなこと、別にどうでもいい。君がやりたいって言い出したことなんだから、好きなようにすればいい」
「……あれ、2B、なんか機嫌悪いですか?」
「悪くない」

 なにやら話がこじれかけた二人をよそに、「とうさん」はなにやら目を輝かせて9Sの摘んできた野菊をしげしげと眺めている。

「へえ、気がきくなあ。本当にこいつみたいじゃないか。な?」
「トウ、さん、ほんと……に?」
「ああ。コイツの名前は俺でも知ってるぞ。まあ……俺の知識じゃあないんだが、昔一緒だったツレがな……俺が知ってる呼び名はアスターだったが、本当はそんな名前だったのか。所謂雑草っていわれているヤツだが、なかなかきれいな色合いで嫌いじゃないんだ。」

 アスター。32Sの中に辛うじて残っているデータベースの残骸には存在していない名称だった。

「つ、れ?」

 それよりも、男のいう「ツレ」が32Sの気を惹いた。彼はずっとひとりではなかったのだろうか。自分とともにいる前に、他のアンドロイドと一緒にいたことがあったのだろうか。
 そのことを考えたとたん、32Sの中で二つの感情が疼く。ひとつは、なんとなく胸がもやもやするような、居心地の悪いような、あまりよくはない感覚。
 それからもうひとつは、もっと複雑だった――暖かいような、懐かしいような、それでいて自分の内部が軋むような、ぎゅっと捕まれるような、痛みに似たような感覚。
 それは、どうしてなのか。自分の中に残っているバラバラのデータを結びつけることができたのなら、わかるのだろうか。

「お前にはまだ話してなかったがな……ま、相棒みたいなもんさ。そうだ、それよりも、アスター。アスター……お前の名前に良くないか?」
「アスターはキク科の植物の総称でもありますね。語源は星とか、確かそんな意味だったと思います。アスター……いい名前じゃないですか!」

 二人の様子をたのしげに――どこか羨ましげに眺めていた9Sがそれは名案とばかりに手を叩いて喜ぶ。なぜ、彼が喜ぶのだろう。32Sは不思議だったが、悪い気分ではなかった。先ほどまで感じていた妙な感覚も、そのおかげでどこかへいってしまった。

「な、いいだろう。ほら、これで賛成票は二になった。お前かそちらさんが賛成したら、三体一で多数決になるぞ」

 そちらさん、と笑みと共に急に水を向けられた2Bが突然のことに困惑したように首を振る。

「え、いや、私は……そういうことは……」
「ねえ、いいじゃないですか、2B。彼だっていつまでも名前がないままじゃ、かわいそうです。本当はヨルハ機体だから僕たちと同じような名称があるんでしょうけど、でも、それよりきっと、この人がつけてくれた名前のほうが、嬉しいですよ。ねえ、アスター?」

 9Sは早速「アスター」と32Sの事を親しげに呼び、男もにこにこと何度も名前を繰り返す。

「アスター、その、……俺がつけた名前じゃ、だめか?」
「…ちが、ウ!ナマえ、うれ、し」
「ほらやっぱり。アスター、そしたら僕のことはナインズって呼んでよ。特別に」

 口調にも妙な遠慮がなくなり、にこにこと手を握ってくる9Sの後ろで、2Bが大きなため息をつく。どこか不愉快そうなのは、気のせいではないだろう――そしてなぜか、普段彼女を見ていると感じる不安が、この時は感じられなかった。

「……君は誰にでもそういうことを言うの?」
「ち、違いますよ2B!僕と親しい人は、僕のことをナインズって呼ぶっていう、その……ああもう、ええっと、とにかく、ね!君はアスター。これからも、よろしくね」
「エと、よろ、しく?」
「はは、よかったなアスター。お前にも友達ができたじゃないか。まあ、こいつらはお前の恩人みたいなもんだけどな」

 友達。恩人。友達、という「とうさん」の言葉を口の中で転がすと、妙にこそばゆい気がした。この感覚は、なんだろう。ぼくは嬉しいのだろうか。不思議だったけれど、いやな感覚ではない32Sも、ぎこちなく笑みを浮かべてみせた。



 逃げろ、と「とうさん」は言った。けれどもどこへ、と叫びたかった。何が起きたのかも理解出来なかった。
 突然襲い掛かってきた黒衣のアンドロイドは、その前兆すら32Sに悟らせることもなく「とうさん」の背中に一太刀を浴びせた――明らかに、致命傷になるような大きな傷口からは、血液にも似た赤黒い液体がどぽどぽとこぼれおちてくる。とっさに32Sはその傷口をふさごうと両手を動かした。ぬるい温度が、32Sの手のひらに伝わる。きれいに修復された人工皮膚が、赤色に染まってゆく。崩れ落ちた「とうさん」を支えようと片腕を腹に回すがかなわず、どさりとその身体が砂に落ちる。
「ヨルハ機体三十二号S型。11944年8月1日、第215次降下作戦に於いて地上に降下し、四十三間後に消息を絶つ。機械生命体との戦闘で死亡したと思われたが、部品の一部を機械生命体が奪取されたため捜索は続行。11945年4月21日、ヨルハ機体二号B型より該当機体の発見が報告あり。同日、バンカーより極秘任務通達」

 戦闘ゴーグルに覆われたその双眸を確かめることは出来なかった。32Sの目の前で、「とうさん」の頭部に鋭利な刃が突き刺さる。「とうさん」は声を上げることもままならず、苦しそうにうめいた。32Sは為すすべもなく、ただ、「とうさん」の命が刻一刻と奪われてゆくさまを見守るしかなくて、けれどもそれを懸命にとめたくて、男の背中の傷口にてのひらを押し付けた。どうしてこんなことを。叫びたいけれども声が出ない。

「とう、サン」

 男の頭部に刃をつきさしたヨルハ機は、そのまま刃を横に動かす。いやな音が聞こえた。「とうさん」の断末魔が耳に届く。

「ヤメ、て、くだ」

 32Sの懇願もよそに、ヨルハ機は刃を引き抜くと、続けざま「とうさん」の首をすっぱりと跳ねた。

「ヤ、めて」

 鮮明な赤が、ぱあっと32Sの視界に広がる。
 赤い。赤くて、あたたかな、「とうさん」の命を構成していた液体が32Sの上に、降り注ぐ。

「とう、サん……」
「こちらヨルハ機体七号E型、バンカーへ。任務完了」

 冷たい声が、頭の上を過ぎる。冷たいひとみが、32Sを見ている。2Bの一見無表情に見えて戸惑いと後悔のまざった色とは違う、ナインズって呼んでもいいよ、と言っていた9Sの親しみや歓迎の色とも違う。何の感情もそこにはない。目の前にいるのは、兵士であり、兵器でもあるヨルハ機体だ。

「了解、それでは該当機体を連れて帰投する」

 黒い兵器のてのひらが乱暴に32Sの腕を掴む。武器を振るうためのその手はかたくて、冷たいと32Sは思った。これは決して、仲間の手のひらではない。彼女は仲間ではない。彼女は「とうさん」を殺した、アンドロイドだ。



「なんだろう、この思考領域の妙なブランク……君、32S、でしたっけ。緊急バックアップ用の空白でもないし、設計段階から組み込まれていたものかな?技術部もたまにへんな暴走するのがいるからなあ」

 他人に何かされるということが、こうも苦痛なのだということを32Sは初めて理解した。「とうさん」の時はそんな風には感じなかったのに。なぜだろう、目の前の、自分と同型らしい少年アンドロイドの手際は非常によいということはわかるのに、修理されている間中32Sは不愉快だった。
 だから、言葉を発しようとも思わなかったし、今自分を修理しているヨルハ機体に関して知りたいとも思わなかった。
 全身オーバーホールされ、地上に居たときよりも義体の調子は確かによくなった。記憶と自我データは通常のオーバーホールの場合手付かずにするが、32Sの場合は特殊であるからと、一度記憶データのすべて消去して地上降下前と同様の状態にする予定だったらしい。
 ところが、これからという時に駆け込んできた9Sにより阻止されたようだ。ようだ、というのは、32Sを修理したヨルハ機が勝手に喋ったのだ。

「9Sはなんだか君にへんなこだわりがあるようでしたからね。僕もまあ、どっちでもよかったですし。個人的に自我データやそういうものにはあまり触れたくないっていうか、好きじゃないから、恩を売るつもりで9Sの言うことを聞いておきました。彼、地上任務でけっこう色々面白いもの持ち帰ってきてくれてますしね。ギブアンドテイク、というやつですよ」

 2Bが、32Sのことをバンカーに報告したのだということは、32Sを奪還しにきたE型機が告げていた通りだ。だとしたら、2Bの僚機であろう9Sが、なぜ32Sの記憶をそのままにしろと、わざわざ懇願しにきたのだろう。バンカーにいたころの記憶をある程度取り戻した32Sにしてみれば、不思議なことだらけだ。確かに多少は親しかった、けれども、彼が僚機を欺いてまでそんなことをするメリットなどないはずなのに。

「……ナインズ、どこ」

 直接彼に聞いてみたかった。自分を助けた理由を。そう、彼がいなければ、おそらく「とうさん」の記憶は消去されていた。それならば、32Sは覚えていることもなかった。「とうさん」と居たころの暖かな記憶と、「とうさん」を喪った痛みと、黒衣の仲間たちに対する少なくはない憎悪を。
 当事者である自分に、理由を知る権利くらいはあるはずなのだから。

「あれ、少しは喋れたんですね。言語領域にも原因不明のバグが残ったままだったから、喋れないんだとばっかり思ってました。そうでなくとも腑に落ちない所が多いんですけど、君の義体」
「ナインズ、は」
「へえ、君、9Sと仲がよかったんですねえ……僕はまあ、そこそこの知り合い程度ですけどね。彼なら総攻撃の支援部隊に配属されてるから、先に地上にいってるんじゃないですか。君はオーバーホールが終わったばかりなのと、所々に妙な障害が残ったままだから今回の作戦には参加させられないって司令官が……」

 彼が全てを話し終える前に、32Sは寝かされていた寝台から飛び降りると駆け出した。

「あ、ちょっと!まだ最終工程とメンテナンスが終わってないんですけど!今の君の自我データは君自身のデータからサルベージした情報と欠損データを組み合わせて埋めたような状態で、降下前のままで更新もバックアップもされてないから、一度S型全体のデータと同期させないといけないし、それに支援ユニットも……」

 歩行するだけで精一杯だったころとは違う、己の意の侭に動く義体で32Sは懸命に走る。追いかけてくる声と足音を振り払うように、そして、一刻も早く地上に降りなければと、現時点から最も近い転送装置を検索し、目指した。



 転送装置を使って地上に降りたところで、32Sの記憶は途切れている。そして気がつくと、森林地帯の只中で、動物たちに囲まれていた。

「……あれ、ぼくは……」

 今日は、何年何月何日だろう。記憶が混濁していた。「とうさん」。とっさに浮かんだのは、「とうさん」との記憶。「とうさん」の声と温度。名前をつけてくれた「とうさん」の笑顔。おおきくて、皮膚の剥げたあたたかいてのひらの感触。それから断末魔、「とうさん」が殺された記憶。ぼくの名前。「とうさん」がくれた、名前。
 赤い色と、冷たくこちらを見据えていたヨルハ機。それから。

「2B……、9S、ナインズ」

 この地区に、彼はまだいるのだろうか。まだ、生きているだろうか。戦っているんだろうか。
 2Bと9S。あの二人がいなければ、たぶんもっと「とうさん」と一緒に過ごすことが出来た。「とうさん」は殺されずに済んだ。遠からず他のヨルハ機体に見つかった可能性は高いのだが、遅いか早いかの問題ではなかった。32Sの安寧は、彼らの訪れで崩壊したのだから。憎むべきは彼らではないのだけれど、彼らに憎しみの矛先が向いてしまうのは、致し方なかった。もっとも憎むべき敵であり直接「とうさん」に手を下したあのE型は、今どこにいるのかもわからなかったのだから。
 そして、9Sが記憶の消去を望まなかった理由を知りたかった。
 9Sに関しては、彼らに対する憎しみよりも、S型特有の好奇心と、どこかあたたかな記憶がより多くを占めていたのだ。そのことに今更のように気づき、改めて愕然となる。感情なんてものは、不要だーーそれは、32S自身が、自分がどのような存在であるかを思い出したからこそ身に染みていることだった。

「オキタ、オキタ!ヨカッタ、キミガコワレテタラ、ボクニハシュウリデキナカッタカラ」

 どこか不明瞭でぎこちない言葉に32Sが何事かと声の方向を見ると、奇妙なボロで身を包んだ機械生命体が大型のイノシシに乗ってこちらに向かってきた。

「キミ、ズットネムッテタンダヨ。ズット、ズット」

 機械生命体ではあるが、彼からはまったく敵性意識が感じられない。そんな機械生命体を見るのが初めての32Sはとっさのことに戸惑ったが、彼の言葉も気になった。ずっと眠っていた、とは、どういうことだろう。

「ずっと……どのくらい?」
「コノクライ!」

 機械生命体は、またがっていたイノシシから器用に飛び降りると、32Sが寝かされていた場所から十メートルほど離れた所に立っている木の幹を示した。たくさんの棒が幹に彫られている――数えてみると、棒は全部で六十二本ひっぱられていた。「タイヨウガアカルイ、カイスウ」彼の言葉から察するに、この棒一本で時間にして一日ということなのだろう。つまり、約二ヶ月ほど意識を失っていた計算になる。

「君が、ぼくをここに、つれてきたの?」

「ウウン、チガウ。ボクノアンドロイドノトモダチ。トモダチハキミトトヨクニテイテネ、アト、ココハアンゼンダ、ッテ」
「君の……ともだち?」
「ソウ!トモダチ、キミトヨクニテイル。アタマノトコロ、イロガチガウケド、オナジ、オナジデ、ヤサシイ。ナニモイワナカッタケド、キミノコトシンパイシテタ」

 よく似ている、同型機のことだろうか。9S、あるいは他のS型。可能性としては他の機体も考えられたが、32Sはこの機械生命体が言っている「トモダチ」が9Sだろうとなんとなく思った。勘のようなものだ。転送装置のポイント自体は間違えていなかったはずだから、今32Sがいる区域に9Sは居るはずだ、もともとこの区域の担当は彼と2Bだ。支援ユニットを連れてこれなかったのは失敗だったが、そう広くはないこの区域で彼を探すのであれば、そこまで難しくはないだろう、現にこの機械生命体から情報を聞き出すことは可能だ。

「……その、君のともだちのこと、もっと、教えて……もらえるかな」

 そう言うと、機械生命体は嬉しそうに頷く。
 彼らの情報が、必要だった。どんな些細な情報でもよかった。彼らに、9Sに話を聞きたい。2Bを欺いてまで32Sの記憶を残した理由を。
 部分的に戻った記憶の中に、E型に関しての知識は豊富にあった――否、あった、のではない。あって当然だった。32S、というのは完全に味方を欺くための造られた存在なのだから。
 ヨルハ機体三十二号E型――それが、32Sの本来の名称だ。
 S型の能力を持つ暗殺任務特化系E型――殺傷能力の高い特殊なS型という発想から誕生した、現存するE型では最新型。人類軍においても実験的な新型だが、初任務を完遂する前に不幸にも機械生命体と遭遇し、死んでしまったのだ。特別にと護衛役の22Dが行動を共にしていたのだが、不幸にも降下直後二人は機械生命体の大軍と遭遇し、彼女は32Eを逃がす変わりに死んでしまった。残された32Eの殺傷能力や攻撃的なハッキングに関して言えば現行ヨルハ機の中でも最高の部類だが、かわりに防御が薄い、というよりも防御能力を犠牲にした特殊な設計が祟り、通常戦闘の場合は他のS型よりも下手をすれば弱い部類になってしまう。特に集団の相手であれば、むしろ持ち前の俊足と隠密能力を駆使して回避すべきと、司令官直々に念を押されていたにも関わらず、だ。

 ヨルハ部隊の中でも暗殺者と言われているE型だが、その存在は一部の特殊な例を除き秘匿されているわけではなかった。だが、32Eに関しては、その正体を知っているのは司令官のみだろう――そして、32E自身が、自分と同タイプであるE型が何体存在しているかも知っていた。
 9Sと会ってどうしたいのか、ということはわからない。
 9Sに対する印象と記憶は、32Eとしてのものよりも「とうさん」と共に在った暖かい記憶につながっていた。薄紫色の野菊を渡して君のようだからと楽しげに笑っていた表情と、やさしい声。名前をつけることに賛成してくれて、まるで自分のことのように喜んでいた。

「ナインズ……」

 彼は、できれば殺したくはない。S型だから、よくしてくれたから、「とうさん」と仲がよかったから。「とうさん」が名前をくれたきっかけを作ってくれたのは、彼だから。
 けれども、彼の僚機は別だ。彼女は自分と同じE型で、機密事項に属している情報によれば9Sを殺すための機体だ。だからこそ、自分の中のどうにもならない憎しみの矛先は、どうしたって彼女に向かいがちなのは事実だった。9Sは傷つけたくない。けれども、彼はきっと、自分の僚機が攻撃されればきっと敵対するだろう。共にいる彼らはとても仲が良さそうで、それは何も9Sだけではなかったからーー味方殺しの2Eが複雑そうな表情をしていたことを、何故だか強烈に覚えている。そう、あれはきっとーーだが、それよりももっと、先に殺すべき存在があった。
 ヨルハ機体七号E型。「とうさん」の仇。「とうさん」を殺したアンドロイド。
 絶対にころしてやる。
 そのためのヒントを、9Sから聞きだしたかった。あまり強硬な手段はとりたくはないが、最悪の場合は少しひどい目にあわせてしまうかもしれない。できれば、そんなことはしたくなかった。

「ウン!デモ……」

 けれども、機械生命体は突然しゅんとなり(機械生命体なのに妙に考えていることが表に出やすい個体だ)、うつむいてしまった。彼をはげますようにイノシシがそっと寄り添ってくる。

「……ボクノトモダチ……アマリ、ゲンキナカッタ。ズットナイテタ。ズット、ズット、ズット、カナシソウダッタ。ダカラ……モシカシタラキミニアッタラ、ゲンキニナッテクレルカモシレナイ!」
「そう、なんだ……」

 9Sが悲しんでいたということは、2Bはロストした、ということだろう。E型の彼女がなぜ、と思わなくもないのだが、少なくとも彼女を殺す必要がなくなり、9Sとも敵対せねばならない可能性はだいぶ低くなったことに、ほっとする。そして、うなだれている機械生命体に向けて、おもむろに名乗った。

「僕はアスター。名前は、アスターだよ」
「アリガト、ナマエ、コレカラナマエデヨブネ!あすたー、マタネ」

 楽しそうに小さな機械の身体めいいっぱいを使って表現する機械生命体は、9Sを友達と呼んでいた。敵ではない機械生命体、そして、「とうさん」を殺したヨルハ機体。ほんとうに殺すべき存在はどちらなのか。考えるまでもないことだった。



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2018年10月04日
公開